仲林自伝〜受験2〜

皆さんはミスター釣りどれんと言う漫画をご存知だろうか。月刊少年マガジンに連載されていたらしい、釣り漫画だ。私は読んだことがないのだが、この題名は大丈夫なのかが非常に気になっている。当時はミスツリと言われ読者に愛されていたのだろうか。ミスツリの話は以上だ。オチなどない。毎回オチがあると思うな、甘えるな。ちなみに私は大のミスチルファンだ。ミスツリではない。一番好きな歌は終わりなき旅だ。なんか麻雀プロを長くやっていると非常に突き刺さる歌詞なのだ。わかる人いるだろうか。ちなみに最近のミスチルはほとんど聴いていない。ファンと言ってもその程度ではある。でも信長コンチェルト以前の歌はアルバム曲まで全部わかるので、誰かカラオケ行こう。

さて、本編に戻るとしよう。

時は流れ、夏休みになる。私の塾では受験の年に合宿があった。勉強合宿だ。もちろん私もその年に参加した。

3泊4日の合宿で、毎日受験校に向けた対策を個別にすると言う、人数が少ないからこそ出来た合宿であった。私は早稲田の過去問対策などを毎日嫌というほど解かされた。特に国語は苦痛だった。例えば、その時のメロスの気持ちを答えなさいみたいな問題に対して、お前はメロスか?わかるはずないだろみたいなことを回答に書くぐらいに国語が嫌いだった。もちろん先生には怒られた。

塾の先生と仲がよかった仲林は夕飯が終わった後、先生の部屋でダラダラしていた。先生は彼女いるのかみたいな話をして、いないと答えた先生に俺はいるけどねと悪態をついていた。とんでもなくいやなやつだ。ちなみにこの時はまだ童貞だ。

22時くらいになると、何故か塾長の部屋に先生たちが集まっていった。何をしにいくのだろうと思ったら、なんと塾長の部屋で先生達が麻雀をし始めたのだ。これが仲林と麻雀の初めての出会いだった。

興味津々で先生達の後ろで麻雀を見ていた。そこにはホクトなど、他の生徒も集まって後ろで見守っていた。全くルールなどわからなかったが、先生に教えてもらい、参加させて貰えることになった。ほぼ初心者の先生もいて、ルールブックみたいなのを持っていたため、仲林もそれを見ながら麻雀を始めたのだ。

とりあえずリーチを打て、ポンとかチーとかは覚えなくていいと言われ、リーチを目指した。初めてあがった役はメンタンドラの7700だった。待ちはカン3sだったのを覚えている。

なんだこれは、めちゃくちゃおもろいぞ。そう思った仲林は合宿中、毎日先生の部屋に行き麻雀をした。受験シーズンの中学生に麻雀を教える塾という恐ろしい塾だ。もちろん今では潰れている。

合宿が終わると、また麻雀してみたいと言う欲望に駆られ、ホクトと一緒に麻雀牌とマットを買いにいき、町のコミュニティセンターで麻雀を始めた。ちなみに当時から仲林はその中では麻雀が強かった。天才型だ。

それからと言うもの、勉強以外の時はみんなで集まって麻雀をしていた。覚えたての猿のオナニーのように、暇があればみんなで集まって遊んでいた。

当時、坊や哲と言う漫画が少年マガジンでやっていた。麻雀にハマった仲林は全巻買って読んだ。ちなみに天牌も全巻買った。坊や哲は麻雀漫画ではあるがほとんどイカサマの漫画だった。坊や哲の必殺技に燕返しと言う、配牌ごと全てすり替えて、天和をあがると言う技があるのだが、もちろん練習した。家で黙々と受験勉強の合間をぬい、燕返しを練習していたのだが、絶対共感できる人がいると思う。

しかしながら、冬に近づくにつれ、本格的に受験へのラストスパートが始まり、麻雀から離れることになる。

第一志望は早稲田大学高等学院、第二志望は早稲田実業、第三志望は慶應義塾大学附属高校。それに向け、無我夢中で勉強をし始めたのだ。後2ヶ月で受験なのに、今更頑張ってどうなるのかとは思っていたが、親が怖かったからがんばって勉強をした。

そして、最初の試験である、明治大学附属中野高校の試験を受けることになる。

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