全訳トム・ケニオン「On the Nature of Boundaries(境界線の本質について)」
ハトホルのチャネラーであり、サウンドヒーラー、エリクソン催眠療法家のトム・ケニオンの記事の全訳をお届けします。
今回の記事は、人間関係において境界線を設けることは「スピリチュアルなことなのか?」という、ある女性とのやり取りが元になって生まれた考察です。
これはしばしば誤解されている事柄かと思われます。
トム・ケニオン
「On the Nature of Boundaries(境界線の本質について)」
翻訳者:jacob_truth 翻訳完了日:2021/09/09(木)
原文:
以前、私のワークショップで、ある女性が動揺しながら私に声をかけてきました。
彼女が、セミナーの参加者と昼食をとっていた時に、「信頼」についての話題になりました。彼女は人を信じるのが苦手であることを、グループに認めました。新しい友人たちは、すぐに彼女を助ける方法を提案し始めました。
ある人は、「私は宇宙を完全に信頼しています」というようなアファメーションを提案しました。別の人は、自分が世界に向かって完全に開かれた光の花であることを視覚化するエクササイズを提案しました。3人目は、半額の個人的なヒーリングセッションを提供しました。その場にいた誰もが、彼女が充分に信頼すれば、宇宙はそのように自分自身を映し出してくれると同意したようでした。
つまり、彼女がみんなを信頼していれば、みんなも信頼できるように行動してくれるということです。この人は、自己成長に慣れていないので、かなりがっかりしてグループを去っていきました。彼女はセッションの合間に廊下で私を見つけ、何か話したいことがあると言ってきました。
「あなたはどう思いますか?」と彼女は尋ねてきました。「宇宙を信じていいの?」
「宇宙を信じて何をするの?」 と私は尋ねました。
彼女はまばたきをして、自分の考えを続けました。「彼らは私がもっと信頼する必要があると言います」
「誰を信じるの?」と、私が尋ねると、
「みんなよ」
「くだらない」と私は言いました。
彼女は再びまばたきをして、少し微笑みました。
「教えてください」と私は尋ねました。「あなたの人生で、今、誰を信じるのが難しいと思う?」
「彼氏」と、彼女は迷わず答えました。
「で、彼は何をしたの?」と私は尋ねました。
「彼は私を愛していると言っていますが、2回も浮気をしています。彼を信じていいのか疑問だわ」
「彼の浮気を見つけた時、どんな気持ちだった?」と聞いてみました。「私は傷つきました」
「あなたの自然な直感的な知恵が、自分を守るために境界線を張れと言っているのだと思います」
「でも、それってスピリチュアルなことなの?」と、本当に戸惑いながら、彼女は聞いてきました。
心理療法士としての私の観察によると、ニューエイジの多くは心理的機能不全に陥っています。私の友人のエンジニアは、こうしたニューエイジの「公理」を、「NABS」(ニューエイジのタワゴト New Age Bullshit)と呼んでいました。それは、カクテルパーティーで食べる小さなスナックのようなものです。ちょっとだけお腹が満たされて、栄養があるように錯覚しますが、カロリーゼロです。現在流行しているNABSの一つに、「警戒心を捨てて、完全にオープンになるべき」という考え方があると思います。私はセラピストとして、この考え方は潜在的に危険だと思います。その理由は、次の通りです。
私たちは、自分自身に多くのレベルを持っています。あるレベル、例えばトランスパーソナルなレベルでは、私たちは時間と空間に縛られないスピリットであるかもしれません。しかし、別のレベルでは、私たちは、犬や猫、クジラ、イルカ、サルなどのように、哺乳類です。私たちは、生物です。そして、私たちの心理的な健康は、「自己」のトランスパーソナルな(時間の外の)側面とパーソナルな(時間に縛られた)側面との間の、バランスを取ることにかかっています。生物学のレベルでは、私たちの身体は、境界の必要性をはっきりと理解しています。全ての細胞には、外界を遮断する細胞壁があります。油断した細胞はすぐに死んでしまいます。細胞壁は、内部の細胞プロセスが継続するための境界を設定します。また、細胞壁は、ウイルスやバクテリアなどの生化学的な悪魔のような、有毒な侵入者を排除する役割も果たしています。
そのメッセージは?境界線がなければ、人生はありません。
しかし、細胞壁には、世界に通じる小さな開口部もあります。この入り口は守られていますが、訪問者が有益であると細胞が感じれば、分子の扉を開きます。しかし、訪問者が有毒であれば、扉は閉じられたままです。その中には、酸素や栄養などの有益な訪問者も含まれています。これらの「生命の使者」がいなければ、細胞はやがて死んでしまいます。動物の体の中で生命を維持するための不安定な力は、境界と開放のバランスによって成り立っています。
言い換えれば、細胞レベルでは、私たちの生体組織は、有害なものと生命を高めるものを見分ける知恵を生まれながらにして持っているのです。生物システムは、有毒なものとの間に境界線を設けると同時に、生命を増大させるものに対しては自らを開放するのです。
心理学の領域でも、同じ原理が当てはまります。人生を豊かにしてくれる状況や人と、有害な人や状況があります。精神的・靈的健康のための心理学的課題は、有害な人々と健全な人々を区別することです。残念ながら、私たちの体は健全な境界線を自然に作っていますが、自分と世界との間に精神的・感情的な境界線を作る方法を、私たちは学ばなければなりません。機能不全の家庭で育った私たちの多くは、思いやりを持って境界線を作るスキルを教えてもらえませんでした。
「思いやりのある境界線を作る」とはどういうことでしょうか?これを説明するには、「判断(judgment)」と「区別(discrimination)」について説明する必要があると思います。この二つは同じものではありません。そしてこれは、冒頭の女性の質問、「境界線を引くことはスピリチュアルなことなのか?」に直結します。
簡単に言えば、「区別」とは、ある状況の見かけ上の真実性を評価することです。「判断」とは、その状況に「良い」「悪い」という価値を与えることです。例えば、若い女性が「二股」をかけている彼氏について悩んでいたとします。彼の行動は彼女を傷つけました。あるいは「心理政治的に正しく」言えば、彼女は、彼の行動によって自分が傷つくことを許したのです。
彼が二回やって、またやるかもしれないというのは区別です。それは論理であり、単純な論理です。これは区別であり、見かけ上の真実とデタラメとを区別する行為です。そこには判断はなく、ただ観察があるだけです。彼女は彼の行動を観察しています。ロケット科学者でなくても、彼が再び同じことをするかもしれない(おそらくするだろう)と結論づけています。もし彼女が再び傷つくのを避けたいのであれば、感情的な境界線を設定し、彼の誘いから離れるのが良いでしょう。これは、区別の行動です。
これは判断とは違います。例えば、彼のことを「何の取り柄もないろくでなし」と決めつけることは、彼に対して価値判断をしていることになります。区別とは本来、中立的なものです。感情的なものではありません。区別は、単に現実に対する心の認識に過ぎません。そこには非難も判断もなく、ただ観察があるだけです。
「思いやりのある境界線を作る(Compassionate Boundary Making)」には、まず状況を見極めることが必要です。ロマンチックに考えたり、何かに変えようとしたりせず、ありのままの状況をはっきりと見なければなりません。その人や状況が自分にとって健全でない場合は、自分から離れるのです。ピリオド。文章の終わりです。
その状況から自分を切り離す過程で、人や状況を「良い」「悪い」と判断したくなる誘惑に負けないで下さい。相手の動機を理解できなくても、その状況に傷ついていても、自分自身と「違反者」に対して、自分に影響を与えない範囲で、やるべきことをやる余裕を与えるのです。
南部にいるおばあさんが私の友人に言った、「私の鼻が始まるところで、あなたの権利は終わります」という言葉が大好きです。この言葉は、なんと美しく直接的かつ実用的なのでしょう。
健全なものと不健全なものとを区別することは、私たち全員が直面する心理的課題の一つです。心理的に成熟するためには、自分を傷つけるものから自分を切り離すために、自ら行動することが必要です。どのように有害なものから自分自身を切り離すかは、何よりも個人のスタイルの問題です。
ポール・サイモンが「Fifty Ways to Leave Your Lover(恋人と別れるための50の方法)」という歌の中で言っているように、有害な状況や人々から離れる方法はたくさんあります(訳注1:ここで、翻訳が読めるのでリンクを貼っておきます。)
意識的に行動し、より靈的になろうと努力している私たちにとって、この課題には思いやりも必要です。しかし、「思いやり」とは、誰かが自分の上を歩くための「ドアマット」になることではありません。むしろ思いやりとは、たとえあなたが理解できなくても、同意できなくても、他の人々が自分自身であることを許せるような精神的・感情的な余裕を自分の中に作ることです。しかしながら、「思いやり」とは、他人が自分の心のスペースに侵入してくるのを許すことではありません。それは「服従」であり、同じものではありません。
心理的・靈的な強さが増すにつれ、特定の人や状況を受け入れられなくなることがあります。滋養のある、あるいは少なくともニュートラルであると思われていたものが、今では有害であると認識されています。これは、家族や配偶者、友人にも起こります。私たちの多くで、この現象が増えているように感じています。それは、物事がスピードアップし、より少ない時間でより多くのことが起こっているように見えるからかもしれません。それは単に自己進化の代償なのかもしれません。
自分自身の中で無意識から意識(正確には半意識と言うべきかもしれませんが)への一線を越えると、過去の人間関係との境界線を設定しなければならないことに気づくかもしれません。控えめに言っても、これはとても難しいことです。そんな方には、「白雲の道」をお勧めします。「白雲の道(The Way of the White Cloud)」とは、全ての物事や状況を、本質的に実体のないものとして捉えることです。瞬間的には非常に現実的に見えるものが、ただの記憶になります。見かけの物事の堅固さや状況の厳しさは、実は蜃気楼のようなもので、幻想なのです。仏教ではこれを「輪廻(samsara)」と呼んでいます。私たちは体を持っているがゆえに、この輪廻に巻き込まれているのです。この観点から見れば、生きる術とは、この幻想の罠に陥らないように生き、行動することだと思います。
クライアントが対人関係で行き詰まった時、私は時々、100年後の未来を想像してもらい、そこから現在の状況を振り返ってもらいます。そうすると、ほとんどの場合、対立は解消されます。敵意は無常の認識に変わります。視野を広げれば取るに足らないことなのに、なぜそんなことにとらわれなければならないのか、と「智慧の心(wisdom mind)」は問いかけます。輪廻の世界では、永遠のものはありません。全ては白い雲のように、つかの間のものです。この真実に気づくことで、私たちは皆、同じ船に乗っている、言わば輪廻や幻影の船に乗っていることがわかります。
今、誰かや何かが、「優位に立っている」ように見えるかもしれません。しかし、それは、ある視点から見た場合にのみ、真実です。私たちは皆、支配する側も支配される側も苦しんでいます。なぜなら、私たちは皆、時間と空間に縛られているからです。私たちはまた、自由で開かれています。なぜなら、私たちの一部は束縛されていない純粋意識であり、輝く光でもあるからです。この純粋意識と輝く光は、私たちが直接体験できるかどうかは別にして、雲に隠された澄んだ空のように、そこにあります。私たちの不明瞭な雲、つまり制限という輪廻の嘘に私たちを縛り付けている思考・感情・行動パターンは、雲のように行ったり来たりしています。しかし、澄んだ空はいつもそこにあるのです。
私たちが従っている流派や伝統に関係なく、より思いやりのある生き方をしたいと願う私たちにとっての靈的な課題は、自分自身のこのレベル、つまり純粋な心と限りない光の場所に入り込むことです。その贈り物によって、私たちは、万物の相対性についての直接的な知識で満たされます。私たちは、自分自身や他人との関係において寛大である余裕があります。それは、物事は見かけ通りではないことを認識しているからです。「思いやりのある境界線を作る」という行為は、私たちの光り輝く無限の性質から生まれます。
私たちが特定の状況や人によって「傷ついた」としても、トランスパーソナルの視点から見れば、全ては雲のようなもので、ある瞬間には鮮明に現実のものとなり、次の瞬間には消えてしまいます。この余裕があるからこそ、判断したり、汚染したり、復讐を求める必要がなく、他人をそのままにしておくことができるのです。
先ほどの若い女性の場合、彼氏との間に思いやりのある境界線を作るには、次の三つのことを彼に伝えるとよいでしょう。一つ目は、彼の過去の行動から、彼を信用できないと結論づけたこと。二つ目は、彼と別れること。三つ目は、彼に悪意はないことです。彼女は自分の人生を歩み、彼は自分の人生を歩みます。
とはいえ、特に他人に傷つけられたと感じた時に、裁きや汚染、復讐を求める気持ちが心に起きないというわけではありません。しかし、このような考え・感情・空想に溺れないという靈的な鍛錬は、強力なニヤマ(サンスクリット語で「制約」や「制御」を意味する)です。自分にも他人にも無害であろうとするというようなニヤマは、魂と個人の意志の両方を強化します。思いやりのある境界線作りは、対人関係のストレスを軽減するだけでなく、自分自身の心理状態を正しく把握できる余裕をもたらします。
つまり、私たちの中には、何らかの形で自分を傷つけた人から「逃れる」ことが難しい人もいるということです。しかし、もし誰かから「逃れる」としたら、それは自分自身なのです。なぜなら、他人に復讐したい、報復したいという気持ちは、感情的にも精神的にも毒だからです。
だから、(「それってスピリチュアルなことなの?」と尋ねてきた)冒頭の女性には、「イエス」と言いたいです。自分と他人との間に境界線を設けることは、スピリチュアルなことです。それがどのように行われるかによって、「スピリチュアル」であるかどうかが決まるのです。「靈的生活(spiritual life)」とは、生命の神聖さを意識して生きることだとすれば、思いやりのある境界線を作ることは、実は霊的な行為なのです。適切な境界線を設定することは、全ての生物学的生命にとって必要なことです。また、精神的・感情的健康にも必要ですし、敢えて言えば「靈的生活」にも必要なことです。
自分自身や他人に対して「ノー」と言うことは、想像する限り、時に、最も勇気ある力強い行為となります。そして時には、誰かに"NO"と言うことは、"YES"と言うことよりも「愛」(=思いやり)の行為になることもあるのです。
境界線を作ることに関連して、もう1つの要素があります。それは「超然さ」です。自分の真実を見つけ、他人の反応にかかわらず、それに基づいて行動することは、個人の主権の基準となります。このような行動には、境界線を作り、維持する能力が必要です。この話で思い出したことがあります。
ある日、不死身のヨギであるババジが、ヒマラヤの森の中でチェラス(弟子)と一緒に瞑想していました。そこに偶然出会った一人の男が、偉大なヨギであることを認識し、弟子になりたいと懇願しました。
ババジはそれを断り、その男に立ち去るように言いました。しかし、その男はグループが行くところにはどこにでもついて行きました。遂にババジは、彼に石を投げつけ、道を開けろと言いました。
その男は取り乱して、偉大なヨギに、自分が弟子として認められないならば、近くの崖から身を投げると、ババジに言いました。ババジは冷静に、何をしても構わないと言いました。その言葉を受けて、男は下にある岩の上に身を投げました。
ババジは山の斜面を降り、その男を生き返らせました。膨大な負のカルマを解消したその男は、弟子として受け入れられました。
グルというのは非常に厄介な存在です。私たちには想像もつかないような衝動に駆られます。少なくとも、これは靈的な境界線についての物語です。願わくば、私たちの健全性への旅において、誰もが崖から飛び降りる必要はありません。しかし、誰もが時折、境界線を設定しなければならないのは、間違いありません。
私たち全員が、自分の境界線を作る際に、より思いやりのある方法を見つけられますように。そして、心を開いて、本気で「イエス」と言える強さと、本気で「ノー」と言える勇気を見つけられますように。終わり。
コメント
翻訳をしていると、常に学びがありますが、この記事も、非常に学びになりました。
境界線を設定する大切さは以前、別の本で学びましたが、トムの考察は、よくある「ニューエイジ的タワゴト」に潜む危険性の指摘と、具体的な状況を踏まえての見解を述べており、このテーマを、違った角度から理解することができました。
余談ですが、洗礼を受けて、クリスチャンになると、互いを兄弟姉妹と呼びかわします。私の所属教会は特にこの傾向が強く、「木村兄」とか「安藤姉」とかいう風に呼びかわします(この傾向にとても閉口している私は、抵抗の意味で、極力、「さん」付けで通しています)。
こうすると、人によっては、どうも、「靈的な家族になった」と錯覚してしまうらしく、境界を簡単に超えてこようとする人が出てきます。
そして、「NO」を穏やかに言うと、「裏切られた」みたいな反応をする人もいますし、そういう相談を見聞きしたことがあります。
これは、境界線の理解が不充分だから起こることです。
境界線を適切に設定するにはどうするかというのは、全ての人間関係に付きまとうことです。
"自分自身や他人に対して「ノー」と言うことは、想像する限り、時に、最も勇気ある力強い行為となります。そして時には、誰かに"NO"と言うことは、"YES"と言うことよりも「愛」(=思いやり)の行為になることもあるのです。"
常に「YES」と言うことは、必ずしも、愛・思いやりの行為ではないということです。
これは多くの方がご経験されたことがあるかもしれません。
また、「区別」と「判断」の違いを、例を挙げて、明確に説明していた点は、すばらしいと感じました。
この区別も、とても大事なことです。
さらに、翻訳していて愉快だったのは、トムがニューエイジの「公理」を、「ニューエイジ的タワゴト(New Age Bullshit)」と呼んでいたことです。こういうものは、栄養があるように錯覚するが、カロリーゼロのスナック菓子です。とても見事な、NABSの本質の要約です。
また、人間関係に行き詰まりを感じた時に、100年後を想像し、そこから現在を振り返るという、簡単なイメージワークは、人間関係だけでなく、「行き詰まり」や「自暴自棄」になりかけた時に行うと、自分の精神を持ち直させる一助になると感じました。
トムの心理学的考察の記事
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