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全訳トム・ケニオン「Taoist Stillness Practices:Slowing the Whirly-gig of Mind (道教の静功実習:心の乱れを静める)」

 ハトホルのチャネラーであり、サウンドヒーラー、エリクソン催眠療法家のトム・ケニオンの記事の全訳をお届けします。

 道教の「天門」という簡単な瞑想の紹介です。

 「いろんな考えが浮かんで、瞑想に集中できなかった」という人でも大丈夫です。

 トムのように、思考が止まり、呼吸が止まり、時間も止まるという境地にはなかなか行けないでしょうが、習熟すると、ある日、頭の中のおしゃべりが止む瞬間を体験できるようになるかもしれません。

 もしピンと来たら、気長に、リラックスして、取り組んでみて下さい。


トム・ケニオン
「Taoist Stillness Practices:Slowing the Whirly-gig of Mind (道教の静功実習:心の乱れを静める)」

翻訳者:jacob_truth 翻訳完了日:2021/07/25(日)

原文:

 子供の頃、私は鮮やかなスチールブルーのシュウィン社製自転車を所有していました。私の住んでいたブロックでは、タイヤのスポークにトランプを取り付けて音を鳴らすことがとてもクールだとされていました。そして、思春期の仲間に受け入れられたいと思い、ピカピカのワンダーを1パック丸ごと、そう、1パック丸ごと、飾ったのです。母から洗濯ばさみを借りてきて、ありとあらゆる場所にカードを貼り付けました。その結果、近所を走ると、まるで爆竹の狂った不協和音のような音がするようになりました。

 締めくくりとして、ハンドルに2つの旋風機を取りつけました。ガムテープで右と左に分けて貼り付けました。その頃から、シンメトリー(左右対称)の癒しを求めていました。

 馴染みのない方もいらっしゃるかもしれませんが、「ウィリー・ギグ(whirly-gigs)」とはピンホイールのことで、通常はプラスチック製で、木のダボ(dowel)の上に置かれています。簡単に回転します。風が強ければ強いほど、回転が速くなります。私は、自分の作ったウィリー・ギグがくるくる回る様子に魅了されました。私は全力でペダルを漕ぎ、小さなプロペラが回転する色の塊に溶けていくのを眺めていました。ある日、私は自分のウィリー・ギグを見るのに夢中になりすぎて、歩道から人氣のない土地に飛び出してしまったことに気づきませんでした。気がつくと私は地面に倒れていて、木と正面衝突した被害者になっていました。私のウィリー・ギグは乱れ、自転車のフロントは曲がってしまいました。自分のやっていることに注意を払う、ということを痛感しました。

 時が経つにつれ、私は自転車とウィリー・ギグを手放しました。ただ、それらや、バルーン・タイヤのついた自転車への思い入れは消えていません。

 大人になった今、私は自転車のハンドルの上でウィリー・ギグを見ることはありません。その代わりに、マインドの中で回転を見ています。変な例えかもしれませんが、私たちの思考や感情は「渦巻き(ウィリー・ギグ)」に似ていると思います。簡単に回転します。私たちの頭の中では、あっという間に思考や感情が回り始めます。マインドの中の渦巻きは、時に穏やかに回転します。またある時には、コントロールできないほどの速さで回転することもあります。

 マインドの渦巻きというのは不思議なものです。回り始めると、発生した思考や感情を自分自身として認識してしまいがちです。マインドの渦がたまたま楽しい方向に回転し、楽しい考えが生まれると、私たちはそれを受け入れます。私たちはそれを、「幸せ」や「満足」と言います。しかし、マインドの中の渦が不快な方向に回転し、不快な考えや感情に取り囲まれた場合、私たちは「反発します」「動揺している」と言います。

 私たちの多くは、「つかむ」(それが欲しい)と「避ける」(それは欲しくない)という両極端の間で揺れ動くことを、日常的に経験しています。マインドの渦は常に回転しています。なぜならそれが本質だからです。言い換えれば、常に動いているのです。思考や感情は、常にこのマインドの動きから生じています。そして何千年も前に、世界中の古代の賢者たちは、マインドの動きの源が体内の微細エネルギーの流れにあることを発見しました。チベット人はこれを肺(または風)と呼びます。ヨギは「プラーナ」、タオイストは「氣」と呼んでいます。

 各々の錬金術システムは、それぞれ独自の方法で、思考や感情の経験を担う微細な経路をマッピングしています。彼らはこの微細エネルギーの動きを明確に説明し、その流れを変える方法を開発しました。その結果、マインドとその創造物(思考や感情)に直接影響を与える内なる技術が生まれました。

 世界の様々な錬金術の伝統に目を向けると、マインドとその創造物への態度に、驚くほどの共通点があることがわかります。ほとんどの錬金術は、マインドを静めるための方法を教えています。内側の静けさにこだわる理由は、静けさの中でこそ、マインド(あるいは意識)が自分自身に氣づけるからです。それまでは、私たちは精神的な経験の渦巻きに魅了されています。私たちは、自分の考えや感情を自分自身と同一視し、それらが雲のように行ったり来たりしていることに氣づきません。そして、それらは、雲のようにはかないもので、ほとんど実体がありません。

 自分のマインド(渦巻き)を超越することで、自分の本当の姿である「純粋意識」が見えてきます。そして、私たちの生来の意識の純粋さが自覚に上るにつれて、私たちはこの世界の夢から目覚め始めます。私たちは、今も昔も永遠に自由であることがわかり始めます。それは、自分のマインドに固定された回転から目を覚ますだけのことです。

 だから、実際的な問題は、「どうすれば自分の偉大なアイデンティティに目覚めることができるのか?」です。

 自己実現の道の一つは、古代中国の道教の賢者たちによって作られました。他文化の錬金術師のように、彼らは意識の内部経路とマインドとの関係を発見しました。

 道教の錬金術を理解するためには、「氣(chi)」と呼ばれる微細な力を理解しなければなりません。全世界を創造しながら、その世界に触れることのない「道(Tao)」の巨大な神秘からは、この生命力(氣)が永遠に流れています。

 氣には様々な種類があります。例えば、クエーサーや星から流れ出る生命力がありますが、これは小川から生まれる「氣」とは全く質が異なります。「氣」というと、一般的には空気中の微細な生命力を思い浮かべます。このタイプの氣は、都市から離れた自然の中に最も集中しています。このような生命力は、木が生い茂っている場所、湖や川、小川、そして海などの大きな水辺で最も強くなります。このタイプの「氣」は、マイナスイオンと関係しているという説がありますが、それを裏付ける証拠があります。しかし、「氣」には他の種類もあります。より繊細でより洗練されたタイプの「氣」があり、こちらは道教の高度な錬金術の焦点の1つです。

 道教の道士たちは、伝統的に自然の中で隠遁生活を送っていました。後の時代になると、男女のグループで共同体を作り、他の人々と一緒に錬金術の探求をするようになりました。しかし、ほとんどの場合、これらの道教の住居は都市から離れていました。彼らは通常、「氣」が特に強い場所に住んでいました。そこは、しばしば龍穴(Dragon Points)と呼ばれる地域にありました。

 龍穴は、ある氣が他の氣と出会う場所です。山岳地帯で最も劇的に見られます。2つの尾根が合流すると、山の側面を流れる溝や峡谷ができることが多い。天の氣(天空で生成された氣の種類)が下に流れると、山の地上の氣と尾根の間のポイントで出会うのです。これを龍穴と呼びます。

 2つの流れや川が合流するところでは、氣の増加が見られ、これもまた龍穴と呼ばれています。道教の道士たちはこのような場所を探して、龍穴そのもの、あるいはその近くに住居を構えました。これにより、錬金術のワークがしやすくなりました。なぜなら、練習に使える氣が豊富にあったからです。

思考・時間・呼吸
 他の内的錬金術と同様に、道教の修行者はマインドを鍛えて、長時間の静寂状態に入らなければなりません。タオは精神的な静けさの中でのみ経験することができます。道教の錬金術的な変換の多くも同様に、静寂のマインドを必要とするため、このマインドの静けさは非常に重要です。

 マインドを静める実修には多くの段階があります。太極拳のように動きを伴うものや、これから御紹介する「天門(the Celestial Gate)」のように座って行うものもあります。

 これらの静寂の修行により、マインドはやがて深い静けさの状態に入ります。実際の練習時には、特に初期において、精神の慌ただしい動きが起こります。思考がある時には激流のように、またある時にはしずくのように、次々とマインドに湧き上がっては去っていきます。やがて修行者は、思考のスピードが落ちていくことに氣づきます。思考と思考の間にはより多くのスペースが生まれ、ある時点で、ほんの少しではあっても、思考は完全に停止します。

 修行者はこの状態で、呼吸の変化にも氣づくでしょう。思考が遅くなると、呼吸もゆっくりになる傾向があります。そして、思考が停止した時には呼吸も停止するか、非常に浅くなることが多い。これにはいくつかの理由があります。

 神経学的見地から、これは修行者の脳波がアルファ波やシータ波の低い状態になって、自然と呼吸がゆっくりになるからだと言えます。瞑想の研究では、このような状態が、筋肉の緊張、脈拍、血圧、呼吸などを低下させ、ストレスを軽減するのにとても有効であることを示しています。実際、道教の静功のように、このような瞑想を実践する人は、していない人に比べて、一般的にストレスが少ないことを、研究は示しています。

 数年前、日没の一時間ほど前に、私は公園で天門(ヘブンズ・ゲートとも呼ばれる)として知られる瞑想法を実践していました。日が沈んでからも、私はこの実習を続け、自分の呼吸が完全に停止していることにふと気がつきました。それだけではなく、思考も停止しているようでした。私のマインドは、まるで静かな湖の表面のように澄んでいて、穏やかでした。しかし、私にとって最も驚きだったのは、その瞬間、時間までもが停止し、時間を超越したマインドの次元に浮かんでいたことでした。

 暗くなってきたので、車に戻ることにしました。駐車場までは、歩いて20分ほどかかりました。車に戻ろうという衝動は、思考ではなく、体の奥深くから湧き上がる感覚としてありました。私は、「今、車に戻らなければならない」とは、考えなかったのです。このマインド内の会話がない状態は、その時、私にとって、とても興味深く感じられました。車までの道のりは上り坂だったにもかかわらず、その散歩の間、自分の呼吸がとても浅いことに気がつきました。この時間を超越した感覚は強烈であり、その時、私は何の苦労もなく、丘を越えたように思われます。

 皮肉なことに、駐車場に停車している自分の車を目にすると、その夜の約束のことを思い出し、自然に深呼吸をしました。私の呼吸は正常に戻り、あの時間を超越した感覚は消え去ったのです。私はしっかりと時間の中に引き戻されていました。

 時間を超越した感覚と呼吸の停止の間には、驚くべき関係があります。道教の瞑想修行では、精神的に深い静寂の状態に入る時に、この呼吸の停止はしばしば見られます。

 精神神経免疫学(思考と感情が免疫に及ぼす影響)の分野で仕事をしてきた心理療法士の私にとって、時間のパラドックスは、とても興味深いことだと思います。

 心停止のために緊急治療室に運び込まれた患者たちの研究は、体とマインドの相互作用についての、興味深い情報を明らかにしています。これらの患者たちは、回復期に、時間の知覚についていくつか質問をされます。彼らの回答によって、研究者は、完治する患者と、再び心臓発作で命を落とす患者とを予測することができます。「物事をあるがままに任せて治療に専念し、やるべきことをするための時間が充分にあると感じる」と答えた患者は、次の心臓発作を避けて、完治する場合がほとんどです。しかし、「やるべきことをできないということに、莫大なプレッシャーを感じ、時間がないと感じる」と答えた患者の多くは、次の心臓発作で命を失う可能性が高い。

 これは、道教の賢者にとって、驚くことではありません。道教の立場からすると、時間に追われる現代社会は、健康にも靈的成長にも、悪影響を及ぼすものです。私たちは時間に束縛されたマインドを、常に静穏な状態に戻さない限り、現代社会の悪影響に苦しまなければなりません。

 私はこれまでに、何百人、何千人という人たちに、道教の簡単な静けさの実習を指導してきました。とても素早く簡単にできるこの瞑想法に、全ての人が深い感謝を示しています。とりとめのない思考(内なる会話)が原因で、これまで一度も瞑想のできなかった人は、特にこの瞑想方法を評価しています。

天門の瞑想法
 「天門の瞑想」訓練は、龍穴に基づいています。龍穴とは、先に述べたように、数種類の氣が合流する地点です。

 人間の体にもいくつかの龍穴があります。「天門」はそのうちの一つで、「天の氣(非常に精妙な氣)」が体に流れ込んで、体の「地の氣」と出会う場所です。この場所はエネルギーに満たされた場所であり、道教の賢者たちは、大昔にその恩恵を得る方法を発見したのです。

 楽に座って、目を閉じて下さい。横になっても構いませんが、そうすると眠ってしまう場合があります。しばらくの間、自分の呼吸を意識して下さい。呼吸を変えるのではなく、ただ見つめて下さい。呼吸のリズムと深さに気づいていて下さい。しばらくしてから、鼻柱の後ろ2~3センチ奥のスペースを意識して下さい。この部分に2~3センチ四方の窓を想像して下さい。これが「天門」です。ただその部分に焦点を合わせて下さい。

 そこに集中しないで下さい。ただ、その部分を意識する。思考や空想が頭に浮かんでも、まったく問題ありません。好きなように続けて下さい。ただ、あなたの注意の一部をこの窓に置く。好きなことについて好きなだけ考えても、自分の意識の一部が「天門」にある限り、この瞑想はうまくいきます。

 この門を意識し続けるうちに、やがて思考の速度が落ちることに気づくでしょう。しばらくすると、思考や空想の間にスペースが生まれるようになります。そして、やがてそれらは、一時的だとしても、完全に停止します。このような瞬間に、呼吸が非常に浅い状態、あるいは、停止していることに気づくかもしれません。これは自然なことで、実際、あなたが非常に深い静けさの状態に入っているというサインです。このように、呼吸と思考が停止した、最も深い静止の状態において、「道(Tao)」とコンタクトを取ることができるのです。

 これを、5分程度続ければ、この瞑想がもたらす意識の変化を明確に感じることができるでしょう。初心者は、軽い段階の精神的な静けさに落ち着くのに数分かかります。しかし、時間が経つにつれ、この時間が長くなり、深いリラックスした心の状態に入る方法に自信が持てるようになります。

 研究によると、このような静寂の習慣は、ストレスの悪影響を軽減するのに非常に効果的です。1日1〜2回、20分程度行うだけで、心の豊かさが大きく変わります。

 この瞑想のシンプルさを軽視しないでほしい。これは、あなたを直接「道(Tao)」へと導く、深遠な静けさの瞑想です。このような深い静止の場所に自らを慣らしながら、そこで快適に過ごせるように、少しずつ、瞑想時間を延ばしていきましょう。

 道教において、最深の秘密は、「道(Tao)」そのものによってのみ明らかにされます。錬金術の深い真理は、書物に書き記すことを、禁じられています。従って、「天門」のような瞑想は、宇宙の鍵なのです。時間をかけて忠実に実践すれば、知覚の内なる扉を開くことができます。

 しかし、鍵と同じように、開くためには、それを回さなければなりません。考えているだけでは変化は起こりません。「道(Tao)」の神秘を自ら体験したいなら、ただ読むだけではいけません。鍵を回して、ドアを通って下さい。


※トム・ケニオン&ジュディ・シオン(鈴木里美訳)『マグダラの書 ホルスの錬金術とイシスの性魔術』ナチュラルスピリット、2006[2002]のp,160~166に完全にではないが、ほとんど同様の記述がある。翻訳の参考にさせていただいた。記して感謝としたい。


以前の翻訳記事はこちらをご覧下さい。


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