仲林自伝〜受験4〜

昨日のnoteに関しては、幸いまだ事務局から連絡は来ていない。心配なのは今週末に協会の総会があることだ。議題として仲林の今後に関してという議題が上がってもおかしくない気がする。しかし、日本には表現の自由があるはずだ。仲林の初体験の話をしても誰が傷つくと言うのだ。私だ。私だけだ。後輩に会ったら、舐めるのが好きなんですねとニヤニヤしながら言われる。何が悪い!我らの師匠シミケンさんも舐めるのは大事だと言っていた。

さて、本編にうつっていこう。

カナちゃんとのはじめての夜が終わり、仲林はふわふわしていた。初めて女性を知った仲林は何度も思い返していた。次の日受験だというのに浮かれていたのだ。確か、次の日は早稲田実業の試験だったと思う。過去問を何度か見返して、仲林は眠りについた。

次の日、先日と同じよう、学生たちと駅から行進をした。しかしながら、こいつらとは違うという自覚はあった。なぜなら仲林は童貞ではないからだ。一つ上の男である。なぜか異常に自信を持ってテストを受けることができた。もちろん国語は全くできなかった。漢字の読み書きは2校連続完封されてしまった。

もちろん数学は余裕だったが、英語がなかなか厳しく、明大中野よりも厳しい結果になりそうだった。確かその年から早稲田実業は共学になるはずだったので、一番入りたかった高校だった。

多分流石にこれは不合格だろう。数学だけではカバーし切れないほど、英語と数学が出来なかった。今回に関してはかなり落ち込んだのを覚えている。

しかし落ち込んだばかりはいられない。一番家に近い早稲田大学高等学院のテストが残っていたからだ。これからは学院と略させてもらう。仲林は早稲田に入りたかった。そのためには学院を受からなければならなかった。

この2日間で学んだことは、漢字がかなりキーになるということだった。塾の先生に頼み、高校受験で問題に出る漢字100選を作ってもらい、必死に勉強した。3日後にはすべてかけるようになっていた。昔から仲林はやればできる子だったのだ。

そして、学院のテストの日がやってくる。仲林は緊張するとお腹が緩くなる。対局の前などいつもトイレに篭って下痢をしているのだが、この頃からその癖は変わらなかった。

試験会場は早稲田大学のキャンパスだった。ちなみに仲林の祖父である中林徳三郎は早稲田大学出身であった。キャンパスに着くと、仲林はものすごくお腹が痛くなった。すぐにトイレを探し、試験ギリギリまでトイレに篭っていた。しかし、漢字100選を持ち込んでいたので、そこで再度復習をすることができた。

最初の試験が国語だったと思う。この三日間、仲林は漢字をかなり勉強してきた。試験校が好む漢字の出題に関しては完璧に理解をしていた。試験開始の合図が鳴る。仲林は早速漢字の問題から解き始める。学院の試験は読解の問題文の中の漢字を読み書きさせるというスタイルだった。その年は書かせるのではなく、漢字を読ませる問題だけだった。書くので無く、読む。流石に仲林をなめすぎだ。5問程度しか問題がなかったが、真剣に考えた結果、一つも読めなかった。あの三日間は無駄だった。明大中野、早稲田実業、学院と3試合連続完封を喰らったのだ。

しかしながら、英語と数学はかなり出来た。特に数学はみんなが難しいと言っていたが、仲林はめちゃくちゃできた覚えがある。これは早稲田実業よりかなりの手応えがあった。

そして、それから慶應、慶応志木の試験が終わり、合格発表を待つだけになった。

明大中野は無事受かり、確か特待生の資格もあったと思う。早稲田実業は当然の不合格。慶應は義塾は合格、志木は不合格という結果だった。最後に、学院の合格発表がある。合格発表の日が遂にやってきたのだ。

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