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離れていても人を信頼できるか

バンコク封鎖日記Day30です。(最近更新遅れがちですいません)

人材紹介会社の方と話す機会があった。当然ながら業績は落ち込んでいるが、それは企業の採用意欲が減退しているだけではなく、「オンラインでの面接が受け入れられない」(一時面接くらいならいいが、最終面接までにはリアルは必要)企業がいるからだそうだ。

ほぼオンラインでしか人に会っていない自分からすると驚きだが(笑)、たしかに、「人を採用する」という経営上重要な意思決定においては、「一度も顔を合わせずにその人を判断する」というのはまだ心配な人が多いのも理解できる。

「Facebookの友達申請にどう反応するか」なんかも、人によってルールが異なる。基本的にはオープンに申請を受け入れる人も居るし、知り合いで無いと受け入れない人も居る。

自分も、あまり変な人とは繋がりたくないとは思いつつも、海外にいながら日本の方と繋がれるFBは貴重なので、「申請の際は一度メッセージをください」というルールにしている。そこでいちおうプロフィールを拝見して、共通の知人なんかも確認しながら、OKかNGかを判断している。

それでも、「ちゃんとした人そうだから大丈夫だろう」と思った人が、後で営業メールとかを送ってきて、後から「ごめんなさい」とunfriendしたことも何度かあるので、オンライン上だけで人を判断するというのはやっぱり難しい。

コロナにより「人が簡単に会えない世界」が訪れると、こうしたオンライン上での人物判断というのはますます難しくなるだろう。

Facebookの「友達申請はリアルでお会いした方に限ります」という方針の方も多いが、様々な講演会、イベントがオンラインが前提になると、この「リアル」という言葉は外れていくのではないか。「リアルかオンラインでお話ししたことのある方に限ります」という方向に変わるかもしれない。

昨日バズっていたブログでは、「リモートトラスト」という言葉を使っていて、こうしたキーワードがますます意識されるようになるかもしれない)

リアルとバーチャルの差を埋めるもの

ここまで書いてみて、「リアルで話すのと、オンラインで話すのと何が違うのか?」という疑問が湧いてきた。さきほどの「やっぱり面接は一度は対面で会わないと」という考え方は理解できるが、食事やゴルフをするとかならともかく、面接であればやることはオンラインでも変わらないのでは?という考えも浮かぶ。

やはり違いとしては単純に「対面の方が情報量が多い」のだろう。リアルであれば身だしなみなどを含めて全身を見ることができるし、立ち居振る舞いなどからその人の印象を判断できる。Chemistry Checkという言葉もあるように、「フィーリングが合うかどうか」というのも採用の重要な基準だが、バーチャルではそれを感じる事のハードルが上がる。

しかしそのハードルも徐々に下がっていくだろうとも思う。飲み会ですらオンラインが日常になると、オンラインでお互いに相手を感じ取り判断することへの「慣れ」も出てくるだろう。また、「情報量を増やす仕組み」も増えてくるだろう。僕が人材エージェントであれば、最終面接用に、全身が映るテレビと高速通信を備えた面接部屋を用意するかもしれない。全身が見えるだけで、その人を判断するための情報量はかなり増えるはずだ。

様々な努力で、離れていても人を判断するということは可能になっていくだろう。

経営における信頼

そもそも日本人は、リモートで人を判断するのが苦手な国民だと思う。

例えば合弁パートナーを決めるとき、日本企業は何度も何度も相手に会う。そして信頼できる人かどうかを何度も検討する。一度関係を結んでも、「何となく信頼できない」という理由で関係が白紙に戻ったりすることもある。現地法人トップを任せられる際も同じで、なかなか本社は現地トップの候補者を信頼してくれない。結果、最終的には「日本語が出来るから大丈夫だろう」なんて理由で選んでしまったりもする。

エリン・メイヤー氏の「カルチャーマップ」で一般的になったように、日本人は(そして多くのアジア人は)どちらかというと「人間関係ベース」で人を判断する。相手と多くの時間を共有し、個人的な部分も知り合い、ゆっくりと時間をかけた結果、相手を判断する。それゆえ、家族や知人の紹介などを最も強く信頼する傾向が強く、新しく知り合った人と短時間で信頼関係を作るのは文化的にはあまり得意ではない。

こうした「じっくり信頼関係を築く」という習性は、深い関係を築いて一蓮托生で頑張れるという良い点がある反面、物理的に人に会えないコロナ時代においては弱点になるかもしれない。

それゆえ、今後、経営者にとって「人を信頼する能力」は、移動コスト、時間コストを抑える意味でますます重要なケーパビリティ―の一つになると思っている。

具体的には、これまで「時間を共にする」ことでじっくり感じ取っていた価値観を意図的に把握しに行く「質問スキル」だったり、双方の期待を明確にすり合わせる「目標設定スキル」などが含まれるだろう。

ただ究極的には、「信頼する」という決断にどれくらいコミットできるかという事だと思っている。よく「あの人は信頼できない」という事をこぼす人がいるが、「信頼できる人と信頼できない人がいる」のではなくて、「自分が”信頼する”と決めるかどうか」だと思っている。

そういう意味では、「信頼とは決断の一種」と言えるのではないだろうか。

今日は以上です。

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