【非公式】第7期SF創作講座 第2回課題実作「アマニタ族の生活環」
はじめに
先月から開講されている「SF創作講座」の第2回課題をもとに実作(今回は短いので梗概はなし)として書きました。
この作品は「裏SF創作講座」様に投稿いたします。公式・非公式の人たちが入り乱れるストリートファイトのような場ですので是非、お立ち寄りください。
第2回テーマ:ありえないを描く(実作:1,000〜2,000字)
実作「アマニタ族の生活環」
夏の雷雲が森の全体を覆った夜の翌朝、アマニタ族は幼年期にあたる糸状体の時期を終える。青年期を迎えた同世代の衆は、視界に光を得た悦びと共に同期たちの相貌を初めて認識して、繁殖時期にあたる子実期へ差し掛かる前に、胞子のやりとりの交渉と契約を結ぶ。アマニタ族が形成する胞子には核が含まれており、さらに減数分裂によって生じた一対の染色体が内包されている。一核の胞子から伸びる糸状体のペアが融合すると次世代のアマニタ族は生殖可能な成年となる。
カエサレラは一つ隣の樹木の住人だったマスカリアと胞子を交換すると取り決めていた。青年期で結ばれた契約ではなく景色も見えなかった頃に糸状体ネットワークを通じて約束したこと。暗黙の了解的に胞子の交換は複数人との間で行わなければならないが、結局は暗黙なのでカエサレアは無視した。森を奔放するよりもマスカリアと共にいたい気持ちがずっと強かったからだ。
マスカリアは器量が良かった。柔和な垂れ目と端正な鼻梁は均等についており、背の高い体躯はワンピースの白銀色のホオズキのようなスカートで隠されているが首筋をみるとかなり細い。髪色はオレンジと黄色のグラデーションが印象的で樹冠を掻い潜る陽射しに染まると、東雲が酔いしれるよりも鮮明になる。その美貌にアマニタ族の面々はカエサレアの胞子を求めて大挙として交渉に臨むが彼女は全て一蹴した。
「カエサレア以上のコがいないからってだけ」と気になったカエサレアの質問にマスカリアは当然の如くそう返す。押し寄せてきた者の中には、自身の土色の髪と燻んだ肌色が恨めしくなるほどの美麗な外見の者もいた。先程の質問はその者が帰った後、自己憐憫に掻き立てられたものだが、その一言でどこか救われた。
それから程なくして、この夏の嵐で糸状体が流されてしまったアマニタ族の族長の遺伝子復元が試みられるという通達が届いた。報された時点ではカエサレアにとってはただの他所ごとにすぎなかったが、数日経ってからそれは覆された。彼女の核の一対にだけ族長由来の染色体を有していることが判明したのだ。
「じゃあ、もうすぐおつとめに行くのね」
マスカリアに打ち明けると、表情に明らかな憂いを帯びる様をみて、カエサレアの胸に厭な熱が込み上げた。
「うん──ここからとても遠いからもう逢えないかもしれない」
「族の存続のためだもの。責任を果たしておいで。それに──永遠に逢えなくなるわけじゃないから」
「どうして……」その問いかけに、マスカリアは歌うように答えた。
「私たちは──みんな、森の一部。そこで循環するだけ。形相だけが変わっていくけれど、始まりも終わりもない。永遠に関係しあっているから」
「マスカリアは俯瞰した考えを持っているんだね。羨ましいよ──わたし、そんなに気丈にできないから」
カエサレアは近寄り、マスカリアの頬に手をやった。
「だけど、私だってカエサレアの隣人でいたいのが本音──糸状体の時、それよりも前から、ずっと私はあなただけに惹かれてきたもの。一つだけ我儘を言わせて良いなら、おつとめが終わったらここにきて。私はこのブナ林で待っているから」
「約束ってやつだよね……」
「うん、約束。破ってもいいけど、破ったら許さないからね」
マスカリアは冗談めかしくにっこりと笑窪を作る。美貌のいたるところに胞子が吹き始めており、子実期の到来を告げていた。
ひどく陰鬱な空間だった。
招待された極相林の最奥で子実期を迎えたカエサレラは、側近に連れられ同じように族長の染色体をもった同世代の娘の何人かに胞子を提供し続けた。試行錯誤という建前で大量の胞子を生産し続けた。森は盛夏が過ぎ晩夏が過ぎ初秋が過ぎた。木漏れ日も届かない湿気に満たされた極夜のような場所で日々が摩耗した。仕事を終えた頃には、カエサレアは晩年を自覚していた。
族長の存続という、下らないしがらみから逃れられた今こそ、カエサレアはマスカリアとの約束を果たすためだけに鼓動を続けていた。彼女はいうことのきかない躰を引きずりながら赤黄色の森を歩き続けた。
ブナ林に戻った時、カエサレアはほっとして、次第に涙が溢れた。彼女は約束を守っていたのだ。命が潰えながらも。
大木のすぐそばで斃れ伏していたマスカリア。あれほど綺麗に輝いたオレンジ色の髪は鈍色にくすみ、躰の落葉に接した方の縁から、彼女のワンピースと同じような銀色の糸状体が円形の巨大な絨毯となって幕を張っている。全ての胞子をそこに落としたように。微動だにしない彼女の代わりには蛆と蝿がいきいきと蠢いていた。
長い旅程でカエサレアはとっくに脚が動かなくなっていた。乾いた皮膚を掻きむしって、胞子を落葉とマスカリアの糸状体に積らせた。希薄な理性を頼りにカエサレアは自分の躰せ彼女を被わないようにひざまついてそのまま生き絶えた。晩秋の風が森にさざめく頃のこと。(1,992文字)
内容に関するアピール
担子菌類(シイタケやヒラタケなどの「きのこ」)の生活環を単純に擬人化させるという、「ありえない」の最右翼とも言える領域を突き進んでいることは自覚しています。ズルいといわれたらそうでしょう。
菌類として遺伝子は拡散させることが合理的で、アマニタ族もそれに倣っていますが、登場人物だけには不合理な「欲」が付与されています。それが作中世界においては最も「ありえない」でもあります。そこに物語の自由さや強みが隠されているのではないかと考えました。
とても短い思弁小説なので山尾悠子先生の「ゴルゴンゾーラ大王あるいは草の冠(歪み真珠 国書刊行会 収録)」等を参考に幻想的な読み味を目指して書きました。