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【博物館レビュー】練馬区立美術館「日本の中のマネー出会い、120年のイメージー」

マネの名を聞いて思い出すのは《草上の昼食》、《オランピア》、《フォリー・ベルジェールのバー》あたりだが、本展覧会でそれら作品の実物にお目にかかれるわけではない。マネ自身の作品が勢ぞろいしているものと思っている人からすれば、この展覧会は拍子抜けしてしまうかも。
展覧会タイトルが示すように、マネという人物が同時代人、後世にいかに受容されていたか、という点が主題。そういう意味で、先の三作品のような代表作は飾られていないけれども、それら作品の与えたインパクトは伝わる内容。

日本の公立美術館の立場と現状をふまえれば、それら三作品を集め展示するということの困難は想像に難くない。だからこそマネの受容史に着目した、という消極的な理由は少なからずあるだろう。

ただし、当然ではあるが、そこで終わらないのが本展のすごいところ。同時代の印象派に属する作家の作品から戦前・戦後の日本作家、また何気なく見過ごしそうなマネ自身のエッチング作品までを数多く揃え、その7割以上に詳細なキャプションが付けられている。
また「受容」というときには,美術作品制作の実践における意味と、美術理論・批評理論における意味と、少なくとも二つの種類の「受容」がある。
同時代・後世の作品に見られる影響は前者の意味であるが、本展はそこに留まらない。「受容」には二種類あることを確認したうえで、美術理論・批評理論におけるマネの受容についても迫っている。具体的には森鴎外や木下杢太郎等の美術批評にかんする資料を実物で揃えるという徹底ぶり。
担当学芸員の熱心さと知識の深さが伝わってくる。

最後は現代作家の森村泰昌、福田美蘭の作品にて締められる。現代へのマネ(プラスその他アーティスト)の継承を見るには、やはり彼らの作品は隅には置けない。

あえて文句をつけるとしたら、全体を通してイキイキしていたキャプションが終盤には鳴りを潜めて作家の福田自身の解説に任されたまま展示が終わってしまうところだろうか。森村・福田への本展覧会をふまえた新たな解釈や、森村・福田を含む展覧会全体の総括のようなものがあってもよい。

そこを加味しても、担当学芸員のキュレーションの手腕こそが今回はもっとも褒められる部分。

公立美術館の未来は明るい。と思えた。

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