明日を思い煩うなとは
これは、「今を生ききれ」という意味です。
これがはっきりつかめていれば、クリスチャンは、2年間も、コロナでオロオロしていなかったはずです。
自分の所属教会の、コロ助対応の文書を見る度に、その狼狽えぶりに頭を抱えると同時に、憤慨したい思いも感じます。
要するに、垂直軸で生きてないということです。
聖書を何万回読んでも、急所をつかまず、軸を定めず、覚悟を決めないから、マスゴミの情報にオタオタするのです。
何かあれば、牧師に相談するという依存心理だから、惑わされる。
だから、生ぬるい信仰になる。
とある通りです。
だから、自分がどうあるかが、今、本当に大事だと感じています。
今、そういう思いで、私は生きている。
『葉隠』の言葉と、この黙示録の一節は、強く深く共振している。生ぬるいあり方では、この乱世を生き抜けない。
垂直軸を持たないままでは、水平の善になびき、同調圧力に易々と屈するしかない。
他人が窮状にある隣人ではなく、自分を脅かす感染源に見えてしまう。
他者との触れ合いや暖かい言葉をかけることは、免疫力向上に資することは調べた方なら、御存知のはずです。
しかし、マスゴミに洗脳されている人は、自他を助けるこうした行為を忌避する。
そして、「迷惑をかけないために」というわけのわからない理由で枠珍を打って、さらに免疫力を低下させる。
一体、こういう人たちは、何をしたいのだろうか、と思う。
窮状にある人が見えず、怯える必要のないウィルスを過剰に怖がり、自分の免疫系を破壊する行為をする。そうして、「長生き」できたとて、それは果たして人間らしい生と言えるのでしょうか。
毎日聖書を熱心に読んで、祈っても、不安に駆られ、思い悩んでいるなら、それは、目を向けるべきところを間違えているのかもしれない。
自分もいつ何時、そういう心境になるかもわからない。
困難であればあるほど、どこに自分は立っているのかを思い出し、繰り返し立ち返る必要がある。
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