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言葉を分解する腸内細菌

とある年のクリスマス in 韓国。女3人で、イタリアンレストランへ行った。日本人2人、韓国人1人、切ない女たちのクリスマスランチ。

生牡蠣が出た。私は30数年の人生で、一度も牡蠣を食べたことがない。生モノ全般があまり好きではなく、あの見た目もちょっと苦手。でも、クリスマスだし〜と初挑戦してみた。

ふ〜ん。まあ、食べられないこともないな。食べず嫌いを克服し、私も成長したものだ。と自己満足していた。

翌日の夕方、残業していた私は、体の力が抜けてしまって、立てない。何かがおかしい。たまたま残っていた人に助けを求め、車で家まで送ってもらった。

そこからが悲惨だった。翌朝まで、トイレの中でお便器様に跪いたり、座ったりを繰り返した。

だいぶ落ち着きを取り戻した昼すぎ、ヤバイことに気づいた。私は、明後日の日本行きの航空券を持っているのだ。これじゃあ、空港までたどり着けない。どうしよう。

一緒に食事をした日本人友に助けを求めた。彼女は病院で点滴を受けていた。そう、彼女も私と同じ時刻に、同じ苦しみを味わっていたのだ。私も彼女に追従し、病院で点滴を受けた。

苦しみを乗り越え、日常を取り戻した頃、一緒に食事をした韓国人友に連絡した。無事だったか?と。

彼女は、無事だった。何の異変も現れなかったらしい。

この違いはどこから来たのだろう?腸内細菌?

腸内に生息してしている細菌の種類は、人それぞれ違うという。遺伝など先天的な要素だけでなく、食習慣、居住地、年齢、ストレスなどの要素によっても変わるらしい。

であれば、30数年、日本で生きてきた私たちと、韓国で生きてきた彼女とでは、持っている腸内細菌の種類は違うだろう。

そんなことを思っているうちに、「愛してる」という言葉のことを考えた。

韓国にいると、日本より「愛してる」をよく聞く。

私も言われたい→   いや〜ん、最高!→ もっと言って!という時を経てきたが、それらはやはり、一時の熱病にすぎなかった。なぜか、しっくりこない。

「愛してる」を言ったことも、言われたこともなかった私の中には、「愛してる」を分解する腸内細菌が存在しないのかもしれない。

分解し、栄養素を生産し、免疫系を調整してくれるモノが存在しない。だから「愛してる」を聞いても、スーッと体に入ってくる感覚を得られないのではないか。

人には、食べ物だけでなく、言葉を分解、吸収する腸内細菌のようなものが存在するのかもしれない。

牡蠣による災難から、そんなことを考えた。

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