人身事故
期限には余裕があるが、図書館へ本を返しに行こうと思い立つ。
近くの駅に到着。改札へと向かう。
時間ギリギリ、早歩きで間に合うかどうか頭によぎらせながら、ホームに続く階段を下っていく。
ラッキーだ。間に合った。電車が止まっている。
でもなんだか様子が変だ。何だろう。
「~線、~駅での人身事故のため運転を見合わせております。今しばらくお待ちください。」
けたたましいアナウンス。
なるほど人身事故で電車が止まっていたのか。
どおりで様子がおかしいわけだ。
「~線、~駅での人身事故のため運転を見合わせております。今しばらくお待ちください。~線、~駅での人身事故のため運転を見合わせております。今しばらくお待ちください。ご迷惑おかけしております。~線、~駅での人身事故のため・・・」
緊急事態用のアナウンス。いつもよりけたたましく、とげとげしい低い男の声。破裂音のように大きな、耳の奥に響くような大きな声。緊張感が声色から伝わってくる。
「~線、~駅での人身事故のため運転を見合わせております。今しばらくお待ちください。」
人身事故か。列車に飛び込んだのか。
気の毒だ。人生をこんな形で終えざるを得ないような、強い無念を想像する。
かわいそうだな。そう思ったのもつかの間、電車があっという間に再開する。
「お待たせしております。~線、~行きの列車、人身事故のため停車しています。~線、~行きの列車、人身事故のため停車しています。・・・
~行きの列車変わりまして~番ホームから発車します。ご注意ください。人身事故のため停車しています~線、~行きの列車、変わりまして~番ホームから発車します。ご注意ください。・・・」
誰かが列車に飛び込んでも、システムと、それに従事する人間があっという間に修復する。
社会というものは、実にシステマチックに、実によくできている。
「人身事故のため停車しています~線、~行きの列車、変わりまして~番ホームから発車します。ご注意ください。・・・」
強い日差しがホームを半分照らしている。コントラストを描くように、濃い影がホームを二分割するように、縦長に覆っている。それにしても今日は暑い。
人身事故。
高速で移動する、人間なんか屁でもないような、大質量の鉄の塊に飛び込んで、砂利で舗装された線路に、ちぎれた肉を散らしながら死んでいくこと。
気の毒だ。もっとうまくいくはず、うまく生きていけるはずと思い、死んでいいったのだろうか。
全くの他人ながら、全くの他人でない存在。
「~線、~行きの列車、人身事故のため停車しています。~行きの列車変わりまして~番ホームから発車します。ご注意ください。」
さっきまで内面世界で展開されていた思考を横に追いやり、時間を確認する。
人のまばらなホームをカンカン照りの日差しがこれでもかと照らしている。
空は油絵のようにきれいな青をしている。
異様なほど綺麗な空。
ホームは日差しで暑いが、いぶされるような不快な湿気はない。
暑いが心地の良い天気。
手提げ袋に入った3冊の本の重みを右腕に感じる。
確認してなかったけど、今日図書館空いてたっけな。携帯忘れてきちゃった。まあいいか。
「~番線の電車、~駅に到着しました。今しばらくお待ちください。」
低い声のアナウンスは、先ほどよりかは落ち着きを取り戻していた。
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