いつか忘れて記憶の中で死んでしまっても


 なんということだろう。短い時間の間で、5年を早送りすると、涙が止まらなくなった。彼らが、もがき、苦しんで、それでもがむしゃらに走り抜けたあとふと静寂が訪れるように、とぎすまされた集中力で持ってして、最後の公演の、「峠」にたどりついた。その静寂だ。濃密で蠱惑的なロックを奏でながら、

「次の峠まで歩いていかなきゃ」

 そう歌う吉井和哉の声は、静寂に響き渡る悲鳴のようにも聞こえる。私は、当時彼らが活動を休止するなんて、信じられなかった。どうして?こんな絶頂期にどうして?まだまだやれるのに、どうして?

 でもはっきりわかってしまった、彼らはもう死んでいたのだ。すべてに絶望した人が恍惚を生きるように、彼らの世界には無限の静寂が広がってしまった。猥雑で、脳にまでえぐられる痛みをともなったロックはもう鳴らなくなっていたのだ。最後の東京ドームは、彼らが必死で培ってきたものを、簡単に並べてみせただけなのだ。バンドの歴史は決して平坦なものではなかった、地を這うような思いだってしてきた、だから気乗りしないセックスをするように、一生懸命ベッドで演じるようにロックを歌い上げることなど、お手の物だったろう。たった2年しか違わない99年の「マリーにくちづけ」で、会場を煽り、4人で微笑みあっている姿がうそみたいだ、舞台はいやにしん、としている。4人はひどくストイックに、演奏を続ける。

 新しいものを生み出していたわけではなかった。

 胸が苦しくなってしまった。

「彼」の心変わりを、その音楽に抱かれながら気づいていた人が、いったいどれだけいたんだろう?すがるような目で見つめているファンの中で、いったい何人?

 だから吉井和哉は、仕方なくなってやさしく嘘を吹きつけたのだ、「必ず戻ってくるから、待っていてね」と。不治の病の男が恋人を悲しませないためについた嘘でもあるし、心変わりを責められるのが恐ろしい助騙しがその場しのぎについた嘘でもあるだろう。どちらにしても、それは完璧な嘘だった。信じるしかない私たちを置いて、彼らが築き上げた何よりの財産であるロックは、鳴り続ける。その場所では、ロック以外は真実ではなかった。嘘だらけの言葉を尽くした後、再びドラムスティックがカウントを取り始める。「不思議な力を秘めた言葉のテレパシー」という歌詞だけが真実を伝えてくれている。本当のことは口にしなくても、感じて欲しいと。「死んだら新聞死んだら新聞死んだら新聞死んだら新聞」…念仏を唱えるように、吉井和哉は祈っている。

 東京ドームの天井がふわふわと虚しく揺れている、誰かの手に握られた一輪の薔薇とともに。

 それでも、やりたい曲をやります、そう宣言して始まった公演の最後の曲がインディーズ時代から大切にしてきた「WELCOME TO MY DOGHOUSE」であったこと、そしてそれが、記念すべき「メカラウロコ」と銘打たれた一番最初の公演でも演奏されていたこと。10年という今昔を行き交わないともはや奮い立たせられなくなっていたのかもしれないけれど、私は最後の愛を感じた。ただの野良犬から、死んだら新聞に載るようなきらびやかなロックスターになった4人は、そのあいだずっと「THE YELLOW MONKEY」を変わらず愛し続けていたし、ファンのことも愛してくれていた。そう信じられた。ロックだけが真実なのではなくて、ロックこそが真実だったのだ。

 黄色い猿なんて罵り言葉を、自虐的に我が身に纏い続けた彼らは、忘れられないロックだけを残して、終わりのない青春の向こう側に、いなくなってしまった。

 彼らはもういないのだ。もうどこにもいない。

(2009年12月9日 12:28:49)