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「稲川淳二の怪談ナイト」行ってきたので感想書く

稲川さんは今年も元気そうだった

 私はここ数年稲川淳二の怪談ナイトを観に行っている。今年で4回目になるだろうか、毎年の楽しみになっている。稲川淳二の元気な姿を見ることで夏の終わりを実感しているような気がする。
 今年はコロナの影響もあり、正直なところ開催してくれるのかかなり不安だったが、検温・来場者カードの記入・アルコール消毒・座席数制限・換気休憩といった種々の対策の上でほとんどの会場での開催が実現している。本当にありがたい。様々なフェスやライブが中止になっている中、こうした機会のありがたみが本当によくわかる。リアルイベントは良いものだ。

ざっくりあらすじ(それっぽいタイトル付)

1話目・暗闇に潜む女
 とある金持ちの知り合いがいるAさんは、しばらくの間別宅の管理を任されることになり、その日は庭の手入れをしていた。その別宅には行き慣れており、いつも通り作業をしていたのだが、ふと誰かの気配を感じた。どうも誰かが自分を見ている気がする。家の中に誰かいるのだろうか。訝しんだAさんはその家に電話を掛けてみる。中に誰かいれば出るはずだ。……誰も出ない。Aさんは念の為に中を確認してみることにした。風除室のように二重構造になっている玄関を抜け、家の中に入るAさん。陽の光が入らない真っ暗な廊下。電気も付かない。ペンライトの明かりを頼りに中を調べていると、2階のとある部屋で気配を感じた。いる。真っ暗な部屋の中で明かりを向けてみると、そこには真っ白な顔をした女がいた。その場から駆け出すAさんは、階段で躓き転がり落ちてしまった。足首を痛めたAさんは、痛みに耐えながらゆっくりと明かりを階段の上に向ける。いる。着いて来ている。痛みで立ち上がれないAさんは床を張って逃げ出した。ペタッ、ずずっ、ペタッ、ずずっ。Aさんの背後から足音が聞こえる。ペタッ、ペタッ、ペタッ。Aさんは呻きながら、叫びながら這いずり、玄関を開け、ようやくのことで陽の光の下へと逃げ切ることができた。

2話目・温泉宿の怨霊
 
五人の若者たちが東北の鄙びた温泉宿にやってきた。男三人、女二人の組み合わせで、女二人は離れで寝ることにした(この辺りうろ覚え)。何部屋かが連なっている狭い平屋で、その内の一部屋の前にはスリッパがあり、どうやら先客がいるらしかった。その夜、一人で母屋の温泉に向かったB子さんは、そこで四十がらみの女性と出会う。離れの先客はその女で、湯治に来ているらしい。彼女は、B子さんに凄惨な心中事件の話をする。昔この宿に湯治に来ていた夫婦がいたらしい。妻が不治の病で、医者にも匙を投げられ、最後の望みを持ってやってきたそうだ。しかし、病気はどんどん進行し、絶望した妻は殺鼠剤を飲んで自殺しようとした。ところがそれでは簡単には死ねず、血を吐き苦しみながら夫に自分を殺してくれるように頼んだ。夫は了承し、出刃包丁で妻を刺し殺そうとしたが、手が震えて狙いが定まらない。何度も何度も妻を刺し、ようやく死んだ頃には部屋が血まみれになっていた。その後夫は畳を剥がし、床板を剥がし、土の上に妻を横たえ、自分は外にある樹で首を吊ったのだ。という話をB子さんに聞かせた女は最後に、ここには怨霊がいるんですよ、と告げて去っていった。
 風呂から上がったB子さんはぼんやりと天井の豆電球の明かりを眺めていた。何気なく部屋を見回していると、隅の方に布が掛けられた鏡台があることに気付いた。布をめくってみるが、そこには鏡がなかった。不審に思ったが、さほど気にせず布を戻して眠ることにしたB子さん。しばらく時間が過ぎ、冷え込んで来たので掛け布団を引き上げようとするが、妙に重い。まるで何かが乗っているようだ。と、急に重みがなくなり、気配が通り抜けた。部屋を見回すと、鏡台の布がめくれている。おかしい。さっき確かに布を掛け直したはずなのに。ゆっくりと鏡台に近づくB子さん。そこには自分の姿が鏡に映っている。布に手がかかる直前、布はひとりでに鏡台へと覆いかぶさった。怯えたB子さんは布団に潜り込む。そしてはたと気付く。おかしい、あの鏡台には鏡がなかったのに、自分が映っていた。いや、あれは自分ではない、誰かが鏡台の中から自分を見つめていたのだ。恐ろしくなったB子さんは必死に目を閉じる。と、急にかぶっていた布団の重みがなくなった。勝手に持ち上がっているのだ。そして、誰かが布団の中へと入ってきた。自分は横を向いて背を向けているので顔は分からない。始めは女友達かと思ったB子さんだが、その友達とは背の高さが違うことに気付いた。背中に体を押し付けてくる何者か。それは急にB子さんの肩を掴み、そちらに振り向かせようとする。必死に抵抗するB子さんだったが、力負けし仰向けにさせられてしまった。豆電球の明かりで逆光になった、女の顔がそこにはあった。B子さんは意識を失い、気付けば朝になっていた。悪い夢を見た。そう思ったB子さん。帰る前に先客に挨拶をしようと部屋の前で声を掛けるが返事がない。気になったB子さんは部屋を開けてみるがそこには誰もいなかった。それどころかその部屋は床板が剥がされ、下の土が見えており、到底人が寝られる様子ではなかった。怖くなったB子さんはその場を足早に立ち去った。その後でB子さんは女友達と話すのだが、彼女も昨日母屋の温泉に入っていたことを知り、出会わなかったことを不自然に思って、昨日自分が入っていた温泉を確認してみることにした。のれんをくぐってその先の脱衣所に入る。扉がやけに重い。温泉へ続く扉も重い。中に入ってみると、そこには蜘蛛の巣が張っていて、厚い埃が積もっていた。温泉からは湯気一つ立っていない。床を見てみると埃の中に一人分の足跡がある。自分の足を載せてみるとぴったりと合う。昨日、私はここに来たんだ。B子さんの背筋が凍る。離れに昨日の女の言葉を思い出した。ここには怨霊がいる。そうか、あの女が怨霊だったのか。
 
3話目・階下の女
 三十代で独身の久保さんは、とあるアパートに引っ越すことにした。そのアパートには訳ありの部屋があるらしく、Cさんが住む部屋とは別だが、家賃が安くなっていたのだ。そこに引っ越してから数日後。夜仕事から帰ってくると急に玄関のチャイムが鳴った。ドアを開けてみるとそこには清楚な格好をした若い女が立っていた。その女は岡本と名乗り、久保さんの真下の部屋に住んでいると言った。用件を訊くと、自分の部屋に誰かがいる気配がするから、一緒に来てほしいのだという。了承した久保さんがゴルフクラブを手に階下の部屋へ入る。女は久保さんの後ろに隠れるようにしている。誰もいない。振り返ると女が物凄い形相をして久保さんを睨みつけていた。久保さんが面食らっていると、女の表情が元に戻り、礼を言ってきた。不審に思いながらも久保さんは部屋へ戻り、それから数日が過ぎた。
 この部屋へ越してから初めての休日を過ごしていると、また玄関のチャイムがなった。今度は大家と、二人組の刑事が立っていた。どうもこの部屋で現場検証の必要があるらしい。否やもなく三人を招き入れる久保さん。刑事たちは靴を脱ぎ、それを手に持って部屋の奥へ進んでゆく。ベランダに用があるのだという。そこには非常用の階下へ続くステンレス製の扉があり、梯子をかけられるようになっていた。刑事の話では、以前この部屋に住んでいた男がこの扉を使って階下へ降り、そこで空き巣を働いていたのだが、折悪しく部屋の住人が帰ってきた。慌てた男はそこらに落ちていた電気コードを拾って身を隠した。そして部屋の住人の隙を見て後ろから首を絞めて殺害したのだという。それを聞いて久保さんは得心した。先日の岡本という女はきっとこの話を聞いて怖くなったのだろう。それを刑事に話すと急に表情が険しくなった。その被害者の名前も岡本なのだという。ということは、先日自分の家に来た女は生きている人間ではなかったのだ。もう一つ気になることがある。殺された女は後ろから首を絞められた、つまり犯人の顔を見ていないということだ。その女が知っているのは、犯人は真上の部屋の住人だということだけ。もしかしたら、あの時訪ねてきたのは自分を殺すためだったのではないか。階下の部屋へ入る際、自分の後ろにいたのは首を絞める機会を窺っていたのではないか。振り向いた時に物凄い形相をしていたのは、正に復讐を果たそうとしていたからなのではないか。自分が振り向いたからまた機を改めることにしたのではないか。それに気付いた久保さんだが、その女に人違いだと伝える術もないし、経済的な事情からすぐに引っ越すわけにもいかない。結局そのまましばらく時間が経った。そしてある夜、玄関のチャイムが鳴った。来た。部屋の隅で固まる久保さん。コン、コン。扉がノックされる。何度も何度も、やがてドンドンドン!と扉が激しく叩かれる。恐怖に震える久保さんだったが、ふと気付いた。そうだ、ベランダから逃げればいい。そうっとベランダに出て、階下へ続く扉を開ける。梯子を降ろしてゆっくりと二階へ下りてゆく。二階のベランダでもう一度非常扉を開け、梯子を降ろす。一階まで行ければあとはどこにでも逃げられる、そう考えながらゆっくりと梯子を下る久保さん。だが突如として後ろから電気コードを首に掛けられ、強い力で絞められる。必死にもがく久保さん。片手で梯子を掴んでいるので力が出せない。いよいよ苦しくなり、両手を離して体全体でもがく。と、急に体が解放され、久保さんは一階へ落下する。全身にじんわりと痛みが広がり、他の住人が出てきて久保さんに声を掛けたり救急車を呼んだりしている。久保さんの意識は深い闇の中にぐうっと呑み込まれていった。

4話目・2人の自分
 
小学二年生の授業参観日。みんなのお母ちゃんが並ぶ中に、私の母はいなかった。半年前に亡くなったのだ。みんなは時折後ろを向いて手を振ったりしていたが、私はじっと前を見つめていた。と、隣の席の友達が私の肩を叩き、後ろを指差す。振り返るとそこにはお母ちゃんの着物を着た中学二年生の姉が立っていた。私のために来てくれたのだ。
 「老けて見えるようにお母ちゃんの着物着てきたんだ」そう言って笑う姉。「ねぇ、私が少し前を歩くから後ろからお母ちゃんって声を掛けてみなよ。」姉はそう言って少し早足で前へ行き、そしてゆっくりと歩き出した。「お母ちゃん」「はいよー」「お母ちゃん」「はいよー」「お母ちゃん」返事がない。私は姉の元へ駆けた。姉は泣いていた。それを見て私も泣き出した。
 それから半年後。母の一周忌の日。私は家の中で人影を見た。仏間の姿見に向かって、母の着物を着て立っていた。私はゆっくりとその人に近づいた。鏡に映ったその顔は、母によく似ていたが別人だった。私はその場から駆け出した。やがてその記憶も薄れ、長い月日が経った。
 そして、母の二十七回忌の日。久々に実家に戻った私は姉と話していた。母の亡くなった時の年齢に追いついていた私は、母にそっくりな顔になっていた。そんな私を見て姉は、「お母ちゃんの着物、着てみたら?」と言った。母の着物を着た私は、仏間の姿見で自分の姿を眺めていた。と、姿見に子供の姿が見えた。後ろから私を見ているらしい。その子がゆっくりとこちらに近づいてきた。なぜだか見覚えがある。あの顔、あの服装……そうだ、子供の頃の私と同じ格好をしている。その子は私の顔を見ると、どこかへ駆けていった。その時私は気付いた。二十六年前、子供の頃の私が見た母によく似た人は……私だったのだ。

稲川怪談には珍しいオチ

 三話目のアパートの話、稲川怪談ではかなりレアなオチなのではないだろうか。基本的に稲川さんの怪談は誰かから聞いた伝聞形式なので、語り手となる人間は死なない。ところがこの話の主人公は安否不明となっている。後日談などもなく、意識がなくなったところで話が終わっているので死んでしまった可能性が高い。これ以外で主人公が死んでしまう話は、カメラマンが交通事故に遭う話くらいしか知らない。珍しい話を聞けてよかった。

心霊写真パート

 今回の心霊写真パートはいつもより面白かった気がする。始めの数枚は心霊写真っぽく見えるだけのもので、作り方やおかしく見える理由など、かなり細かいところまで解説されていた。心霊写真パートの漫談っぽい雰囲気が結構好きなのだが、今回はいつもよりその感じが濃かった。
 豆知識も色々あった。毎年同じようなことを聞いている気がするがあまり覚えていないので、ここに書いておこう。まず、心霊写真を撮ってしまった際の対処法だが、細かくちぎって焼いてしまうとよい。心霊写真自体が悪影響を及ぼすことは基本的になく、むしろ残しておいて記憶から消えないほうが問題なのだという。人間の記憶は変わってしまうからだそうだ。心霊写真そのものよりそれを気にしてしまう人間の心の方が問題だというのは、かなり示唆的で重要なことだと感じた。また、心霊写真を撮った時、一緒に映っている人と何か関係があるように思ってしまうが、実は写真を撮った人の方になにかしらの力があるらしい。などなど、色々な話を聞けて楽しかった。

最後に出てきためっちゃ怖い心霊写真(明日追記予定)

 今から八十年ほど前に撮られた、芸者さんの集合写真に写り込んだ謎の老婆。普通の心霊写真に比べて遥かに鮮明に映っているそれは、かなりの恐怖を感じさせるものだった。モノクロの写真に写り込んだ老婆は、ともすれば生きている人間と思ってしまうほどにくっきりと写り込んでいた。一人の芸者の顔の後ろに、老婆の顔の左半分だけが見えている。芸者の白塗りの肌と対照的にその肌は黒く、神妙な面持ちで佇んでいる。だが、誰かがうっかり写り込んでしまうような状況の写真ではない。写真家がきちんと芸者たちを整列させて撮っているものなので、誰かが紛れ込んでいれば絶対に指摘されるはずなのだ。なにぶん古い写真なので、持ち主に詳しいことを訊くこともできない。その写真だけが残り続けている。
 また、稲川さんがこの写真を手に入れてから、知り合いに不幸が重なったそうだ。稲川さんは偶然だと思う、と言っていた。もちろんそうだろうが、この写真の持つ怖さを増幅させるには十分な効果があった。怪談ナイトでは毎年一枚は怖い心霊写真があることが多いが、今回の老婆の写真は今までの中でも相当な怖さだった。

最後に:リアルイベントの相対的価値の上昇

 今年は様々なイベントが中止になったり、オンラインイベントに切り替わったりと、かつてない状況になっている。様々なイベントがオンラインで開催され、本来ならば見られなかったライブなどが家で見られるようになったりと、悪いことばかりではないと思っていた。私はVtuberが好きなのだが、そういった意味では結構特をすることも多く、案外リアルイベントがなくても大丈夫かもしれない、などと感じていた。しかし今回久々にリアルの会場へ行き、生身の人間の講演を目にして、その価値を強く再認識した。同じ空間にいる演者の空気感や細かい仕草、会場に響く声。体全体で感じる音響や、視界いっぱいに広がるステージ演出。暗闇の中でライトに照らされた演者をじっと眺めているうち、真っ暗な闇の中に演者だけが浮かんでいるように見えてくる。今まさにそこにいる、ということの価値。そういうものはPCのモニターでは映りきらない。元々リアルイベントに足を運ぶことは多くないのだが、今回久々に行ってみて、その価値が、良さがよく分かった。無事開催されて本当に良かった。来年もまた、稲川さんの元気な姿にお会いしたいものだ。

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