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目覚めとハートチャクラの関係についての一考察

目覚めるか否かは、何に起因するのかをずっと考えている

 成長する過程で、社会からの洗脳を深く受けていて、いまだに、世の中で本当に何が起きているかに目を開こうとしない人を「目覚めていない人」とか「眠っている人」と表現することがある。

 一体、目覚める人と眠り続けている人の差は何なのだろうかと、ずっと考えている。

 念のために言うが、これは、「敢えて分類すれば、どう見えるか」という話なので、二つに優劣はない。

目覚めない人とは、ハートチャクラが未発達なのではないか?

 松村潔『精神世界の教科書』にこんなことが書いてあった。

 「ドランヴァロ・メルキゼデクは、人類は下から3つのチャクラしか開発されていないのが大半で、その上の四番目のアナハタチャクラは未開拓のままだ」と述べている(松村潔『精神世界の教科書』アールズ出版、2012、p,26)。

 続けて、松村はこう書いている。

 「アナハタは自分以外のものを理解する。しかし下の3つは、まだ個人の現実、情念、思いの中に、つまりは「内面性」に閉じ込められている。外を認識しない。(中略)内面に閉じ込められた人は他を理解しない。アナハタではないところで愛を考えると、自分の都合で見ているにもかかわらず、それを愛とみなす。結果的に人に危害を加える。」(p,26)

 アナハタチャクラは、別名ハートチャクラとも呼ばれる。 

 この記述を読んだ時、目覚めない人とは、ハートチャクラが未発達なのかもしれないと思った。

 ハートチャクラが未発達のままの「愛」というのは、自分の狭い世界だけで完結していて、相手がどう思うかを考慮しない「押しつけの愛」である。

 例えば、何らかの理由があって、肉を食べるのをやめた人について、自分の目から見て不健康そうに見えたからといって、相手の事情を聞かずに、肉を無理やり食べさせて健康にさせるのを「愛」とか「善意」とみなすというようなことだ。

 子どもや部下や年下の人が自分の言うことを聞かないからといって、「指導」「躾」の一環と称して、暴力を正当化する輩にも同じことが言えるだろう。

 それが、受ける側からしたら、苦痛であることがわからないし、訴えても、理解しようとさえ、しない。

 彼らの論理は、自分の内側だけで完結している。

 私の母もこのタイプで、「自分以外の視点で物事を見て」と何度言っても、どうもこの言葉自体が、何を言われているかが、わからないらしい。

 だから、共通の土台を築いて話し合うことが、容易ではない。

ハートチャクラが未発達とは、自己の内側に閉じ込められているということ

 相手がどう思うか、自分の世界の外はどうなのかという発想が乏しい人は、ハートチャクラがあまり開発されていないのかもしれない。

 無条件の愛とか、執着でない愛は、ハートチャクラが開いている、活性化しているのが最低限の条件だろうと思う。

 少なくとも、宗教書を百万回読んでも、「他を理解しよう」という意欲や、ハートチャクラを開こうという努力がないなら、おそらく、その人の「愛」は概念的なものに留まるか、自己完結したものになるだろう。

 もしかすると、これが、クリスチャンの中に、善意の押しつけを「愛」と勘違いした人が一定数いる理由なのかもしれない。

 他人がどう感じているか、またその感じていることを、信仰でもって否定するのは、愛とは呼べないし、神の愛に値しない。

ハートチャクラの開き具合の判別方法

 サイキック能力がない場合、ハートチャクラが開いているかどうかを、どうやって判別するかと言えば、

・ある人の、他人に対する善意が、他人にとっての迷惑になっているのを想像できるかどうか(想像できていない、わかろうとしていない場合は、ハートチャクラは閉じている)

・自分の関心の外を探求しようという意欲があるかどうか

・自分とは異なる視点から、物事はどう見えるかを検討する姿勢があるかどうか

 この三点ではないだろうか。

 私の家族や周りの567脳の人を見た時、家族はすべて当てはまっている。

 が、友人には、2個目と3個目が当てはまる人もいる。

 もちろん、友人にも、3つ全部当てはまる人もいる。

 文章を書く際にも、「他人から見て、わかりやすいか。論理的か。説得的か」という風に考えることができなければ、独断的な見解になったり、自分にはわかりやすく、他人には読みにくい文章になったりする。

 しかも、大抵、それを指摘されても、気づけないと。

 「自分の考え・論は絶対的に正しく、他は絶対に間違っている」という発想の人は、おそらく、ひどく自分自身に閉じ込められている。

 「他人からはどう見えるか」という視点が、欠如している。

 加えて、異なる観点からの情報を伝えても、なぜか自分の視点が否定されたと受け止めることがあるので、建設的な話し合いすら、むずかしい。

 こういう人と付き合うのは、なかなか大変だ。

 ハートチャクラが開いていないから、他人・世の中を理解しようという意欲に乏しいのか、あるいは逆に、あまりに内側に閉じ込められた物の見方をしているから、ハートチャクラが閉じているのか。

 どちらが先なのか、あるいは両方なのか、それはよくわからない。

これは一つの説明に過ぎない

 これは、「眠っている人はどうして目覚めないのか」の一つの説明に過ぎない。

 少なくとも、私自身にとっては、この気づきは、画期的だった。

 今まで、善良だが、他人がどう感じるかをおかまいなしに、善意の押しつけをする人に何人と出会ってきたが、彼らについての一片の理解が得られたからだ。

 もちろん、これが正解かどうかは、わからない。

 少なくとも、「彼らのハートチャクラは未発達」と想定しておけば、彼らの善意の押しつけに不必要に傷つくことはなく、適度に距離を取ったり、より良い関係のあり方を模索したりする一助になるかもしれない。

眠っている人に対するなら?

 ところで、もし「眠っている人」が、本当に外側を理解したいという意欲をわずかでも持っているなら、ハートチャクラを開く方法を伝えて、開いてもらうことをまずした方がいいのかもしれない。

 もちろん、そんな意欲はなく、自閉したままで構わないという人は、放置でいいと思う。

 自由意志を尊重しよう。

 ワクワクの件については、目覚めてほしいとは思うが、これも無理強いしたところで、何の意味もない。

 この記事が、物事を理解する一助になったのなら、幸いである。




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