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「じゃがいも」のお寺話29 大乗仏教

ガンダーラで紀元前後のころから仏像が作られ仏教が広まります。ガンダーラで栄えた仏像や仏教が西暦100年から西暦200年ごろにはシルクロードを経由して中国に大量に伝わります。
似た時期に大量の経典が中国に伝わったため、つじつまが合わない内容が多く、一つ一つの経典を理解、整理、精査する作業が続きます。

精査が進む中でどの経典が優れているのか、どの経典を大切にすべきなのか、中国の中でも意見が分かれていきます。結果として異なる経典を信仰するために異なる教団が成立していくことになります。同じ仏教なのですが宗派として分かれていくことになります。
原始仏教から発展したのが大乗仏教経典なので神秘的であり魅力的な経典が多く、大乗仏教経典ばかりが取り上げられ、中国は大乗仏教の国になります。

新しい仏教を興した集団は新しい仏教を「全ての人々を救う大きな乗り物」という意味のマハーヤーナ(mahayana)と呼びました。中国で大乗という漢字が当てられました。
今の上座部仏教は昔は大乗仏教に対して小乗仏教(ヒーナヤーナ hinayana)と呼ばれていました。大乗仏教が大きな乗り物なのに対して小さな乗り物と表現された小乗という表現は適切ではなく、大乗仏教との対の思想でもないのでテーラヴァーダ(theravada)と呼ばれるようになります。テーラヴァーダは長老派という意味のようです。お釈迦様の時代の仏教集団(サンガ)の僧侶(比丘)の中で尊敬される方を高い席という意味でしょうかね、上座と呼ぶようです。長老派というニュアンスのサンスクリット語に上座部という漢字が当てられたということです。新しい考えの大乗仏教に対して重鎮が守る仏教というニュアンスになるでしょうか。

サンスクリット語の大乗仏教経典を漢文に翻訳する僧侶を中国で訳経僧と呼びました。訳経僧として日本でもとても有名な鳩摩羅什(くらまじゅう)は西暦300年後半に活躍された方です。この時期にたくさんの大乗仏教経典が中国語に訳されました。

諸説ありますが、西暦538年もしくは西暦552年に百済より伝わったという説明を良く見るので6世紀半ばに伝わったと書かれることが多いと思います。ついに仏教が日本に伝わります。

聖徳太子(西暦574年〜西暦622年)が生まれた時にはすでに仏教は伝わっていたようです。日本一有名な経典と言えそうな般若心経を訳した玄奘三蔵は西暦602年〜西暦664年の方で仏教が日本に伝わった後も中国では仏教の様々な精査や翻訳が行われていたことになります。

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