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引用から考える その2:我々は根源意識である

 本の引用の2回目です。

 どの本を選び、どの言葉を引用するかに私の解釈は入りますが、できる限り、引用された言葉だけで、理解できるように配慮します。

 個々の言葉を読んで、気になったことがあれば、本を読む、関心を持って調べてみる、考えてみる、そうしたきっかけにしてくだされば幸いです。

 引用された言葉を、声に出して読むのも良いかもしれません。

 もしかするとそこには、自分を鼓舞し、萎えた気持ちを奮い立たせ、勇気づける言葉があるかもしれません。

 引用された言葉を黙読するのと、声に出して読むのは、また違った趣があります。


 今回は、デーヴィッド・アイク『ムーンマトリックス1』(ヒカルランド、2019)から引用します。

 原書は、2010年にイギリスで発行された『人類よ、起ち上がれ――眠れる獅子が目覚めるとき』(Human Race Get Off Your Knees: The Lion Sleeps No More)という、約700ページの大著です。

 日本語では全10巻の文庫本で出版され、後に全5巻の新装版が出されました。

 今回、私が引用するのは、この新装版の第1巻からです。


“人類は、「根源意識」であり永遠なる自己である本当の「私」と、肉体・心・個性などとを、深刻なまでに混同している。我々の存在そのものと、我々の「体験」に過ぎないものとの区別ができていない。何十億もの人間が、これを混同したまま、間違った自己認識をしたまま生きている。”
(p,51-52)
“「私の名前はエセル・ブラウン」
「私はチャーリー・スミス」
「私はどこそこの出身」
「私はあそこで働いている」
「私はスペインで休暇を過ごすのが好き」
 などの「体験」を自分だと思い込んでいる。
 その結果、人間は、自ら限界を作ってしまい、「私のような無力な一般人には何もできない」と思ってしまう。世界を操作・支配している国際ネットワークにしてみれば、そんな「小さな」人間でいてくれさえすれば、何十億人いようとも、容易に抑え付け、飼い慣らすことができる。だが、不変の根源意識(コンシャスネス 現在も過去も未来も、時間に関係なく存在する全て)こそが本来の状態であることを知っている人間が何十億もいれば、そうはいかない。”(p,52)

[初めてこうしたことを聞いた人は驚き、ショックを覚えるかもしれない。名前・身体・性別・出身・仕事・経歴・趣味・嗜好・信仰を、自分だと思っているかもしれないが、それは体験であって、本来の自分ではない。すぐに理解できなければ、判断を控え、「そういう考えもあるかもしれない」と保留することをお勧めする。これは、普段、信じていることと真逆なので、簡単に理解できないのが自然だ。]


“我々は肉体ではない。我々は永遠なる根源意識である。その根源意識が「体験(エクスピアレンス)」を積むための乗り物が肉体である。”(p,52)

[このことが本当にわかっていれば、肉体に対して、人々はもっと優しくなるだろう。過剰な情報で、肉体をいじめることはなくなるだろう。]


“我々は仮想現実の宇宙に住んでいる。その様子は、映画『マトリックス』3部作に(完全とは言い難いが)うまく描かれている。我々の正体は、身(ボディ)でもなければ、心(マインド)でもない。心身という乗り物(媒体)のおかげで我々は仮想現実を「体験」できる。”(p,53)

[『マトリックス』3部作、特に、モーフィアスを初めとした何人かの人物が言うことと、あの世界について思いめぐらすと、少しずつ、この世界が「仮想現実宇宙」というのがわかってくるだろう。あの映画は「真実」を描いている。繰り返し見るに値するし、私はそうしている。]


“不変の状態にある本当の「私」(根源意識)には姿・形がない。この根源意識が利用するインターフェイス(接続部分)が、人間の肉体と心というコンピュータである。肉体の特徴を調べると、驚異的なまでにコンピュータ以外の何ものでもない。その通信システムが「心(マインド)」である。”(p,56)

[肉体が、世の中にあるどのコンピュータよりも、はるかに精巧であるという話を聞いたことがないだろうか?]


“「私の心」「彼の心」「集団の心」などと言うが、存在するのは「一つの心」であることを指摘しておきたい。それが、根源意識と仮想現実宇宙の接合部分である。”(p,56)

[これは、なかなか理解しにくい概念だろう。『奇跡のコース』でも同様の概念が説明されている。理解しにくければ、「そんなものか」と受けとめて、無理やり理解しようとしないことが肝要だ。]


“我々は、心身が自己であると思い込むように、操られ、圧力をかけられているため、(最近は変化の兆しが見られるものの)それが錯覚であることに気付いている人は少ない。鏡を見るたびに「これが私だ」と思う。頭の中で「これが私だ」と何度も自分に言い聞かせる。だが、そうではない。その「私」は決して「私」ではない。真の「私」(根源意識 コンシャスネス)がこの現実を「体験」するために乗っている自動車なのだ。”(p,57)

[アイクのこの本が出た2010年に比べ、この錯覚に気付いている人は、今ならもっと増えているだろう。だが、全体としてはまだまだ少数派かもしれない。鏡に映るあなたは、「本当のあなた」ですか?]


“人類は、心身を「私」と自己認識するように、さまざまなレベル、さまざまな方法で、騙されてきた。この間違った自己認識が、我々の注意を心身に釘付けにし、本当の「私」(根源意識)から我々を切り離している。この致命的な観点のズレは、我々の「体験(エクスピアレンス)」にとっても、我々が集合的に創造している世界にとっても、非常に重大な意味を持つ。”(p,57)

[我々の認識のズレは、長大な時間、組織的かつ意図的な操作によって作られたものである。誰に?]


“根源意識は、全ては一つだと知っている。だが、心(マインド)は、何もかも分離して別々と考える。心(マインド)が根源意識に奉仕し、根源意識の「体験」を補助している限りは問題ない。それが心(マインド)の本来の役目だ。だが、我々が、心身を自分だと考えるようになると問題が発生する。我々の思考内容が真実だという錯覚に囚われてしまうのである。”(p,57)


“コンピュータは、ソフトウェアCDの情報を復号・解読して、画像や文字として画面に表示している。それと同じように、心(マインド)は、振動(真実)を、「時間」や「空間」、どう見ても「物質」にしか見えない幻に変換し、この次元領域において形態(事物)として「体験」できるものに解読している。”(p,57-59)

[概念としては理解できる人はいるだろうが、初めて読んだ人は面食らうかもしれない。物質って、あるんですか?]


“時間、空間、物質的性質は、錯覚の築き上げたものに他ならず、解読システム(心身)を介して我々はそれを「体験」しているだけである。その仕組みを理解してもらえば、驚くほど単純だ。特に我々が「物質的現実」と思っているものが、まるで真実とは違うことに気付くと、呆気にとられてしまう。我々が自分の「外側」にあると思っている「物質世界」は、(我々が認知するような姿としては)我々の脳内に存在しているだけなのだ。そんなバカなって? ありえないだろうって? いや、単純な事実だ。”(p,59)


“我々は目で見ていない。脳の解読システムで見ている。目は振動の情報を電気信号に変換し、それを脳が復号して「物質的現実」を組み立てている。”(p,59)

[科学的に確かめられた事実。我々は、目で見ているかのように錯覚している。]


“見えるもの、音、皮膚で触れるもの、匂い、味、色、温度、距離感覚、硬さ、さらに「動き」そのものでさえ、全ては振動の情報(波形)であり、五感と脳を介して解読され、「外界」の物質的現実=錯覚をもたらしている。”(p,60)

[現実とは何?]


“実は「物質世界」という外界など存在しない。きっと今、この本を物理的に持っているように感じているだろう。私も同じだ。物理的にキーボードを叩いている気がする。しかし、読者の手も私の手も、本とキーボードという振動(情報)を、脳が解読する電気信号へと変換し、物理的に本を持っているとかキーボードを叩いているという感覚を発生させているだけだ。これは、この「世界」の実態を理解する上で基本である。”(p,60)

[あなたはこの文章を、パソコン、スマホ、タブレット、あるいは印刷された紙で読んでいるかもしれない。マウスを、スマホを、タブレットを、紙を手に持っているように感じるだろう。だが、実はそういう感覚を、情報を解読することで、脳が発生させているのだ。]


“この世界は、我々が想像しているものと多少違うどころではない。我々が思っているものとは似ても似つかない。”(p,60)

[映画『マトリックス』で、主人公ネオがカプセルを飲んで、自分の肉体に戻った時の情景を思い出そう。それは、彼がトーマス・アンダーソンとして生きていた世界とは、全く似ても似つかないものだった。この映画が「真実」を描いているのだとすれば、ネオの体験は我々の体験でもあると、言えるのではないか。]


引用から考える その1


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