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安心してください。全部、妄想ですから。

信念が未来を創るとしたら、私のそれはなんだろう?

自分がどんな信念を抱いて生きているのか。
あまり考えたことがなかった。

なりたい自分ならいるし、理想や憧れは常にある。自分に満足することは難しいし、満足し続けることは、更にだろう。

なので、目標はあれやこれや考えてきたけれど、自分の中のデフォルトについて意識したことはなかった。

大抵の日本人なら、みんな同じなんじゃないの?

なんて、大雑把に考えていたのだけれど、信念は案外、プライペートに左右されるみたいだ。

私は人目を気にする。
それは、誰に対しても平等に接するべきという信念があるから。

もっともらしく見えて、その実、
私をバカにしないで欲しい
私を対等に扱って欲しい
という過去の悲しい記憶が原因だった。

悲しみが正論という鎧をまとったものが、私の信念だった。

もちろん、楽しいことや、成功体験から作られているものもあるだろう。けれど、生きづらさをもたらす信念は、恐らく過去が理論武装したもの。

立ち直れないほどの悲しみではなかったはずなのに、囚われ続けることで知恵をつけ、執着することで、生き方まで歪めるほど強固な信念になる。

今後は、固執しないように心がけよう。

それだけでは、足りない。
未来を創るのは、無意識の信念。

なら、今、この瞬間も、偏った信念が、生きにくい未来を築いていることになる。そんな恐ろしい連鎖は、即座に断ち切りたい。

望む未来に相応しい信念にしよう。
要らないものは手放して、極力シンプルにして、執着を減らす。

そこで、信念を変える方法を考えてみた。

一つは、過去の傷を癒して、手放すこと。
二つ目は、新しい信念で書き換える。
三つ目は、過去そのものを妄想とする。


過去の傷は、多分、もう癒えている。
正論に隠された悲しみに気づいたから。

生きにくさは、不都合な信念を手放すためのサインかもしれない。

次、新しい信念です。

他人がどう思おうと、その人の自由なのに、正論っぽいことを盾に、相手の権利を奪おうとしていたのだな。
それは、面倒くさい人だろう。

しかも、自分の態度が悪かったのかな?
とか、あれやこれやと妄想を膨らませて、落ち込んだり、怒り始めたらするわけだもの。

相手が優しい人なら、慰めることに疲れるだろうし、意地悪な人なら、反応を楽しむことだろう。

私が人間嫌いなのは、他人の反応に自分の有り様を委ねてきたから。

なので、相手がどう思おうと、自分らしく過ごせばいいだけのことだった。うん。ん?

…私らしさ?

長らく行動基準が他人だったせいか、自分らしさについては、よくわからないけれど、相手の領域には、口出ししない。
それを、新たな信念としよう。

三つ目は、目を開いて見えないものは、全て妄想と考えてみる方法。
過去や記憶、感情、思考は、自分が作り出しては、勝手に苦しんでいるもの。
そう言われてみると、確かにそうかも?

なんて思うのに、これができない。

気がつくと、感情やマインドに支配されている。難易度は高めだけれど、悟ってしまえば、人生に苦しみはなくなると思われます。

修行は嫌なので、悟ることはないでしょうが、非常に良い便利な考え方だと思っています。

過去の傷も、悲しい記憶も、自分で思い出せないほど些細なものまで、一気に全部解消できる魔法みたいな発想だから。

安心してください。
妄想ですよ?

そんな呪文で、人生を軽々と生きてゆけたら、ちょっと楽しそうです。

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