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小さくてもいい。自分で自分に丸をつけ続ける【就職アドバイザー紹介‐山本卓寛‐(前編)】

今回ご紹介するのは、ジェイック就職カレッジの講師として活躍する山本卓寛。
ザ・関西人らしく、テンポよくユーモラスな講義を展開する山本は、自分に丸をつけて自信をつけてほしいという想いで就職支援を行っています。
前編では、そんな山本の想いを生成するに至った経験や葛藤を語ってもらいました!




進んで芸人さんの真似をする幼少期

とにかくよくしゃべる明るい子供でした。家族の影響もあってお笑いが好きで、ダウンタウンの番組を録画して何度も見返していました。面白いネタを学校で披露してドッと笑いが起こる瞬間が堪らなく好きで、笑いには貪欲なタイプでした。
「将来なりたい職業は?」と聞かれると、学校の先生かお笑い芸人しか思い浮かばなかったです(笑)


否定されることへの恐怖…。どん底な中高時代

そんな幼少期から一転して、中高時代は目立たなくなりました。自分が面白いと思ってボケても、イケイケ系のクラスメイトから否定されるようになったのです。
それを何度か経験することで「自分は面白くないんじゃないか?」と、徐々に自信が無くなっていきました。クラスで浮いてしまう恐怖から積極的に話せなくなり、「本当はもっとしゃべって目立ちたいのに…」と、もどかしかったです。この頃から、人の目を気にするようになりました。


「話せるようになりたい」一心で入った落語研究会

そんな調子で大学に入ったので、最初の2年間は苦しかったです。
学部の同級生に話しかけられず、なかなか友達ができなかったですし、高校の部活で吹奏楽部だった経験を活かして軽音部に入るも、うまくしゃべれなくてコミュニケーションが取れず、くすぶった日々が続いていました。
ただ内心は「本当の自分はもっとしゃべれるはず…」と思っていたので、自分を試すために落語研究会に入部します。


自分と似た仲間の存在に勇気づけられて

落語研究会と言うと、一見渋い印象を受けますが、実際は自分のようなお笑い好きが集まっていました。しかもお笑い好きだけど話せないコンプレックスを抱えている、自分と似たメンバーが多くいたので、少しずつ自分をさらけ出せるようになりました。
引退の時は、ほぼ全員の後輩が泣いて惜しんでくれている様子を見て、中高時代に満たされなかった「自分を受け入れてほしい」という気持ちが満たされ、自信に繋がっていったのを覚えています。



自分を認めてもらえた就活

実は、落語研究会だけでなく就活も、しゃべる自信を取り戻せたきっかけになっていました。
元々「学校の先生かお笑い芸人か」という職業観だったので、学校の先生になるために大学で教職免許を採ろうとしていました。ところが、念のため進めていた就活のディスカッションが全て通過する成功体験を得たのです。
しゃべれば通過できる事実にみるみる自己効力感が高められ、「やっぱり自分は話せるかもしれない」と自信に繋がりました。内定=自分を認めてもらえている感覚で嬉しかったのです。


「ただ好きだから」なんとなく選んだ結果…

だからもったいないですが、教育実習だけを残して、教職を取ることは途中でやめました。そして就活に振り切った結果、元々趣味だったアミューズメント業界に入社を決めます。
過ぎ去った今だから言えますが、「ただ好きだから」という表面上の理由だけで入社を決めると、実は合っていなかったことに、後々気が付きます…。

落語研究会と就活を通して、しゃべることに自信は付きましたが、多感な中高時代に植え付けられた”人の目を気にする性分”が原因で、1年経たずに早期退職することになります。



社風が合わなかった一社目

体育会系な社風だったので、自分から仕事を取りに行かなければ、仕事を振ってもらえない会社でした。ところが、人の目を気にしすぎて、上司や先輩になかなか関わりに行けませんでした。だから仕事がもらえず、覚えられず、もどかしい日々を過ごしていました。
そんなある日、大学生のアルバイトメンバーから「仕事できないんですね」とバッサリ言われ、多大にショックを受けます。
その一言が強かったことも原因ですが、自信がついたはずなのにまだ人の目を気にしてしまう現状に「やっぱり自分はダメかもしれない」と落ち込みました。これをきっかけに仕事に行くのが憂鬱になり、早期退職しました。


それでも諦めたくない。強みを分析して転職へ

人の目を気にする性格は克服できなくても、自分の特技であるしゃべりがうまくなりたい気持ちは捨てられませんでした。だからしゃべれる仕事=販売職を軸に転職活動を始めます。結果、自分の裁量で話す”アドリブ”が許される家電量販店への入社を決めました。
というのも、小学生の頃にスピーチの授業で、クラスメイト全員が台本を用意してその通りに話す中、自分ひとりだけアドリブでしゃべり切れた経験や、落語のお題に入る前の”枕”というアドリブ部分が特に好きだったため、強みを活かせるかもしれないと挑んだのです。



強みを活かし、新たなステップアップへ

この読みは無事に当たり、通常店頭にひとりで立つまで3.4か月かかるところを、なんと1ヶ月というギネス記録でデビューを果たしました。そして順調に成績を伸ばしていったものの、徐々に飽きが来てしまいます。
次どうステップアップすべきか考えたところ、「学校の先生かお笑い芸人」という職業観から、「人に教える仕事をしたい」と思い始めます。
そんな折、飲み仲間だった知り合いの社長に「山本君のやりたいことはうちの会社ならできるかもしれない」とオファーを受け、転職を決意します。


自分にたくさん丸をつけられた経験

人に教える仕事を目標に、まず前職の経験を活かして販売員としてスタートした結果、前職と同様に好成績を残します。実は販売のトークには鉄板の流れ・ロジックがあり、売る商材が変わってもうまくマッチしていたのです。
あまりにも成績が良く、他の社員へ論理的にコツを伝えられるので、次第に販売員用のトーク台本のライター業務を任されるようになります。
「山本と同じように話せたら、他の社員も同様の成績で売れるようになるのでは?」と会社に判断してもらえたことは自信に繋がりました。


本命の「人に教える仕事」へ

そしてライター業務でも成果を出せるようになったので、「もっとたくさんの人に教えられるように」と、ようやく転職の目的である「人に教える仕事」を任されます。全国の店舗を行脚して「売り方」を教えるトレーナーにキャリアアップできたのです。

それからは、北は北海道、南は鹿児島まで、全国を回る生活でした。週4日は出張しているハードスケジュールだったので、キャリーカートは半年で壊れました(笑)
大変ではありましたが、新しい仕事をどんどん任せてもらえたことや、人に教えられる楽しさから、充実していました。



強みを伸ばすために自分に丸をつける

この経験から「強みに振り切って勝負をした方がいい」という学びを得ました。全ジャンルで100点を採ろうとしなくても、何かひとつ飛びぬけていればチャンスが巡ってくるのです。だから、自分の強みを自覚できるように、自分に丸をつけ続けることが大事だと思っています。
丸をつける基準は小さくてもいいんです。むしろ小さな丸を重ねていかなければ、いつまで経っても自分に自信が持てず、つらくなってしまいますし、無いものねだりし続けてしまうでしょう。
私にとっては「しゃべりが評価されて新しい仕事を振ってもらえる=自分の存在を認められている」という感覚が〇をつけられるポイントでした。その結果、仕事を通して自分に自信をつけることができました。


もっと大勢の人に影響を及ぼしたい

非常に充実していたトレーナー時代でしたが、「教えることはできるようになったけれど、販売では影響を与えられる範囲が狭い」と、次第に物足りなさを覚えるようになります。例えば教師は、生徒の人生に深く影響を及ぼせますが、販売員は売ったその一瞬で終わってしまいます。
トレーナーとして人に教える仕事ができるようになったので、もっとたくさんの方の人生に関わる仕事ができるようになりたい、と考え、ご縁あってジェイックの講師職に転職を決めました。


【後編に続く!!】

挫折を乗り越えて、しゃべりのプロ×人に教える仕事に磨きをかけようとジェイックに転職した山本。後編では、ジェイックの講師職として、求職者の方に伝えたい想いに迫ります!


後編はこちら!


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