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Carnaval

死にたくて、死ねなくて。
自殺して誰かに迷惑をかけるわけにもいかず、安楽死を望むも、この国にはそんな制度がない。
海外の制度のある国で安楽死の権利を得ようと思うも、診断書もコネクションもお金も時間も必要だし、なによりお母さんの笑顔が私をつなぎとめる。
私はそれでも死にたくて、安楽死の権利を得るため動き始めた。
診断書は必要だが、いくつもの病院やSNSでお医者さんに相談していくうちに、いずれなんとかなりそうだということがわかってきた。
お金は……働けば作れるだろう。これまで引きこもってばかりだったが、働き始めた。
診断書作成のため、お金作りのため、苦痛な時間はこれからも続いていくことになるだろう。気構えだけはしっかりとして、誤っても自殺はしないことを心に決めた。私は合法的に安楽死するのだ。誰に迷惑をかけることもなく。
お母さんにはこのことを言えずにいる。幼いころに両親は離婚しているので、お父さんはいない。だからこそ、ひとり親のお母さんの悲しい顔だけは、できれば見たくない。
この点だけが、安楽死までの最大のハードルだった。
それでも私は、まずはそれ以外のハードルを越える準備を続けた。
お母さんへ伝えるのは準備ができてからでいい。
私は安楽死制度のある国の支援団体へ連絡を入れた。私がどれだけ本気なのか、なぜ自死の思いに至ったのか、深く聞かれた。自殺ほう助の罪に問われる可能性があるかららしい。私は正直に真摯に答えた。これほど本音で人と語り合ったことはない。まさか海外の人と心の底から分かり合えるとは思っていなかった。安楽死という安らぎを前にはじめて親友を手に入れた。安楽死のおかげだ。
こうしてコネクションも手に入れた。手続きも万事進めていけるだろう。

それからしばらくして、お金も、診断書も、あちらの国での手続きの準備も、すべて用意が完了した。
お母さんに私のこの思いを伝えるときが来てしまった。一体どんな顔をするだろう。

「お母さん、あのね」
「なに?」
「私、死にたくて」
「うん」
「海外の安楽死制度がある国で準備してたんだ」
「うん」
「そのために一生懸命働いてお金を溜めて、海外に行くために健康にも気を付けて、あっちの国で色々手伝ってくれた人とは親友になった」
「うん」
「それまでに自殺したくならないよう、自分の心にも気を回して、親友からたくさんの支えを貰って」
「そう」
「そうしてるうちに、もっと生きていたいと思えてきたんだ」
「知ってるわよ」
「お母さん、私、まだ死にたくない」
「最近貴方ずっと生き生きしてるんだもの。死ななくたっていいじゃない」
「うん」
「生きていられなくなったら死ねばいい。それまでは生きていればいい」

子どものとき以来だったと思う。
お母さんの胸で死ぬほど泣いた。死んでないけど。

死ぬために一生懸命準備しただけ。それだけなんだけど、その間、私は楽しかったんだ。昔の、中学生のころの文化祭を準備してるときと同じ気分だった。

いつか、この体にお別れを告げるときが来るかもしれない。
それまでは、その時が来るまでは、もうしばらく、安楽死するための準備を続けよう。

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