弱者男性と哲学

1996年福岡県北九州生まれ。 こじらせ非モテですがミソジニズムやレイシズムには賛同し…

弱者男性と哲学

1996年福岡県北九州生まれ。 こじらせ非モテですがミソジニズムやレイシズムには賛同しません。 生業はプログラミング(フロントからインフラまで)。 趣味は読書(哲学、社会、心理、経済、自然科学等)。 ADHDとASD持ち。

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自由主義社会では自分しか「よき生き方」を決められない⑥~全員がそうであっても論理的に絶対違いないと言い切れない話~

「本人にとってよき生き方」と「本人にとって悪い生き方」は本人しか決められないという自由主義のルールに関してこのような疑問が出てくるだろう。 『統計をとって全員が「本人にとって悪い生き方」だと思っていればそれは絶対に「本人にとって悪い生き方」なのでは』 『科学的に人間の脳内の幸福の原因物質みたいなものを測定できればそれは本人にとってよき生き方と決められるのでは?』 普通に生きてくだけならそう考えてもらって大体正しいけど、ひねくれてる哲学者たちは納得しないのだ。 仮に現在全

    • 自由主義社会では自分しか「よき生き方」を決められない⑤ ~「本人にとってよき生き方」と「本人にとって悪い生き方」~

      合法、非合法問わずドラッグの使用が「社会悪の生き方」でないなら「よき生き方」なのか? もちろんそうとはいえない。 「社会悪の生き方」ではない生き方を大まかに3つに分けてみた。 ・「本人にとってよき生き方」 ・「本人にとって悪い生き方」 ・「本人にとってよくも悪くもない生き方」 これらは社会や他人が決めるものではなく、個人の主観によって決められるのだ。 薬物使用者にはさまざまな生き方があるだろう。 ・若い頃のスティーブ・ジョブズが幻覚キノコを食べたりレゲエの神様ボブ

      • 自由主義社会では自分しか「よき生き方」を決められない④~薬物の使用は他人の権利を侵害する?~

        非合法でもドラッグの使用は他人の権利を侵害するものではない。 (幻覚を見ながら人を刺したりしない限りは!) これは「社会悪の生き方」だろうか??? 結論から言えば他人の権利を侵害していないなら自由主義のルールで「社会悪の生き方」とはいえない。 もし薬物の使用を自由主義のルールで考えることができるならそれは「社会悪の生き方」ではない。 「自由主義のルールで考えることができるなら」と書いたのはもしかしたら自由主義のルールを当てはめるのが不適切かもしれないということを示唆し

        • 自由主義社会では自分しか「よき生き方」を決められない③ ~自由主義社会では社会は「社会悪の生き方」のみ決められる~

          「よき生き方」を他人や社会が決めつけることはできない。 自由主義社会が生き方に関して唯一決めつけられるのは「他人の権利を侵害すること」を「社会悪の生き方」とすることだけだ。 「人から物を盗むべきではないよ」 「相手が拒否してるのに性的な強要をすべきではないよ」 これらの決めつけを本人以外の誰かがしても炎上することはない。 他人であっても誰かの窃盗や不当な暴力などに対して非難することは認められる。 政府が「社会悪の生き方」をしている人たちに干渉して罰を与えることもでき

        自由主義社会では自分しか「よき生き方」を決められない⑥~全員がそうであっても論理的に絶対違いないと言い切れない話~

        • 自由主義社会では自分しか「よき生き方」を決められない⑤ ~「本人にとってよき生き方」と「本人にとって悪い生き方」~

        • 自由主義社会では自分しか「よき生き方」を決められない④~薬物の使用は他人の権利を侵害する?~

        • 自由主義社会では自分しか「よき生き方」を決められない③ ~自由主義社会では社会は「社会悪の生き方」のみ決められる~

          自由主義社会では自分しか「よき生き方」を決められない② ~ある目的の中では何をすべきかを示すこともできる~

          自由主義社会では誰にでも当てはまる「よき生き方」は定義できない 社会や他者は「こう生きるべきだ」を誰かに押し付けることはできない。 言葉の使い方としてよく勘違いしやすいけど、同じ「べきだ」であっても他人がある(目的)の中で事実を元に有効な(手段)を示すことは認められているようだ。 「(長生きする確率をあげたいなら)運動すべきだよ」 「(子供のできる確率をあげたいなら)早めに結婚すべきだよ」 「(高い給料で安定した生活になる確率をあげたいなら)勉強して大学を卒業するべきだ

          自由主義社会では自分しか「よき生き方」を決められない② ~ある目的の中では何をすべきかを示すこともできる~

          自由主義社会では自分しか「よき生き方」を決められない①

          歴史上のエライ思想家たちは誰にでも当てはまる「よき生き方」についてイロイロ考えようとしてきたけど 結局のところ自由主義が出した答えは 「社会や他人はよき生き方を決められない。 相手の権利を侵害しないならどんな生き方をしても非難される筋合いはない」 というところで落ち着いてるようだ。 今でも一部の宗教指導者や伝統主義者、自己啓発本作家、説教くさい上司など「よき生き方」について絶対的な意見をもっていて押し付けがましい人たちもいるが、これらに強制力はない。 社会や他人は

          自由主義社会では自分しか「よき生き方」を決められない①