見出し画像

能力がないと社会で生きていけないの?子どもに伝えたいことシリーズ12

 先日、ネットニュース経由で毎日新聞の以下の記事を読みました(有料記事です)。

 私立保育園で、子どもに対する遺伝子検査のPRがあったとの内容です。この記事を読んで、人の能力と社会で生きることについて考えてみました。


社会で生きるとはどういうことか

 この記事を読んで、「社会で生きていくには能力が優れている必要があり、それは子どもの頃から意識して取り組む必要がある。しかし、子どもの時点で何の能力があるのかは未知数なので、遺伝子検査を参考にしてみる。」という考え方が世の中に一定数あるのではないか、と感じました。
 「社会で生きる」とは、「自分以外の誰かの役にたつこと」だと私は考えています。たくさんの人で構成されている社会に入り、生きていくには自分以外の人と協力する必要があり、協力とは他の人の役に立つことである、という整理です。人の役に立つには能力が必要ですが、この能力には「優れている・劣っている」という比較と、「お金になりやすい・なりにく」という比較があると考えています。

お金になりやすい能力、なりにくい能力

 人の役に立つ能力には、「優れている・劣っている」という比較があります。これは、あらゆる自然界において当然のようにある比較の軸です。私たち人間も多分に漏れず、それぞれ個々人で違いがあるからこそ、持っている能力に差があります。
 次に、「お金になりやすい・なりにくい」という比較があります。人の役に立つといっても、たくさんの人に役立つものと少しの人の役に立つもの、その人が生きていくのに不可欠なレベルで役立つものと、なくても変わらない程度の役立つもの、という違いがあります。社会においては、役立ってくれたことの御礼としてお金を受け取ることができます。たくさんの人に役立つ能力や、生きていくのに不可欠なレベルで役立つ能力があれば、受け取ることができるお金はたくさんになります。端的にはお金になりやすい能力だと言えます。逆に、少しの人にだけ、なくても変わらない程度の役立つ能力だと、少しのお金しか受け取ることができず、お金になりにくい能力だと言えます。

価値観も育てたい

 さて、ここまでを振り返ると「能力が無いと社会では生きていけないのか」という疑問が生まれると思います。自分の子どもから質問されたらどう答えるか。今の私は以下のように答えたいと考えています。
 「社会において生きていくには、他の誰かの役に立つ必要がある。それは、自分自身が逆に助けられるためでもあり、お金という便利なものを得るためでもある。役に立つためには能力が必要であり、能力が無ければ役に立てず、誰かの協力を得ることもお金を得ることもできない、よって社会では生きていけない、というのは現実上ありえる。
 でも、能力がないと生きていけないというのは、淋しいしつまらない。能力が無くても、楽しく生きていける社会の方がなんだか安心できて、能力があろうがなかろうが「やってみよう」とちょっとでも思えば挑戦できる。そんな社会の方が良さそうだと思う。今の社会では能力が必要なのは間違いないから、あなた(子ども)にも身に着けて欲しい。でも、それだけじゃなくて能力が無くても楽しく生きていける社会を望む価値観を持って欲しい。」

 皆さんはどう思いますか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?