死んでしまう系のぼくらの、好奇心
前回に引き続き、感情や不安やもやもやの記録をしておくと、あとで面白い気がするので、書き連ねます。モラトリアムofモラトリアムにいる私は何やら、普段以上に考え込んでしまうみたいです。
ぱらぱらと、繋がりのあまりないことを3つ書こうと思います。
1)軸がないことがなぜ不安か
「軸」がないことに対する不安は、なぜ出てきてしまうのかというと、もしかすると誰かの「役に立っている」感じを強く感じないからかもしれない、と思いました。「必要とされてる」っていうことに対する満足感がないからかも。
別に、「誰かに必要とされてない人間なんだ、、、」とかって思い詰めているわけではなく、そういう「誰かに頼りにされたい!」っていう欲丸出しの部分が存在することを、自覚しなきゃいけないなと思ったのです。
2)社会人になったら、死んでしまうの?
よく、この時期は「大学生のうちに〇〇やった方が良いよ」と言われます。私もよく「大学生のうちにやっといた方がいいことってなんですかね」って聞きます。でもこの言葉、なんだか焦らされる感じがして。なんだか「社会人になったら、死んじゃう」感じがするなあ、と歩きながら考えました。
ちなみに、このnoteのタイトルは、最果タヒさんの『死んでしまう系のぼくらに』から。でも詩集の内容とnoteの内容は特に関係ないです。
話は飛びますが、私は「終わり」を気にしてしまうことがあります。例えば、とても楽しい時間なのに、この時間は○時に終わってしまう、と思うと「今、その時」を100%楽しめない。終わりへの悲しみと焦りで80%くらいしか楽しめないことがあります。
他にも、他人や動物、そして自分に対しても終わり(すなわち死)を意識してしまって、気が気じゃなくなることがたまにある。「大学生のうちに〇〇やった方が良いよ」という言葉は、そんな気持ちをさらに加速させる感じがする。
一方で、時間は有限だとわかっているし、社会人になったら明らかに大学生よりも自由に使える時間はなくなるので、それは認識しながら、今やりたいことをやらなきゃなあと。うーむ。
皆さんは、大学最後の1月〜3月、(戻れるなら、もしくは今から)何をしたいですか?
3)内向的な好奇心
2と関連するのですが、最近自分の内向的な部分をとても感じます。
小さいことだけど、カフェとか、お店とか、フラッと一人で入ることが、とても心に大きな負荷をかけたりして、結局入らない、ということがある。(そのせいで、いまだに一蘭ラーメン食べられてない。このまま一生食べないで終わってしまうんだろうか。笑)
じゃんじゃん新しい店を開拓できる人はすごいなあと思います。(こんなちゃっちいことだけじゃなくて、他にも自分の内向的なところを感じることはあるんですが、整理できてないのでまた今度。)
じゃあ、なんでフィリピン行ったり、2年休学してインターンをできたかというと、それはきっと(特に応募時に)フィーバーしてるからなんだなと。フィーバーしている時は、内向的な自分よりも、自分の中の「すぐ動きたい」っていう衝動の方が強くなっているから、動けるという。
今現在、自分の中の内向的な部分が特に強くなっているのですが、好奇心がないというわけではなく、例えばこうやって、自分の中にどのような傾向が存在するかとか、そういうことに今は目が向いてます。悪いことではないと思うけど、この時間の使いかたでいいのかなあとか思ってしまう。
だがしかし。そんな私の、24歳の私の目標は「コツコツと、しかし圧倒的に大胆に」なのです。
元々、毎日何時間もイラストや漫画を書いたりするような子供で、地味にコツコツすることはめちゃ好きなんですけど、外に出ようとすると、一回自分のスイッチを入れないといけなくて。
コンフォートゾーンから抜け出すことができない、みたいな。今まで努力してきて、成長してきたのはわかる、よかったね。でも、あとこのスイッチ入れれば更にここまで成長できるのに、、、、それができないことがしばしばある。だから、コツコツと続けることはするけど、圧倒的に大胆に。自分でもびっくりするくらい大胆な人間になる24歳にしたいと思います。
今日は、その第一歩として、初めて入る奥まったところのパン屋さんで、クロワッサンを買いました。(我ながら、なんとちっちゃい一歩なんだ。)
勇気が出ない時は、圧倒的に大胆に、を合言葉に動いていこう、と思います。
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