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記憶の中に

北海道の地震から一年が経った。

震源地となった厚真町は私が生まれ育った街の直ぐ側で、美味しい米のゆめぴりかの名産地であり、大好きなあづまジンギスカンの本拠地だ。

元々この辺りは地震が多い。
大概は浦河町の沖合が震源地で、子供のときに経験した「浦河沖地震(M7.1、最大震度6)」を今でも覚えている。ちょうど祖父母の家で遊んでいる時だったが、初めて経験する大きな地震に驚き、一緒にいた友人たちと慌てて家を飛び出した。

だけど、こんなに大きな被害をもたらす地震が起きるなんて想像していなかった。

前の年に北海道を離れた私は、地元に残る家族や親戚・知人に何事もないかどうか、それだけが心配だった。
幸いけが人もなく済んだものの、大切な記録が失われてしまった。諸事情で札幌に住む伯母に預けていた曽祖父母の代からの古い写真が、上階の水周り不始末によって水浸しになってしまったのだ。

幼いときの父とその兄弟四人が揃って撮った写真。
曽祖父が日露戦争の勲章を着けて、曾祖母と写真館で撮ったであろう写真。
遠縁の誰かかも分からない人物が「樺太神社」の前で撮った写真。

全ては記憶の中だけの存在になってしまった。

去年里帰りした時にそれらを全部引き取れば良かったと悔いても仕方ない。むしろそれまで残ってたのが奇跡なんだ。
後は残った記録をどうするか、こちらの方が大変で……

祖父が戦地に赴いた昭和十三年から昭和十七年までの記録がここに詰まっている。
中身をテキストに書き起こしてみたものの、世間に出して良いものではないなあというのが正直なところだ。これ自体もいつかは第七師団の資料館に収めようかと考えている。

帰らなきゃなあ、北海道に。

何やらサポートをすると私の体重が増える仕組みになっているようです