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「どうせ無理」という言葉のない社会をつくる【就職アドバイザー紹介‐鎌江香織‐(前編)】

今回ご紹介するのは、ジェイック就職カレッジのアドバイザーとして活躍する鎌江香織。
元来の世話好きな性格から、温かくも真摯に向き合う面談が好評な鎌江は、「『どうせ無理』という言葉のない社会をつくる」というジェイックのビジョンに共感し入社しています。
前編では、そんなビジョンに共感するに至った鎌江の過去を語ってもらいました!



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活発で正義感溢れる幼少期

幼少期から活発なタイプで、一人でいるよりもみんなでワイワイ遊んだり、学級委員長をするようなタイプでした。
当時から困っている人を放っておけない性格で、いじめられている人がいたら、頼まれてもいないのに「ちょっとちょっと!」と仲裁に入っていたので、友達からも「正義感がある」と言われるような子供でした。


やりがいとハードワークの狭間にある想い

職歴は、ジェイックに入社する前に正社員と嘱託、そしてパートで5社経験しています。
就職氷河期の真っ最中に入社した1社目は、通信業界の最大手でした。やりがいがある総合職の入社で、昇進もしましたが、当時の時代あるあるで、働き方は非常にブラックでした…。ですから、この先もこの会社でずっと働き続けられるイメージが湧かず、3年ほどで退職し、地元の山口に帰りました。
その後、公的機関の嘱託職員を2社経て、ハローワーク経由で地元の新聞社に転職し、13年ほど勤めました。



ハードワークでも13年間勤められた理由

この時も、働き方は非常にハードでした。地域や人に貢献する事業運営に携わることで、やりがいこそありましたが、サービス残業が多く、縦社会が根強く残る社風に働きづらさもありました。
そのため女性社員は長続きせず、結婚して辞めていく方が多かったです。私も結婚してからは家庭との両立に悩むことはありましたが、地方で正社員として働ける仕事は限られますし、何より夫のことを考えると簡単には辞められませんでした。
夫はサッカーの指導者をしていて、チームの状況や身体面を考えると長期的な予測がつかない仕事です。ですから「私が正社員として夫と子供を支えなければ!」と思っていましたし、今も同じ想いです。それが原動力で、ハードワークの中でも13年間頑張ってこれたのだと思います。


人生を変える大きな転機

ところがある日、夫が仕事の関係者から

「管理職として来てくれないか?」

と熊本のチームからオファーを受けました。
当時家を買ったばかりでしたし、私は40歳を過ぎていましたし、未就学の子供もいたので、「まさか地元から出るなんて!?」と戸惑いもありました。


「全てなんとかなる!」

ただ、こんな大きなチャンスはそう無いですし、単身赴任で家族が離れ離れになる選択肢はありませんでした。なにより、私のハードな働き方をリセットする良いタイミングかもしれないと思い、熊本への引っ越しと、退職を決意しました。
家は賃貸で貸せばいいですし、子供はちょうど小学校に上がるタイミングだったので、人間関係はこれから築いていけばいい。そして私は新天地で就活すればいい。「全てなんとかなる!」と楽観的な気持ちで熊本に向かいました。
しかし、現実はそう上手くいかなかったのです。



難航する就職活動と偶然の出会い

無事に引っ越しが完了し、夫は精力的に仕事に取り組み、子供もすぐに友達ができ、全てが順調にいくかと思いましたが、私の就職活動だけはうまくいっていませんでした。
就業エリアや時間的な条件はあったものの、長い社会人経験や役職経験があるにも関わらず、応募する先は書類選考すら通りませんでした。書類が通らないから、面接で自分をアピールすることもできない。いくら経験があっても年齢の壁や現実は厳しく、正社員で採用してくれる企業は無かったのです。


舞い降りてきたチャンス

正社員で働きたい気持ちはありましたが、子供がある程度一人で過ごせる年齢になるまでは、一旦パートとして働きながら就職活動をしようと切り替えました。そして2年半ほどパートとして働いていたある日、とある転機が訪れます。
家のポストに入っていたフリーペーパーに『ジェイック熊本オフィス 新設によるスタッフ募集のお知らせ』と記載された一文を、偶然目にしたのです。勤務地も近く、年齢制限もない、正社員募集の求人に、すぐに電話をしていました。




自身の経験と重なる事業内容

ジェイックは、既卒・フリーター・中退者といったひとりでの就活にハードルを感じている方に向けた就職支援を行っています。この事業内容を聞いた時に、自分自身の就職活動の苦労から、就活・転職で困っている方に特化した就職支援事業に、介在価値を感じました。
そして極めつけに、採用ビジョンの「『どうせ無理』を無くす社会をつくる」というフレーズが、自分自身の就活と重ねて希望が持て、心に刺さりました。だからこそ「このテーマを掲げるジェイックで働きたい」と強く思い、選考を進めました。


時間はかかれども「どうせ無理」と思いたくない

今こうしてジェイックの正社員として働いてはいますが、実は入社する時はパートとしてのスタートでした。フリーペーパーには記載が無かったのですが年齢を懸念されたようで…。パート雇用でジェイックから電話をもらった時は、内定承諾をすべきか正直悩みました。
正社員になりたい想いが強かったので、他の企業で再挑戦すべきかと悩んだのも束の間、電話口の採用担当者からこう言われました。

「鎌江さんが正社員希望なことは会社として理解しているし、その気持ちを尊重したい。だから正社員登用で上がってきてくれるのを待っています。」

瞬間、「正社員になれる道が全くゼロではないのなら、時間がかかってもここに賭けてみよう…!」と決意が固まりました。それと同時に、「『どうせ無理』を無くす社会をつくる理念を体現しているジェイックでやっぱり働きたい!」という想いが強まり、まずはパートでの入社を決めました。



夫の不調、そして転機

パートメンバーとして、求職者用のカスタマーサポートチームで仕事に打ち込んでいた矢先、また転機が訪れます。新型コロナウイルスが流行り始めたことにより、夫の仕事が従来のような対面での練習や大会が全くできなくなったのです。
そして、経営陣と立て直しを図る中で、心身面に大きく負荷がかかり、夫が鬱になってしまいました。数ヵ月間休職をしていましたが、状況を知った夫の仕事の関係者から、またオファーをいただいたのです。

「環境を変えて宮崎に来ませんか?」


家族は常に一緒だから

夫の人柄やこれまでの経験が買われて「あなたと一緒に仕事がしたい」とお声がけいただけたことは純粋に嬉しかったですし、とてもありがたいお話でした。ただ引き受けるということは、引っ越しのために、私はジェイックを退職しなければいけないことを意味していました…。
素晴らしい会社で正社員になるチャンスを手放すのは正直悩みましたが、夫がしがらみから解放されて、自分らしく、また社会復帰できることが最優先でした。そして家族は常に一緒という想いは変わらなかったので、ジェイックを退職して宮崎に行く決断をしました。



思いもよらない上司の言葉

後ろ髪を引かれながらも退職の申し出をしたところ、上司から思いもよらない言葉が返ってきました。

「鎌江さんはすごく頑張ってくれているし、仕事はフルリモートでもやれる。鎌江さんさえ良ければ引っ越してもこのまま続けませんか?」

つまり、家庭も仕事もどちらも諦めずにいられる選択をさせてくれたのです。


評価してもらえた恩を返したい

上司もおそらく、40歳を過ぎたパートの自分が今仕事を辞めたら、また就職活動で苦労するとわかっていたのでしょう。まさに不可能を可能にするジェイックの理念の根源に触れ、温かい配慮に今でも心から感謝しています。
そんな経緯があったからこそ、「結果を出して恩返ししたい」という想いで仕事に向き合った結果、正社員として登用いただくことができました。
なによりも、自分自身が「『どうせ無理』じゃなかった」と体現することができ、アドバイザーとしての軸に改めて繋がる経験になりました。



【後編に続く!!】

諦めずに目の前のチャンスに向き合い続けた結果、念願の正社員になった鎌江。後編では、真摯に求職者の方に向き合うアドバイザーとしての活動に迫ります!



後編はこちら!


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