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シンプルになることは難しい
今年は解剖学の視点からアレクサンダー・テクニークを勉強するBodyMinded コースに参加することにしました。コロナの緊急事態がおこる少し前の2月に、オーストラリアのブリズベンで開催されたアレクサンダー・テクニークのレッスンはとてもシンプルなYes! 体験だった。
わたしはこころの奥底でこれを望んでいるんやな〜
自宅のあるマランビンビからブリズベンの会場に向かう列車の中でコースが始まる前に自分はグレグから何を学びたいと思っているかということを書いたメールの内容を思い出し、頭がぐるぐるなっていた
「せっかく多額の授業料を払ってグレグのコースに1年参加する限りは、ちょっと思い切ってアレクサンダーを教える方向で修行したいな。私はレッスンの中で人に触れる恐怖がある。恥ずかしながら、20代の頃にトレーニングコースにいた時からいまひとつ解決してない問題で、そこをどうにか直すっちゅうなんてことはできるのか。」
あ〜あ疲れるわ〜と思った瞬間、列車の窓から虹が見えた
「楽しく遊びなさい」と虹からリマインドされている感じがして、あ、それを忘れてたと思った。
レッスン会場に到着すると、私のレッスンの後でレッスンを受けることになっていた生徒さんがブリスベンとシドニーの時差があることを忘れていて、私より早く会場に来ていた。グレグは彼女に「よかったら待っている間にジャルダーラのレッスンを見ませんか?」と言い、それから私の方を見て
「いいでしょう?」とたずねられた。
今まで会ったことのない人だったけれど、アレクサンダーを勉強しているときはいつも自分の問題を人に晒していたので気にならず「はい、いいですよ」と同意した。グレグにはそれがなんとなく分かったのでしょう。
レッスンが始まってまず一番気になる悩みをもう一度グレグに打ち明けた
「この1年は、アレクサンダーを教えることを目指したい。だけどそれを目指すと、ものすごくネガティブなシンキングにはまっていって無力感を持つ傾向にあります。私は大体、思考の世界にハマりやすいことをよくわかっているので、今ここにおこっていることに率直に反応する訓練としてダンス教室に通っている。」
「アレクサンダーを教えるときもダンスと同じようなシンプルなアプローチを探しているのですが、どうしたらいいですか?」
わたしの話を聞きながら、グレグはとても簡単なアドバイスをしてくれました。
「あなたのリクエストについてずっと考えてきました。
ティーチングのことを考えはじめたら、ただ、椅子に座って息をしなさい」
あ!
確かに私はティーチングのことを考えている時、息をしていない。
そういえばこの問題を今説明していると全然息をしていないし、下半身が上半身から切り離されている。
私はまるで自分を否定しているかのようだ。
うわ〜そうか!
それからグレグは、私と私のレッスンを見ていたクレアに一緒に並んでエクササイズをしましょうと呼びかけました。
「頭をブラブラ動かしてください。頭を動かしたら背骨が動くでしょう、肋骨も、骨盤も動くでしょう。体のどこかの部分を動かしたら必ず他の部分が一緒に動き出します」
トレーニングコースに出ていた20年前から知っていることの復習、ではありながら、アレクサンダー的な明晰さを長年追求してきたグレグからライブにそれを言われ、軽いハンズオンを受けるとなんともパワフルな効果があった。どんどん体と心が解放されていき、どこにもしがみついているような感じがなくなった。
自分の悩みとしていることが消えた。
それからグレグは私の前に立つと両手を私の前に出し「あなたの手で私をの手を押してください」
すると先生に対して「正しく反応したい」という考えが浮上し、その状態でグレグの手を押すとこんな風に言われた。
「あなたは私を押しているのではなく、私からひいていってます。日本人の遠慮のくせが出てきたのですか?」
あ〜そうなんよ〜どうしても先生に対してあがってしまう(いつものくせ)
・・・それでどうしようもないなと思って笑ってしまった。
それからグレグは私のレッスンを見ているクレアの方を向いて説明しました「正しくしたいと思うと古い習慣が機能し、逆効果を生み出してしまいます」と説明しました。幼児の頃はそれがないので、心も体も自由で開いているのだけど、学校に行きだすとみんな正しくしたくなるので心身が恐怖にしがみつくようになる。」
それからグレグはクレアにハンズオンワークをし始めました。クレアはアレクサンダーを始めたばかりの人なのでより注意を必要としていると思ったみたいです。その間に私は自分の体のパーツが関連し合っているのを楽しみながら、部屋のいろんなところに歩いて行っていろんな物に触れたりして楽しんでいました。私の個人レッスンのはずやのに、クレアのワークと私のワークが合体したみたいなセッションやな、と思うと笑えてくる。
しばらくすると「あ〜そうやんな。先生として教えるからにはしっかりしなければ、とおもうことは、習慣的な反応で、今までと同じ間違いを繰り返してしまう原因になるのか!」ということを発見。
大切なことは、自分の体の様々なパーツが自由に動ける力を持っていることを思い出すこと、今ここで、ごく日常的で基本的でありきたりの動きの中でそれを思い出すこと、教師としてはそのシンプルなことをすれば十分なのか、と思った。
複雑な芸当は何も求められてない!!
このシンプルで奥深い発見のおかげで、私はとても機嫌が良くなって、顔が笑顔になっていたと思う。
レッスンの終わりがけに、グレグから1年間の教科書(解剖学の本)を渡してもらいました。「この一年の間にこの本を読むときは学習しようと意気込まないこと。わからなくても良いのでさらりと読んでください。人間は学習しようとすると学習できません。提供されるものにその場で関わるだけでいい。そうすればこの一年で必ず実力がついているはずです」と指導されました。
個人レッスンのはずが初対面の人とワークをするダブルセッションでした。展開は意外なものでしたが、この45分で得たことは、とてもシンプルでクリアーな理解だったように思います。
ほとんどハンズオンは受けていない。ただその人が自分の癖に気づき、それを手放すシンプルな方法を示唆してもらっただけーその膨大さにこれを書きながら今も敬意を表したくなります。
それにしても人間はシンプルになるのが難しい。だから時々ワークが必要なんだな、と。
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