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リディラバという線の上で。

先週、一年間続けたリディラバでのインターンを卒業しました。
結構ガチでフルコミットでやったインターンだったので、中途半端なことは書きたくないなあと思いつつ、いざ書こうとすると、なんか気取った感じになるから嫌だなあと思っていたところ、ふと後輩に送ったSlackでのメッセージが割と自分の本音を語っているなあと思ったので、それを元にnoteを書こうと思います。
(なんだか徒然草の出だしみたいだ。笑)


リディラバにジョインした理由

リディラバにジョインすることを決めたのは、まだフィリピンにいた2018年の4月のことでした。ただ、人々の関心・無関心に興味が生まれたのはもっっと前、私が小学校の時からでした。

詳しい話は書きませんが、私の小学校の時のクラスは小学生にもわかるくらい「目に見えて」多様なバックグラウンドを持つ子供たちの集まりでした。特性だったり、障害だったり、国籍だったり、家庭状況だったり。

一方で、目に見えて「私と違う」「あなたと違う」という状況に戸惑う私もいました。その「違う」に対する抵抗感にも似た戸惑いは、クラス全体からも私は感じていて、そういう「違う」から距離をとっている子が多かった気もします。私もその一人でした。

じゃあ、それに対して私が具体的な違和感を持っていたかというと、はっきりとは持ってたわけではなく(小学生ならそんなもんかもしれませんが)、目の前の生活があって、家族がいて、それ以上のことは考えられていませんでした。

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▲小学生の時のワイ。やっぱりタレ目でした。

時は変わって、大学生。
大学では、たくさんの人との出会いと、たくさんの知識との出会いがありました。
またこの時期は、私の周りにもたくさんの変化がありました。身内にいろんなことがあり、他人事だったことが自分ごとに変わる期間でした。どうすれば私も、社会に変化を起こせるだろう?そんなことを初めて真面目に考え、国際人権NGOでインターンをはじめました。

国際人権NGOでインターンをしている時に気づいたのは、活動の「内輪感」。
イベントをしていても、来てくれるのはよく来てくれる人がメイン。内輪の外までもっと影響を出すためにはどうしたらいいだろうか?と色々やってみるものの、外までリーチさせるのはなかなか難しかった。

▲こんな感じでさまよってました。

同じコミュニティの中では認知が広がっていたり、イシューについて議論ができたとしても、いざそのコミュニティを一歩飛び出ると、まだまだそんなことはなく。このままだと、自分のやっている活動が自己満足のままに終わってしまうのでは、という危機感もありました。

それはフィリピンにいても同じで、(自分のやっている活動がただの自己満足である、という意識はフィリピンで無くなったのですが)「内輪感」を通り越して、どうしたらもっともっと外を巻き込みながら社会を変えるにはどうしたらいいのか?ということはずっと私のテーマでした。

▲古巣のe-Educationを外から見ることができたのもとても面白かった。

そんな時に出会ったのが「社会の無関心を打破する」というリディラバの理念でした。
リディラバの考えていることや、「社会の無関心の打破」「社会課題の構造化」という部分にとても納得し、当時就活も並行して行なっていたものの、あまり迷うことなく2年目の休学を決め、リディラバに飛び込みました。


リディラバでやってきたこと、など。

リディラバで一年間やってきたわけなんですが、まず痛感することはこのこと。▼

私たちはまだ社会の大きな現実をまだ変えられていない、やるべきことはたくさんある。やってもやってもキリがないかもしれないし、どうしようもできないこともあるかもしれないけど、でもやるしかない。

卒業して、なんだかホッとした時に、残ったインターンのメンバーにこんなことを言われてハッとしました。

話は少しずれますが、この「やってもやってもきりがない」社会に一番近く寄り添えるのがリディラバの4つの事業部のうち、私が所属していた教育旅行事業部だなと思います。

中学生や高校生が修学旅行や研修などで、社会問題を解決している現場のスタディツアーに参加するのですが、私はそのツアーの企画やアテンドなどをしていました。(インターンとしては、他にも営業やオフィスのなんでも屋みたいなことをしていました。)

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▲そういや、同年代向けにイベントもさせてもらえて楽しかった。

関心もバラバラ、バックグラウンドもバラバラの中高生(多いときは400人!)を相手に、時には全然伝わらない、、、ってなることもあるけれど、それでも少し少しを積み重ねて、やっと一人に伝わって、それが社会を変えていく。

でもそれだけだけじゃなくて、もっと大きく制度的に無関心の打破をできる構造を作っていく。

その両方ができるのがリディラバじゃないかなと思います。

あとは、私がしていたことにフォーカスして書くと、リディラバの(当時)唯一のフルコミットインターンとしてオフィスの何でも屋みたいなことをしていました。

これは、フルコミットインターンという立場の中で、どうしたらリディラバという組織、そしてそのリディラバが目指している「社会の無関心の打破」に少しでも私が力になれるか、と考えから始まった私なりの「あがき」でした。

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▲これはどっちかというと、ドッカンドッカンやってるとき。

どっちかというと派手で大きな仕事が好きで、ドッカンドッカンやりたい私。そんな私が一年間、オフィスの何でも屋になれるように動いた結果気づいたことはこんなこと。

・オフィスの何でも屋になれると、他の事業部のメンバーとも仲良くなれる
・オフィスの何でも屋になれると、新しいメンバーともすぐ仲良くなれる
・オフィスの何でも屋になれると、チャンスが舞い込んでくる
・オフィスの何でも屋になれると、みんなの気づいていないことに気づける
・オフィスの何でも屋になれると、会社全体の仕事がつかめる

もともと、「社会の無関心の打破」にどうしたらもっと自分のパワーとさけるか、と考えた結果始めた何でも屋。お茶出しも電話取りも、すべて最終的には「社会の無関心の打破」に向かっている、という気持ちで一つ一つの仕事をさせてもらいました。そしたら、こんなにもいいことがたくさんありました。

特に、「新しいメンバーともすぐ仲良くなれる」っていうのがとても大きくて。
私はフルコミットインターンであることをいいことに「オフィスでわからないことあれば、何でも聞いてくださいね〜」という風に新メンバーにもお近づきになれ、そこから面白い仕事が舞い込むことが多かった。

▲ストレングス・ファインダーでも、こういうポジション
向いてるよって言われてました。

他のリディラバのメンバーによると「ジェイミーのいいところは、上にも下にも壁を作らないところ」らしく、どうやらこんなポジションが向いているっぽいのです。どんな仕事についても、どんな役職になろうと、このいい部分は伸ばしていきたいなあと思いました。


ところで、次は何をするのか

ずっと関わっていたインターンをやめ、じゃあお前さん次は何をするの?ということもよく聞かれるので、書きます。

このあと半年は「普通の」大学生に戻ります。卒業論文を書かないと、どうやら大学は卒業できないらしい。(わかっていたけど。)そして、卒業しないと、内定先には就職できないらしい。(これもわかっていたけど。)
そんな感じで、卒業論文に半年間誠実に向き合いたいと思います。すでに卒業ずみの周りの友人たちから、卒業論文の恐怖を脅されまくっていて、とてもビビっているのですが、もうやるしかないと腹をくくって取り組みます。

▲社会の無関心の打破について安部さんが熱く語るページ。
私がリディラバジャーナルの中で一番好きな文章かも。

卒論の内容は、「スペイン独裁政権下の大衆の社会・政治に対する関心と無関心」をメインに書く予定です。もともと、リディラバに入ったのも、人々の関心・無関心に興味があったため。休学していた間のインターンで学んだことも、確実に論文につながっています。あと、私はやっぱりどうやら日本社会の独特さに興味があるらしい。スペインの当時の社会と日本社会を相対的に見られたらいいなと思っています。(果たしてそこまでいけるのか、、、!??)

そして、卒業後は本社が東京の企業で働き始めます。
結構大きな株式会社で、今まで関わってきたようないわゆる「ソーシャルセクター」とはかなり毛色が違うだろうなとは思います。

▲就職先を決めた理由はこちらに書いてます。

やったるで!と思う反面、正直少し怖くもあります。私が何とかしたいと思っていた「やってもやってもきりがない」社会に取り込まれてしまうような気がして。

でも、多分きっと会社の中もグラデーションだろうし、今までと全く違う場所に入るからこそ見えてくることもあるはず。私がずっと思っている「ビジネスの側から、大きな団体の側から社会課題を解決することを考えたい」ということもかなえられるだろうなと思っています。

どうなっていくかは、私次第。本当にそう思います。


最後に:志はともに、無関心の打破の旅はずっと続く

リディラバには、思いも個性も多様なメンバーがたくさんいました。

象の大きな歩みで、どっしり、確実に進んで行けるメンバーもいれば、ネズミのようにちょこまか仕事をしながらあっちこっちにぶつかる人間も。(ちなみに私は後者です。)

大きな象の背中には、他の仲間もたくさん乗れるはず。そして、象がいけないような小さな道はネズミとかが開拓できるはず。

でこぼこがうまく重なって、パズルになって回る感覚がリディラバにはありました。こんなメンバーたちと一年過ごせて、本当におもしろかったです。

うぎゃーってなるようなことをたくさん抱えている日も、オフィスに行って、みんなとあーでもない、こーでもないと画策していれば最後にはもっといいものがそこには残っている、そんな感覚をたくさん感じました。

余談ですが、卒業する夜に安部さんに、たまたまこのツイッターに書いてある話をしていただいて思わず涙が出てしまいました。

会ったことのない人も含めて、リディラバを作り上げてきてくれた人の延長線上に私はいるのだと、そしてその延長線をもっともっと伸ばしていきたい。そう強く思いました。
志はともに、無関心の打破の旅はどこにいても続けていきたい。そして、旅の途中でまたリディラバに戻りたいと思います。

改めて、一年間ありがとうございました。

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