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さよならサンガーノ

宮森はやとさんが画家をお辞めになりました。



個人的には真説・ミヤハヤ夜話を書いた時点で「(それが自分の救いになるなら)好きにしなはれ」と思っていたので、それに対して思うことは特に無いのですが、それ以上に「SNSから距離を置く」というご判断については諸手を挙げて称賛したいと思います。

そもそも画業やそれに関連する仕事で生活していたわけではない彼が画家を辞めるというのは、あくまでも「肩書を名乗らないようになる」ということでしかないと思いますし、そもそも彼の創作活動にご自身にとってのセラピー以上の価値は無かったと思うので、今回の引退は「セラピーが必要無くなった」もしくは「セラピーどころではなくなった」ということなんだと認識しています。

そして、自分自身を癒すためのセラピーを辞めて、外の世界に向き合おうとされるのであれば、「本人が納得しているならそれで良いんじゃないか」と、その意志を尊重するのが知人としてできる唯一のことかなと思いますし、絵を描きたくなったら画家を名乗らずともまた筆を取ればいいだけだと思います。そういう表現の選択肢を持っているというのは人生を豊かにするので。

しかし、「SNSから距離を置く」というのは、彼のように「他者からの承認」に振り回されてアイデンティティを見失っている人にはかなり大切なことだと思いますし、それを炎上によるメンタルダウンなどの逃避的な意味ではなく、ご自身のタイミングで決断されたことは本当に大きな意味があると思います。

ご本人から引退の真相を聞いているわけではないので、どんな経緯があったのかは知りませんし、「本人がそう決めた」以上は知ろうとも思わないんですが、そうやって詮索しなくても特に根拠無く「あの人ならなんとかなるでしょ」と思えたり、「最悪なんとかならなくても別にいいっしょ」と割り切れるような関係性は実にインターネットっぽいなと思いました。

彼と同様に「SNSから距離を置いたほうがいい人」は結構多数存在していて、「集団ストーカー」みたいなワードが出てくる人は当然そうなんですが、それ以外にもSNSのせいで人生をこじらせてしまった人が多く存在しているというのはこれまでに書いた通りです。

そして、そんなこじらせてしまった人に向けられるのは「最悪死んでも自分の人生に影響は無い」という目線であり、そんな希薄な関係性に固執する必要は確実にありません。それなら家族や友人、クラスメイト、職場の同僚といった身近な人々との関係性をしっかりと構築しておくことのほうが、人生において助けになることが多いです。

SNSでの反応に一喜一憂するだけで身近な人達と向き合って関係性を構築しようとしないのは、自分という存在を近くでまじまじと見られると「醜さ」や「弱さ」がバレてしまうという恐怖があるのかなと思いますが、結局そうやって現実に存在する隣人の目線を避けたところで何も得られるものはないと思いますし、そういう「醜さ」や「弱さ」を持った自分を受容して、他者に開示していけるようになるのが幸せになるための第一歩だと思います。

じゃじゃまるは「画家」でも「ブロガー」でもない「宮森はやと」という人物の大成を心からお祈り申し上げております。


金払えよ