見出し画像

「積極的にゴロゴロ」することは心理学的に正しい

自分はわりと「頑張る」方の人間だと思うのですが、それでも時々ふっと気が抜けて、何もしたくなくなることがあったりします。

3連休とかを「めちゃくちゃ生産的に過ごすぞ!」と予定を立てても、全然その通りに行かず、結局ずっとゴロゴロしてしまうこともあります。

昔はそういうことがあるとものすごく自己嫌悪に陥ってしまい、「計画通りにできない自分は最悪だ」と自分を責めていました。ですが、最近は「まぁ、休めってことだね」と思えるようになりました。

さらに、どうせ怠惰に過ごすなら「あー、ゴロゴロしてしまった、、」とネガティブにゴロゴロするのではなく、むしろ「しっかりゴロゴロする」ほうが精神衛生上も良いので、完全に開き直ってゴロゴロしています(笑)

これは人間の無意識も関係していると思っています。

心理学者ユングは、「創造的な心的過程には退行が必要である」と述べて、自分の中のエネルギーが無意識のうちにネガティブな方向に引っ張られることはむしろ重要なことだと言います。

先日紹介した河合隼雄氏の『無意識の構造』にはこんなくだりがあります。

すべて創造的なものには、相反するものの統合がなんらかの形で認められる。両立しがたいと思われていたものが、一つに統合されることによって統合がなされる。
これを心理的に見てみると、まず心の中に定立するものがあり、それに対して反定立するものが存在する。そこで、その片方を抑圧してしまえば簡単な解決が得られるが、それは創造的とは言えない。そこで、自我はその両方に関与してゆこうと努力すると、自我はどちらにも傾けないので、一種の停止状態に陥ってしまう。ここで、自我をはたらかせていた心的エネルギーは退行を起こし、無意識内へと帰ってゆくことになる。

『無意識の構造』

つまり、「週末も頑張るぞ!」という自分と、「そんなに頑張れまへん」という自分。この2つの戦いが自分の中で始まると、自分の中で折り合いがつかないので、自己逃避が始まってしまうのです。私の場合、たいていはベッドの中でスマホをダラダラ見続けるという無為な時間が流れます(笑)。

これらは「創造的退行」あるいは「自我のための退行」などと呼ばれ、人間の意識と無意識が戦っている状態です。

これは、どうやら何かを生み出すために必要なプロセスのようです。
芸術家も、大作を生み出す前には他人から理解しがたいような時間の過ごし方をしている、と河合氏は指摘します。そしてこう続けます。

このような退行状態になると、この人は外見的にはただぼんやりとしているだけであったり、幼児的なばかげた行動をしたりする。ぶらぶらとしたり、ときに、いらいらした気分に襲われたりする。
しかし、無意識内においては仕事が行われていて、自我のそれまでのはたらきと無意識のはたらきとが統合され、定立と反定立を超えた、統合的なシンボルが顕現されてくる。
それは創造的な内容を持ち、それに伴われて心的エネルギーは進行を開始し、自我は新たなエネルギーを得て活動することになる。

『無意識の構造』

つまり、この自分の中の葛藤が一定期間進行したのちに、一定の「統合」が自分の無意識の中に行われて、再び前に進めるようになるというのです。なんと素晴らしい能力を私たちは持っているのでしょうか。

・・ということで、要するに自分がゴロゴロしたいのを正当化しているだけのような気もしますが(笑)、自分の中の葛藤が生まれたら、その葛藤を受け入れて、「時には自己逃避も必要だ」と開き直ってしまいましょう。

私はこれからも積極的にゴロゴロしようと思います(完)


「この記事は役に立つ」と思って頂けたらサポートお願いします!