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セックスは巧拙ではない(…はずv)

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映画「愛なのに」(監督 城定秀夫)

主人公の古本屋・多田浩司(瀬戸康史)はサエない三〇男ながら、女子高生の矢野岬(河合優実)から熱烈な求愛を受ける。がしかし、彼には忘れられない女性・佐伯一花(さとうほなみ)がいる。

一方、一花は婚約中の男の煮え切らない態度に業を煮やしている。あるとき男が浮気していることを知り、対等な立場に立ちたいとの思いから多田に関係を迫る。

婚約者への意趣返しがその理由と知った多田は気の進まないまま一花に応える。そのとき一花は初めてセックスの歓びを知り、身の振り方を思い悩む。多田は「一花の相手はその浮気男ではないし、俺でもない」と言う。だが結局、彼女は予定通り浮気男との結婚を選ぶのだった。そして、多田は長い時間をかけて岬との関係を構築しようとして物語は終わる。

さて劇中では、一花の婚約者(浮気男)がセックス下手というところにすべてを帰結させている感がある。しかし、そうじゃないだろう。

一花が結婚する男とのセックスに気持ち良さを感じず、多田とのそれに良さを感じたのは上手い/下手ではない(…はずだ)。後者にあって前者にないもの──、それは心である。それ以外の何ものでもない。

私の決して豊富とは言えない経験から言えるのは、セックスの歓びはスポーツと同様、心技体が備わってこそ初めて得られる! ということだ(ドン‼〈机を叩いた音だ〉)。そのうち、「技」すなわち、テクニックの巧拙が占める割合は極めて小さい(…と思いたい)。

もちろん、気持ち良さにも色々あるから、多少上手ければレベルの低いそれは得られるかもしれない。あるいは、浮気や不倫といった特異な状況下にあれば、その感覚が高まることだってある。

しかし極上の歓びを得るには、「体」のコンディションが万全であることが必要条件になるし、何より十分条件としての「心」が重要となるのだ。

だから、劇中の神父さんも言ったではないか。

「御心のままに」と──。

神の御心とは(宗教的な解釈は知らぬが)、曇りのない赤子のような心のことに違いない。お互いを思う心。純粋に思いやる心。それしかない‼

はて、今回は何でこんなこと力説しているのだっけ?(一応、下手だという自覚はあります……ハイ)

画像引用元 YouTube

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