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さん(まん)ぽ 後編

 前編から引き続き、霞城公園からさんぽを再開した。昼過ぎになるとだいぶ暑くなってきたので公園内で木陰を求めて歩いていると、変わった模様のマンホールを発見した。山形はベニバナの産地として有名である。江戸時代には前編で見た左沢の辺りを流れていた最上川を利用した水運で日本海側の酒田へ運ばれ、西廻り航路で京の都へ届けられていたようだ。この最上川の水運の整備に大きな役割を果たしたのが、この城(山形城)の城主であった最上氏ということであるようだ。

ベニバナ柄のマンホール

 その後、霞城公園を抜けて山形の中心市街地へ向かって歩いていると、途中に「文翔館」という施設があり、見学できるそうなので行ってみることにした。文翔館はかつて山形県庁および山形県議会議事堂として使われていた建物で、重要文化財に指定されている。

「文翔館」の正面

 中に入ると、各部屋は当時の執務室が再現されていたり、山形県の歴史に関する資料が展示されたりしていた。また、2階の正面バルコニーは黄色と茶色のタイルが敷き詰められており、そこからは山形市の中心市街地を一望することができた。見下ろした先にはたくさんの観光客がいたが、それが集まった観衆のように見え、思わず手を振りたくなった。続いて中庭に出ると、そこは石畳とレンガで囲われた空間になっており、まるでヨーロッパの町の一角に迷い込んだしまったかのような気分になることができた。また、各部屋をつなぐ廊下には午後の日差しが差し込んでいて雰囲気がよく、「ごきげんよう」と言いながら上品な女性がすれ違うようなワンシーンが想像できるようだった。

当時を再現した執務室
3階正面バルコニー
ヨーロッパを思わせる中庭
午後の日差しが差し込む廊下

 見学を終えて山形駅へ向かおうとしたが、バスの本数が少なかったこともあり、中心街である七日町を経由して駅まで歩いて向かうことにした。この辺りでは再開発が進められ、新しいビルも建っているのだが、その一角には数年前に閉店した百貨店のビルがそのまま残されていた。地方都市のデパートや百貨店は人口減少や郊外のショッピングモールとの競合で大きな影響を受けているという話は耳にしたことがあったが、実際に目にするとその厳しさは想像以上であった。

旧大沼百貨店

 30分ほど歩き、ようやく駅に着いた。次の目的地である立石寺へは仙山線で向かうのだが、ちょうど列車が行ってしまった。そこで、途中の羽前千歳という駅まで奥羽本線で進むことにした。羽前千歳駅は山形駅の2つ隣の駅で、住宅街と農地が入り混じったような場所であった。駅周辺を歩いていると踏切が鳴り始めた。そして、山形新幹線の新型車両であるE8系が通過する様子を見ることができた。E8系は僕が今朝乗ってきたE3系よりも鼻が長く、紫色で流線型をしているので茄子のように見える。

踏切を通過するE8系

 1時間ほどしてようやく仙山線の列車がやってきた。4両編成の列車は思っていたより混んでいた。列車は大きく右へカーブして山形の市街地を抜けると、10分ほどで山寺駅に到着した。この駅で乗っていた乗客の大半が下車した。時刻は午後3時を過ぎていたが、やはり沿線の一大観光地とあって多くの観光客が赤い橋を渡って立石寺のある対岸へ向かって歩いて行った。しかしよく見ると、その道中の電柱には『山寺 登山口』と書かれている。目指す立石寺の奥之院は目の前の山の上であるから、甘く見るなということなのだろうか。

登山口と書かれた電柱

 石段をしばらく登り、まずはふもとにある根本中堂に参拝する。そこから少し歩いた所にを松尾芭蕉と弟子の曾良の像が建っている。芭蕉がこの地で「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」という句を詠んだことはあまりにも有名でだ。セミの時期にはまだ早いが、初夏の新緑がとても美しい。芭蕉は『おくのほそ道』の中で江戸から東北、北陸の各地を経由して大垣へ至る紀行である。現代では新幹線を使えば東京から2時間ほどで山形まで来られるが、江戸時代の旅は基本的に徒歩である。それでも、どこかに旅をした時にそのことを文章として残したいというのはいつの時代も変わらないなのだろう。

芭蕉像

 山門で入山料300円を支払い、いよいよ奥之院へ向かう。「4時半までには下山してください」とのことなので、あまりのんびりしている時間はない。はやる気持ちで石段を登り始めると、あたりの空気が変わっていることに気づいた。その日は5月にしては暑い日だったのだが、空気が少しひんやりとしている。前の観光客を抜かさない程度のペースで石段を登り続けた。20分ほど登り続けていたら、だんだん足が上がりにくくなってきたし、多少涼しいとはいえ喉が渇いた。そこで僕は近くの小屋で飲み物を休憩することにした。その小屋には自動販売機もあったがお茶やスポーツドリンクは200円だった。水分補給を済ませてラストスパートをかける。そして登り始めてからおよそ30分、1015段にもなる石段の果てに奥之院へたどり着いた。振り返ると麓の集落や今まで登ってきた石段を一望することができた。

山門から急な石段が続く

 奥之院へ参拝を済ませた後、僕にはある疑問が浮かんだ。ここから見た景色も十分美しいが、僕がイメージしていた景色は、もっと崖のようにせり出した所から眼下に広がっていたようなものだった。ここで地図を見てみると奥之院の周辺にはいくつものお堂があることがわかった。山肌に沿って進んでいくと、観光客が集まっているお堂を見つけた。そこは五大堂というお堂で階段で登るのだが、交互通行をしなければならないほど道が狭く、渋滞になっていた。何とか階段を登り、外に目を向ける。眼下には僕が下車してきた山寺駅からふもとの土産物屋街、立谷川に架かる橋とここにに至るまでの行程が見事に景色に収まっていた。それは、1つのジオラマを俯瞰しているようで、少し非現実的に思えたが、初夏の心地よい風と観光客の歓声が、この景色が現実のものであることを思い出させた。

五大堂から見下ろした山寺駅周辺

 そして、30分ほどかけて下山して麓に戻ってきた。時刻は午後4時を過ぎていて、土産物屋も終盤といった雰囲気であった。そこで僕は最後の1本の玉こんにゃくを100円で買って食べた。醤油がしみ込んだ茶色のこんにゃくにピリッと辛いからしのアクセントが効いていて、とてもおいしかった。

玉こんにゃく

 お土産を買いつつ再び山寺駅へ戻り、仙山線で仙台駅へと向かった。列車が仙台方面へ近づくにつれて空は夕暮れから夜へと変化してゆき、家路へ向かう人々で4両編成の列車はかなり混雑してきた。仙台は東北地方で最大の都市であり、駅前も大勢の人でにぎわっていた。帰りの新幹線までは少し時間があったので、仙台名物の牛タン弁当を売っている店を探し、今日の晩ご飯にすることにした。店は行列だったが、何とか弁当を買うことができた。

帰りの新幹線で牛タン弁当

 こうして僕は東北新幹線「はやぶさ」に乗り、家路へ向かった。日帰りとはいえ少し早めに帰ることにしたのは、委員長の雑談配信を聞くためだ。僕が今晩配信があることを知ったのは、今朝5時ごろ起きてX (Twitter) を開いたときのことだった。そこからなんとか配信までに家に戻れるように逆算しながら今日のさんぽを行っていたのだ。

 こうして僕は時速320kmの速くて正確な新幹線のおかげで、無事に委員長の配信が始まる前に家に着くことができた。配信を見終わってふと自分のスマホのロック画面を見る。歩数計には30,356 stepsと示されていた。つまり僕は今日「さんぽ」が「さんまんぽ」になってしまうほど歩きたくなったのだ。そんな充実したゴールデンウィークの1日になるきっかけをくれた彼女に感謝したい。

3万歩以上歩いたことを示すロック画面

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