みんなが求める姿と政治的発言 〜きゃりーぱみゅぱみゅさんの件はなぜ大騒ぎになったのか〜

 先日、きゃりーぱみゅぱみゅさんが検察庁法改正に関する意見をTwitterに載せて、大騒ぎ(?)になりました。意見の内容や、その後の行動も大きな要因と思いますが、それ以外に「みんなが求める姿と違う、政治的発言をしたから」という理由があるように感じました。
 今回のnoteでは、「みんなが求める姿」と「政治的発言」について考えてみました。

目次
・「きゃりーぱみゅぱみゅ」という姿
・みんなが求める姿に沿った政治的発言だったら?

◯「きゃりーぱみゅぱみゅ」に求めるもの
 きゃりーぱみゅぱみゅさんは、日本の「かわいい」を世界に発信する代表者の一人として、歌やファッションを発表しており、それが人々の心を掴んでファンにしていると思います。このため、ファンにとって「きゃりーぱみゅぱみゅは『かわいい』を体現する者である」という認識があり、「かわいい」歌やファッションを発信することを求めています。
 この「かわいい」とは何なのか、感性に訴えかける要素が強いので具体的に説明するのは難しいですが、「カラフルで多様で、心がワクワクするような『かわいい』」というものではないかと思います。
 ところが、今回の検察庁法改正に関する発言は、これまでファンが求めていた「かわいい」とは全く別のものでした。そもそも、「検察庁法改正」というもの自体が、きゃりーぱみゅぱみゅさんが歌った「ファッションモンスター」のような楽しさは全くなく、政治的な駆け引きが感じられるドロドロした「権力怪物」のような感じがしますし、ファッションのようなカラフルで多様性を感じるものではなく、白黒の正義か悪かしかないようなイメージです。
 このため、「私たちが求めている『かわいい』じゃないし、『きゃりーぱみゅぱみゅ』でもない!」と違和感を感じたファンが多かったのではないかと思います。もちろん、ファンの中には同じように検察庁法改正に関心があり、今回の発言で「きゃりーぱみゅぱみゅは政治的思想でも私と同じだ!」と、より強く親近感をもってくれた方もいるかもしれませんが、おそらくごく少数でしょう。

◯みんなが求める姿に沿った政治的発言だったら?
 もしも、きゃりーぱみゅぱみゅさんがみんなの求める姿に沿った政治的発言をしていたら、反応はかなり違っていたでしょう。
 例えば、「私は日本の『かわいい』をもっと発信したい。全国の『かわいい』を発信する人たちを、各地域で応援してほしい!」という内容だったらどうでしょうか。具体的に求めることが、国や自治体に対して歌や芸術を行う人々に対する活動への補助金支給だとしたら、かなり政治的な活動になりますが、みんなが求める「『かわいい』を発信する」姿に沿っています。言い方も、ダイレクトに「活動に対する補助金を支給してほしい」ではなく「応援してほしい」であれば、政治的な色合いが薄くなります。
 このように、みんなが求める姿に沿ってかつ政治的な色合いを薄くして発言をした場合なら、ファンもあまり違和感をもたずに支持してくれるかもしれません。

 ただし、本当に自分が思っていることではなく、みんなが求める姿に合わせなければ政治的発言ができないとしたら、ファンを持つということは政治的な自由を失うということなのかもしれません。
 みなさんはどう思いますか。

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