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捉え方は自分次第【お客様サポート紹介-鵜瀨沙樹-(前編)】

今回ご紹介するのは、ジェイック就職カレッジお客様サポートとして活躍する鵜瀨(うせ)沙樹。
「自分の人生におけるキーワードは”感謝”」と言う鵜瀨は、これまで打ち込んできた柔道を通して「どんな出来事も捉え方は自分次第だから、どうせなら感謝してプラスに受け止めたい」と、経験を基にした教訓を得ています。
前編では、そんな教訓を得るに至った鵜瀨の前職までの経験を語ってもらいました!


兄のように格好良くなりたくて

2人の兄がいる三人兄弟の末っ子で育ちました。兄が2人とも柔道を習っており、柔道している姿の格好良さに憧れて、5歳から私も柔道を始め、13年間柔道と向き合いました。


柔道の先生を追いかけ、友達がいない環境へ

兄が本気で柔道をやっていたがゆえに、お世話になっている先生を追いかけて、私が小学校へ上がるタイミングで引越しをしました。当初は友達がいない学校へ行きたくなく、毎週月曜日は学校を休む気弱な一面がありましたが、次第に友達ができたことで、徐々に学校へ足が向くようになりました。
ちなみに小学校以降、中学・高校・就職と、全ての段階で「友達が誰もいない環境へ引っ越す」経験を繰り返しますが、これらの経験のお陰で新しい環境への順応性は高くなりましたし、「やってみればなんとかなる精神」が培われたと思っています。



強くなりたくて

小学3年生になってからは、兄が通う中学校での柔道の練習に混ざって稽古をするようになりました。小学生と中学生、しかも男女の違いではもちろん体格差があり圧倒的に不利でしたが、「中学から柔道を始めた初心者に負けたくない!」という気持ちがひときわ強かったです。
だから「強くなりたい!」という一心で、最年少ながら練習に打ち込みましたし、この頃から負けず嫌いな性格が育ち始めました。


一度は離れた柔道

強くなりたかったので、お世話になっている柔道の先生を追いかけて、中学はまた、友達が誰もいない学校へ進学しました。このまま柔道に打ち込む中学生活を送る予定でしたが、実は2年生の時に一度、柔道を辞めました。
というのも、一緒に柔道をしていた男友達の親から陰口を言われたり、あること無いことを先生に告げ口をされたことで、先生からの印象が悪くなったようで、突然強い言葉で突き放されてしまったのです。

「お前を強くしてやるために指導しているわけではない」



それでも柔道が好きだったから

先生を追いかけて遥々友達がいない学校へ進学し、強くなりたい一心で今まで練習に打ち込んできた中で、突如突き放されたことがショックでしたし、先生に裏切られた気持ちになりました。だから「無理して頑張るよりも、友達と遊んだほうが楽しい」と、柔道から離れました。
ところが、辞めてからも柔道そのものが好きな気持ちは変わらなかったので、高校進学を決める際に「本当はまた柔道がしたい」と親へ打ち明けました。


突き放されたはずなのに

今まで応援してくれていた親は、私の気持ちに喜んでくれたので、また柔道ができるよう進学の準備を始めました。結果として、柔道の特待生として進学が決まりましたが、実はそのためのサポートに、突き放してきた先生の尽力があったと耳にして驚きました。
どうやら幼い頃の私が柔道を始めた時に、

「あなたの娘さんを俺に預けてほしい」

と、覚悟を持った言葉を父に掛けてくれていたにも関わらず、自分の言葉でショックを与えて柔道から離れさせてしまったことに罪悪感があったようで、気にかけてくれていたのではないかと思います。


現実をどう捉えるは自分次第

その時、「つらい出来事があっても、感謝できる要素は必ずある」と学びを得たと共に、私の人生のモットーになりました。
柔道での経験は、ここには書ききれないほどつらい出来事がたくさんありましたが、「この経験をさせてくれたことに感謝」と受け止めることで、つらい出来事もポジティブな気持ちに昇華させることができます。ある意味処世術ではありますが、そう思わなければやっていられないほどつらい経験も、自分次第でいくらでも受け止め方を変えられると、この時強く痛感しました。
ちなみに、その先生は今でも連絡を取り合う仲で、今でもずっと感謝している恩師です。



高校卒業後の進路は就職?まずは遊びたい!

高校も友達が誰もいない学校へ進学し、柔道に明け暮れ、部活の引退と共に進路を考える時期になりました。親は「女の子だし大学は行かなくてもいいんじゃない?」という意見で、私自身も柔道以外にやりたいことが無かったので、進学ではなく就職の道を選びました。
ただ、今まで柔道一本で頑張ってきたので、アルバイトもしたことが無いままいきなり社会に飛び込むことは不安でした。そして、「今まで柔道を頑張ってきた分、思いっきり遊びたい!」という気持ちが強かったので、「高校を卒業したら、とりあえず1年は遊んでから就職しよう」と方針を固め、担任の先生へ「私は就職しません!」と胸を張って宣言しました。


一枚の求人票

ところが私の発言を受けて、先生はとある一枚の求人票を手にして、「俺の地位のためにも、お願いだからここだけは受けてくれ…」とおっしゃいました。今だからわかりますが、自分の生徒が「進学も就職もせず、とにかく遊びます!」と宣言してきたら驚くでしょうし、せめてどこか受けてからその決断に至ってほしい…と心配してくれたのでしょう。
だから当時は渋々先生のお願いを聞き入れ、渋々その求人票の会社の面接に行ったところ、幸運なことに採用されてしまい、前職である通信業界での接客業への入社が決まりました。



学校よりも勉強する社会人生活

卒業後、初めての一人暮らしと社会人生活が始まり、当時は「仕事って大変…」という気持ちでいっぱいでした。
アルバイトをしたことが無く、電話の取り方も接客の仕方もわからなかったので、会社では必死にメモを取り、帰ってからは復習とロープレを繰り返す毎日。柔道しかやったことがなかったからこそ、家に帰ってからも必死に勉強しなければ、同期と同じレベルに追いつけなかったのです。
ただ、柔道を通して負けず嫌いな性格が培われていたので、「同期より上にいきたい!」という一心で、学生時代以上に必死で勉強をしました。


負けず嫌いに更に火がついた出来事

入社当時は「同期より上にいきたい!」という想いで勉強していましたが、次第に「先輩より上にいきたい!」、「会社で一番になりたい!」と、徐々に目標が上がった出来事がありました。
ある日担当をしたお客様は、色々と提案をしたものの購入の決定打に欠けたようで、最後に「今日は契約せずに一旦持ち帰ります」と決断をされたので、私はお気持ちを尊重して「またいつでもご来店ください」とお見送りをしました。
すると、その一部始終を見ていた当時の店長が近付いてきて、「どうしてお帰ししたの?」と聞いてきました。なぜと言われても…と思いつつ、「『結構です』と言われたので…」と返事をすると、遠回しにダメ出しをされました。

「契約を取れないなら、帰られる前に担当を変わって」


努力した結果、店長へ昇格

瞬間、「絶対この上司より知識をつけて、売れるようになって、見返してやるぞ!」と、負けず嫌いに火がつきました。それから今まで以上に商品について勉強をして努力した結果、2年目から社内で上位の成績を安定して獲れるようになりました。そしてダメ出しをした店長が、次第に私へ仕事の相談をしてくるようになったのです。
そうして5年目のタイミングで、ついに店長に昇格しました。入社当初から必死に頑張ってきたので、「やっとここまで来れた」と嬉しかったですし、「よくここまで来れたな」と感慨深かったです。だから、あの時やる気に火をつけてくれた上司にはとても感謝しています。



初めての転職活動

前職はやりがいもあり、人間関係も良好で、とても素敵な職場でしたが、妊娠出産を機に退職を決意しました。サービス業で土日休みが取れないことが今後の育児で懸念だったこと。そして時短勤務で働くには、正社員ではなくパートに雇用形態を変えなければならなかったことから、やむなく退職せざるを得ませんでした。
当時近所には職場の同僚しか知り合いがいない環境で、育児を頼れる人がおらず心細かったのですが、なんと私の地元へ引っ越すことを夫が提案してくれたことで、引っ越し後に育児をしながら転職活動を始めました。


【続編へ続く!】

柔道や前職での経験を通して「どんな出来事にも感謝できる要素がある」と教訓を得た鵜瀨。後編では、ジェイック入社時のエピソードや、就職支援に懸ける想いに迫ります!



後編はこちら!



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