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「じゃがいも」のお寺話24 戒と律

お釈迦様は35歳で悟りを開かれた時点で法については全てを把握し整理されていたはずです。35歳までは法を見つけて悟りを開くための人生と言えそうです。
すると、35歳以降80歳までは法を広めて(転法輪)弟子を増やし、後世に法を残すための人生だと言えそうです。

戒律という言葉は日本語でも一般の言葉として浸透していると思います。仏教での戒律は厳密には戒と律では意味が違い、出家者した修行者が戒として守らないとならない決まり事と、律として守らないとならない決まり事があり、その2つを合わせて戒律と呼びます。在家の信者に対する戒律もあるのでしょうが戒律と言えば出家者に対しての決まり事だと理解して概ね良いのでしょう。
日々の僧侶への布施、五戒と呼ばれる5つの戒など在家信者のあるべき姿としてのルール、方針はあるとは言えます。正に我々が学ぶべき戒がそこにあるのかも知れません。

戒はお釈迦様が説かれた法に従い八正道に照らして修行者として守るべき行動です。修行者としてあるべき習慣や態度と理解して良いでしょうか。個人で多少異なることもあり得ますし、戒を破っても誰もそれをとがめる人はいません。罰もありません。破ったことに気づくのは本人だけです。ただ修行者として悟りの境地の先の安楽な生活を目指すならば破る意味はなく辛いから破りたいのであれば修行者を止めるべきです。戒は法を理解し悟りの先の安楽の世界を目指す出家修行者であれば自ずと守られているはずです。

律は全く違います。現代でいう法律が近いとの説明が多いです。
お釈迦様が作った修行者集団は托鉢でお布施された食べ物だけを食べて生きていく生活をしていました。食事は午前中と決められていて朝から托鉢にまわり午後はひたすらに修行を行う生活をしていました。
お釈迦様は全ての時間を修行に充てなさいという方針を示しています。生活の糧を得るために労働に対して対価を得る行為を禁じ、生きるために必要な最低限の食事は布施からだけ得ると決まっています。
托鉢で信者さんから鉢に入れてもらったもの以外の一切は口に入れてはならないとされ、目の前に果実がなっていても自ら手を出して取って食べることも禁止されていました。その日に布施された食事だけ食べることを許され、大量にお布施されても蓄えることも禁止されています。布施でいただいたもの以外で自ら取って口に入れて良いものは水と歯ブラシだけです。
修行者集団がこの生活を継続するには在家信者の支えがないと成り立ちません。出家者と在家信者とか健全に存在する必要があり、お釈迦様の時代の仏教は信者の二重構造で成り立っていると説明されます。

在家信者があっての出家者なので、出家者は在家信者から見てさすがは出家した方だ布施をするに値する方だと思われ続けないと出家者の修行者集団が崩壊してしまいます。
在家信者の信仰心を裏切らず布施すべき対象であると思われ続けるには出家者としてあるべき姿、取るべき行動を詳細に決めて、それを守る必要がありました。そのルールが律です。そのため律には罰則があります。正に現代の法律に近いものだと思います。

お釈迦様は涅槃に入る前の遺言で律については些細な内容であれば廃止しても良いと言い残しています。お釈迦様が亡くなった後、この遺言について弟子たちで話し合ったのですが、どの項目が些細なのか分からず結論が出なかったために一切変更しないという結論として今に至るようです。
お釈迦様は律は時代に合わせて変える必要があることを知っての遺言であったが、詳細の指示が間に合わなかったのではとの説明があります。結果として守られないこの遺言は正に生きたお釈迦様の言葉なのでしょう。
上座部仏教では、お釈迦様が作った律が現在でも原則として守られているとされます。

お釈迦様の時代から現代まで仏教の内容は様々に変化した結果、僧侶が守るべきルールである戒律の内容も凄く変化しているのだと思います。中国で戒と律を合わせて戒律という漢字が当てられて区別が曖昧になったとの説明もあります。戒律で一つとして説明される文章もたくさん見ます。

35歳で悟りを開いて以降、お釈迦様は法を広める作業と律を作り弟子を指導する作業をひたすら続けたと想像します。在家と出家含めて亡くなるまでの間に何万人という仏教信者の集団を作り上げました。現代で言えば大企業の創始者のようなカリスマ性とリーダーシップ力と企画力があった方なのかとも想像します。

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