音感・言語と鳴き声の違いについて

真央ん大学のLesson248にhttps://youtu.be/EIx7Tb1NEe8コメントした内容。

音感ってとても言語能力と似ているような気がします。類人猿たちの「歌」と私たちの言語そして「歌」が決定的に違うのは、彼らの歌は本質的に「聴こえた通り」でしかないのに対して、私たちの言語や歌は聴こえた音に「別の意味*」を付加しているところだと思います。
(特にチンパンジーの言語=声の出し方の違いで30種類ぐらいありますがそれらの多くはヒトでもわかるような「聴こえ方」をします;例…「ギャウッギャウッ」と叫ぶ不快な怒鳴り声=怒りの声、「フーフー」と悲しそうな声=悲しい声、「ハフハフ」と息を弾ませる楽しそうな声=笑い声、などヒトの感情にそのまま伝わってきます)
*「別の意味」=音そのものとは関係ない、発音の高低や音色の細かい違いなどを体系化した「意味」です。

ただ真似するだけの事を「猿真似」と言いますが、その言葉は「猿」を侮辱している事にもなると思うので嫌いです。ヒトしかやらない事をそのように比喩するのは特に酷いと思うので、私はそういうのを「ヒト真似」とカタカナを使って言います(結構悪意あります😎)。

聴こえた通りをただ反復するのは猿でさえやらない「鸚鵡(おうむ)返し」だと思います(鸚鵡はヒトの言葉をドアの開閉音や薬缶に付いた笛の音と同じように極めて正確に模写しますが、決してその意味をヒトが理解しているのと同じような意味づけで理解しているわけではないようです)。但しそれは鸚鵡の賢さを否定するものではありません。

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