見出し画像

人は時に、極端な一般化をしてしまう

韓国に赴任して、しばらくの間、なんとなく疑問に思っていたことがある。会社では、毎朝9時から接客用語を唱和していた。

「いらっしゃいませ」
「かしこまりました」
「少々お待ちくださいませ」
「申し訳ございません」
「お待たせいたしました」
「ありがとうございました」

うちは、いわゆる接客業ではない。
「いらっしゃいませ」を言う機会はない。
なぜだろう?と思いつつ、まあ、挨拶は大事だしね、と流していた。

ある時、前任者と話をしていて、その謎が解けた。

社員の遅刻があまりに多すぎて、何をしても改善されない。そこで、前社長が生み出したのが、9時から始める接客用語唱和だったのだ。

居心地の悪さを感じさせ、罪悪感を抱かせて、行動を変えさせる作戦だ。

しかし、私が赴任した頃には、すでに、唱和開始時間に遅れが出ていた。9:00開始のはずが、9:03とか。

9:00に駆け込み、コートも脱がず、カバンを持ったまま集合。あちらこちらから、「ハアハアハアハア」が聞こえてくる。

「ハアハアハアハア」が「ハアハア」くらいに収まるのを待って、なんとなく始まる。そんな感じだった。

唱和が終わると、コートを脱ぎ、カバンを置き、パソコンを立ち上げる。トイレに行き、化粧をし、コーヒーを入れ、おしゃべりをし、タバコを吸う。再び席に戻るのは、9:30ごろ。

「ハアハア」してくる人はまだいい。なかなか現れない者もいた。連絡もつかない。しばらくすると、酒とニンニクと漢方薬の混ざったようなニオイと共に登場する。前日の夜に飲んで遅くなったという。

「ハアハア」もせず、酒のニオイもせず、ただただボーッと登場する者もいた。

私は韓国へ行くまでに、転職を繰り返し、4社で勤務していた。それらの会社では、始業時間=業務を開始する時間だった。9:00は、指紋をピッとする時間ではなく、仕事を始める時間だった。

学生時代の部活動でも、7:00から朝練=7:00に準備運動開始だった。練習はぴったり2時間で組まれている。わずかでも遅れようものなら、怒られた。

そんな私は、韓国で毎日「なんなんだ、こいつらは!」とイライラしていた。

「日本では〜〜」「日本では〜〜」を繰り返していた。たぶん、1日に1回は言っていた。「日本では〜〜(こんなことはあり得ない!)」と。

しかし、しかしである。
韓国から帰国し、入社した今の会社。社員は全員日本人。毎日のように、9:05、9:10に入ってくる人たちがいるのだ。スーッと来る1号、ササーッと来る2号、ボーッと来る3号。

私が「日本ではあり得ない」と心の中で叫んでいたことが、当たり前のように、今、ここ、私の目の前、日本にあるのである。

韓国で私が叫んだ日本は、すべての日本ではなかった。私が経験した、私の周りの、ごくごく小さな世界を、私は「日本」と呼んでいたのだ。

人は時に、こうして、極端な一般化をしてしまう。自分が経験した、ごくごく小さな世界を、そのすべてだと思い、レッテルを貼る。

日本は〜、日本人は〜、男は〜、金持ちは〜、B型は〜・・・と。

私が、もう少し広い日本を知っていたら?
自分は極端な一般化をしてしまう、ということを知っていたら?もう少し違った対処ができた気がする。

あああ、あのイライラした時間と、エネルギーを取り戻したい。やり直したい。

なのに、気がつくと、私は今日も「韓国は〜、韓国人は〜」と言っている。悪いクセは、なかなか抜けない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?