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夫を見てその妻を知るなり

釈尊(お釈迦様)があるとき一つの質問に対してお答えした言葉です。その質問は、「どうやって車を知るのか」というのです。釈尊は「幡(はた)を見よ」と答えられた。「どうやって火を知るのか」「煙を見ればわかる」「どうして国土を知るか」「王を見さえすればよい」「どうして妻を知るのか」「夫を見てその妻を知る」これがその時の問答です。

幡蓋を見て車を知り、煙を見て即ち火を知り、王を見て国土を知り、夫を見てその妻を知るものなり。

妻を知ろうとする者に妻だけ見よというのではなく、夫を見よと間接的に言われたのは、ものの底に一切が繋がっているという道理を明らかにしようとせられた意図があるそうです。

私もよく喧嘩をしてしまいますが、夫だけがよくて妻が悪いということはない。「だけ」というものはこの世にはどこにもない。よく、自分の良いところだけ切り離して考え、相手の悪いところは全く自分と無関係のように考えようとするものです。

しかし、夫婦は異心同体で家庭のことは二人の共同責任です。まず目に付くものは夫の悪さ、妻の足りなさですが、相手の非難を数える前に、相手に目にあまるものがあったなら、それを自分の身にひきくらべ、静かに自分に退いてみたらどうか。

こうした互いに退いた気持ち、対立の世界がなくなった状態、自ら退いて己を責める気持ち、自分の身体をうちのめしても社会悪の前に恥じいた気持ち、この宗教的な心持ちによってこそ初めて円満な家庭が出てくる。そこにこそ、理屈抜きで、手を取り合って進んでいこうという尊い協力の世界が出てきます。

以上は釈尊の教えを解説した本からの抜粋ですが、結婚2年目を迎える私にとって、とっても身に染みる言葉でした。

出典:友松 円諦  阿含経講義 雪華社

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