そして「バンコク封鎖日記」が始まった~タイ起業10年記⑮

2020年のコロナ騒動は、僕らタイにいる日本人にもかなりの影響があった。

日本よりも厳しいロックダウンのせいで、生活は不自由になった。タイ全土に非常事態宣言が出て、移動も不自由になった。子供たちの学校も投稿停止になり、リモート授業に切り替わった。

駐在員は日本に帰れない・家族に会えない日々が続き、現地採用の方の少なくない人数は日本に帰った。そして僕ら中小起業家も、撤退・縮小などを含めた経営判断を求められた。

これは大変なことになる。

そう思った僕は、とにかくこの混乱の日々を書き留めておこうと、「バンコク封鎖日記」と題する連投ポストを始めた。これが僕がはじめて挑戦した毎日執筆活動で、その時は40日くらい続いた。

この「バンコク封鎖日記」はとても良かった。同じようにリモート生活に入った皆さんと心のつながりを感じることができたし、「今この時間にどんな意味があるのか」を考えることができた。

「コロナによって家族の時間が増えたありがたさ」とか、「自分の起業の意味」について考えたりとか、すごくいろいろなことを考えるきっかけになった。毎日、感じるところ素直に書き留めた。

会社の業績は当然ながらかなり不透明になっていった。
そんな中でも文章を書くことは、不安なニュースしか無い中で自分のメンタルを整えるのに役立ったと思う。以来、自分は環境に変化があったときはこの「毎日ブログ活動」をするようにしている。

そして、ロックダウンの初期のこと。ある忘れられない夜があった。

「コロナに勝つ!」という意気込みで起業家数名でトークセッションをしたのだが、明るい希望も何もなくてむしろ暗くなってしまった。その後ホテルに移動して部屋飲みをしたのだが、なんだか酔っぱらったのと感情が高ぶって思わず号泣してしまった、ということがあった。

僕は「大不況」への強い恐怖があった。
リーマンショックの時に、つぶれる会社や大量のリストラなどを目にしていたからだ。当時はサラリーマンだったので身に迫った恐怖はなかったが、自殺者も急増したあのリーマンショック級の不況が今度は自分にも襲い掛かってくるかもしれない。

自分は、社員と家族を守れるんだろうか。

そんな恐怖に襲われたのだ。
ひどく取り乱してしまった自分にびっくりしたが、その時の日記の文章を改めて読むと、自分の文章ながら、先が見えない日々を乗り越える決意を感じる。

一つ決意を新たにしたのは、自分はこの日記を、この先バンコク封鎖が終わるまでは続けていくということ。また、自分のビジネスがこの先にどんな形になるとしても、そのプロセスを書き留めておくことは自分の人生にって意味があるので、覚悟を持って日記を書いている、という事だ。

ところが、事態は思わぬ急展開を迎えることになった。

家族の不幸で緊急帰国することになってしまったのだ。

そこから、数か月にわたる予期せぬ日本での生活と、そしてタイ戻りの際の「人生最大のバズり」につながっていく。

(つづく)

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