怒ってもいい時の条件
韓国に行って半年後くらい。
大学時代のコーチが、学生数名を連れて、合宿に来た。私の韓国語はやっとこさ中級の入口にさしかかったところ。そんなこともお構いなしに、我がコーチは、私を通訳兼お世話係として起用した。
一緒にプールを使わせてもらうスイミングクラブのメンバーたちに学生を一人ずつ紹介する我がコーチ。
「こいつは、猿っぽいけど、風呂に入りに来たわけじゃないんです。泳ぎます。種目はバック。去る日本選手権では・・・(続く)」
難しすぎる。長い。こんなん、どうすりゃいいんだ。コーチは壮大な笑いを期待しているはず。私の全身の毛穴から、汗が噴き出していた。
どこかで読んだフレーズを思い出した。
とっさにそれを採用した。
「いま、先生はとっても面白い冗談を言いました。しかし、私の能力では、その面白さを通訳できません。したがって、皆さん。1、2、3のかけ声で、笑ってください。いきま〜す。1、2、3!」
「えへ?」「アハ?」「ウヘ?」
パラパラと小気味悪い笑いが起こった。
あああ、、、その後のことは、覚えていない。
この悲劇は、誰のせいだ?
スイミングクラブのメンバーたちは、小学生から大学生までがいた。ノリ悪いだろ!かつての私の自己防衛のために、そう叫びたい。が、彼らに罪は微塵もない。
あの頃の私の韓国語じゃ、こんな感じだっただろう。
「イマ センセイ ジョウダン。
ワタシ ワカラナイ。
ダケド ミンナ 1、2、3 ワライマス!
ワライマス〜 1、2、3!」
49%くらいは、私の責任だったかもしれない。
しかし、コーチ!
日本語でも成就に困難を極めているギャグを外国語で、しかも外国語初級者を介して、成就させようとは何たる試み!結果は、火を見るより明らか。自明の理。
苫米地英人博士は、『「怒らない」選択法、「怒る」技術』の中で、怒っていい時の条件を、以下のように定義している。
1. 相手に過失があり、その過失によって自分に不利益が生じた時
2. その過失が予想外だった時
本件は、2に該当しておりません。したがって、怒ってはいけません。19年目の告白、どうか寛大な心で、お許しください。
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