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【博物館レビュー】町田市立国際版画美術館「自然という書物――15~19世紀のナチュラルヒストリー&アート――」

 タイトルのとおり,町田市立国際版画美術館で開催されていた「自然という書物――15~19世紀のナチュラルヒストリー&アート――」に行ってきた話。すでに会期は終了しているので今更感。
 どうやら一部界隈でとても話題になっていたらしく,かなりの集客がありかつ会期の中盤くらいの時期にはすでに図録が売り切れてしまっていたという。
 恥ずかしながら私がこの展覧会を知ったのは会期が終わる4日程度前の時点。ちょうど教育と植物(または「自然」というもの)との関係について考えていた(注1)こともあって,展覧会タイトルを見ただけで行かねばならない使命感にかられた。

展覧会場入り口前のようす

 以下,思ったことをつらつらと書くかたちのレビュー。

 本展覧会がテーマとして掲げるのは、タイトルにもある通り、ざっくりいえば「自然」である。人がくらす場所からは少し離れたところにある「自然」というものを人はどのように描き記録してきたのか、ということを、歴史的に明らかにすることが本展覧会のテーマかつ目的だ。
 だいたいが「記録」を目的に描かれたものなので、たとえば印象派の絵画のような美しさをそこには期待することはできない。植物の葉、茎、花、といった各部分つくりはどのようになっているか、動物たちはどのように獲物を探し食事しているか、というような疑問への答えとなるように、ただ淡々とした記録が続く。かと思いきや、ファンタジー作品に出てくるような、現代から見ればバカバカしく思えるような「記録」絵画もある。それほどまではいかなくとも、実際の植物の葉の付き方とはまったく似ていないようなものが「記録」として残っているのだから驚きだ。
 ありのままをできるだけ忠実に写そうとしたものもあれば、一部を想像で埋めたようなものもある。または、聖書に書かれた、神が作った「自然」に合うように改ざんされたようなものもある。そのようなさまざまな「自然」の描かれ方が時代によってどう変わってきたのか、という点を知ることができるというのが、本展覧会のわかりやすいおもしろポイント。

 だがここで終わるのであれば、「美術館」の名を冠する施設でやっている意味があまり感じられないということになってしまう。いや、もちろん、活字や版画などの印刷技術についてとても詳しい説明と世界的にも貴重な印刷資料があるので、そういう部分は町田市立国際版画美術館だからこそできるもの、とはいえる。ただそれを加味しても、歴史系の博物館または植物園でも同じような展覧会はできるのではないか、という思いが少なからず起こってくるだろう。

 だが本展覧会は、そのような疑問を華麗に乗り越えてくる。最後に待ち構えているのが,「デザイン、ピクチャレスク、ファンタジー」と題された章で、人が自然へ向けていたまなざしがどのようにして美術作品に「輸入」されていったかを考察している。自然という人間を大きく超えるものを見つめるときに喚起される想像力が、美術制作に与えた影響はかなり大きいものなのではないか、というのである。
 とくに感心してしまったのは、ピクチャレスクpicturesqueという専門用語についての説明をした部分。ふつうピクチャレスクは、「絵のような」もっといえば「絵のように美しい」美術作品(とくに絵画作品)を指すものとして使われる。だが絵画作品に対して「絵のような絵」と言うこと(もちろん、ピクチャレスクをもっとも単純に言ったときに「絵のような」という説明になるのであって、実際はもっと厚い意味が込められている)は、もはや質の悪いトートロジーでしかない。
 しかし本展覧会は、ここまでの展示と絡めて下記のような説明をする。

 博物図の歴史において、[…]あたかも一枚の絵のように描写することは、珍しいことではありませんでした。人体解剖図の歴史においてはむしろ一般的であったともいえます。[…]動植物の場合は、生息環境を背景として描くことで、説明的かつ「絵のような」博物画となります。
 ひとつの画面の中にさまざまな説明的要素を同居させると、ときに不可思議な画像が生み出されることも興味深い点です。ここでは「ピクチャレスク」を複数の異なる要素を組み合わせて「一枚の絵」とし、それによって美的あるいは説明的効果を得るための手法と考えて、自然と美術の混合から生まれた作例を展覧します。

ベルナルト・ジークフリート・アルビヌス(著)『人体の筋肉と骨格の構造』
※上記説明の補足になるような展示の一部。メインとして描かれているのは人体解剖図だが,その背景にはまるで人間がふつうに散歩しているかのようなシーンが描かれている。

 精緻さ・正確さを求める「博物画」でありながら、同時に「絵のような」美しさも求めようとするのがピクチャレスクなのだ、と。美術作品として制作されたのではない「博物画」を題材としてきたからこそ可能になる、とても説得力のある解説に見える。恥ずかしながら私自身もこれまで、ピクチャレスクという術語への理解は「なんとなく」の範囲でおさめていた。しかし上記の解説によって一気に解像度が上がった気がする。

 こうして結局は、たんに自然物表象の歴史についての知識を得るだけでなく、美術にかんする知識も得て展覧会は終了することになる。まちがいなく美術館でしかできない展覧会、もっといえば、町田市立国際版画美術館でしかできない展覧会だった。

 デカルトの『方法序説』やフレーベルの「庭」についても扱われるというのでそれも楽しみにしていたのだが,その部分では期待していたほどの解説がなかったという点は残念。いちおう私も専門家なので,それは自分で調べてくれ,というメッセージとして受け取っておく。

注1:ルソーが「自然」とのかかわりの中で教育を論じた話や,フレーベルが「子どもの庭」として幼稚園を設計した話などはとくに有名。私の場合盆栽の研究をしていることもあって,盆栽や鉢植えによって作られる「内(私有地)」と「外(公共の場)」の境界線,そこでのせめぎあいによって生まれる教育・学習活動について,主に考えている。これについてはいつかもっと詳細な文章を書けるようになれればいいのだが。気長にお待ちいただきたい。


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