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Fashion Color History vol.2

「インターカラー発足・1963〜」

※「 Fashion Color History」では、過去の「流行色」にまつわる話題を紹介します。今回は「インターカラー発足」の経緯についてのお話です。
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JAFCA創立1953年(昭和28)の10年後1963年(昭和38)5月に、イタリアのパドバで第7回国 際色彩会議が行われ、その折りにJAFCA常任理事・稲村耕雄(当時・東工 大教授)、フランスのフレッド・カルラン、スイスのミロ・E・レニャッチの3名で色彩学の学術的交流に加え、 ファッションカラーの情報交流の場を組織しようと意見が一致し、 インターカラー (国際流行色委員会) の発足になった。
パドバでの会議後、主要各国の色彩情報 (主としてファッションの) 機関に呼びかけ同年9月9日パリにおいて第1回インターカラー会議が開催された。
世界で唯一の国際的な流行色予測機関であるインターカラーの第1回会議には発起人国の日本、フランス、スイスに加えて旧西ドイツ、ベルギー、スペイン、イギリス、イタリア、オランダ、スウェーデン、アメリカの11ヵ国が出席した。

第一回のインターカラー会議風景。
その後、会議は年2回(5・11月頃) 開かれている。 開催地は、基本的にはインターカラーが法人登録されているパリである。 運営に当たっては各国、 色彩を専門とする公益法人一機関が加盟でき、 1国2名の代表者が参加できることなどが規定され今日にいたっている。 加盟国以外にメンバーが認めるオブザーバーによって活動している。
1960年(昭和35) パリで第1回プレタポルテの国際見本市「サロン・ド・ボルト・ド・ベルサイユ」が開催され、 既製服が一般化していく。 当時ファッションの発信地としてはパリ、ロンドンなどが主で、日本のクリエーションは海外視察からアイデア源を求めていた頃であり、「流行色」に関する情報交流において、JAFCAが国際会議の発起人国として世界諸国と対等に情報をクリエイトする場を得たことは特筆できる。

第1回会議には、日本代表として稲村耕雄とJAFCA理事・堤邦子 (元・セゾンインター ナショナル欧州総局担当取締役) が参加。 それ以後連続して堤が日本代表を務め、インターカラー会議に尽力された。

実シーズンに先がけて2年先のトレンド予測提案を各国が発表(各国提案色は会議時にそれぞれメンバーで交換される)し、そのコンセプトの共通項を軸に色選定を検討する。インターカラーは、 各国提案色、 約400色前後のカラーより、 20~30色ほど選定してカラーバレットが決定される。

インターカラーは最も早いタイミングで選定される、グローバルなカラー情報であることから、ファッションのみならず様々な分野のカラー動向に影響を与えている。
参加国も増え、アジア圏ということでいえば、JAFCAのアプローチで、83年 (昭和58) に中国流行色協会、93年(平成5) に韓国流行色協会が加盟して、両協会それぞれとの交流がはかられている。
2023年5月現在、下記の17カ国が参加している。
アメリカ / イギリス / イタリア / インドネシア / 韓国 / スイス / スペイン /タイ / 中国 / デンマーク / ドイツ/トルコ / 日本 / ハンガリー / フィンランド / フランス / ポルトガル

インターカラーの選定風景(2011年春夏カラー)

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