見出し画像

なんで整形しないんですか?

これまでの人生で「なんで整形しないんですか?」と言われたことがある。合計4回。これが多いのか少ないのかは不明だが、発言の主はすべて、韓国人である。日本人に言われたことはない。

私の目は一重、鼻は団子鼻だ。ご丁寧に、どこをどう直せばいいかまで、説明してくださった。おっしゃりたい気持ちは、よくわかる。しかし、心の中に留めておいていただきたかった。そんなにハッキリと言われると、正直、キツい。

会社の目の前に美容整形クリニックがあった。その隣には写真スタジオ。韓国に赴任して間もない頃「あそこで整形をして、隣でお見合い写真を撮ってくればいい」とまで言われた。ボロクソだ。

韓国が整形大国であるのは、周知の事実だろう。

韓国にいた頃、ある公園で、遠足に来ていた幼稚園児の集団に遭遇したことがある。仲良く手をつないで、歩いている。目の前を通り過ぎる子供たちを微笑ましく見ていた。で、気がついたことがある。ほとんどが一重だ。

しかし、地下鉄に乗っている女性たちを眺めると、ほとんどが二重だ。

私がこれまで知り合った韓国人女性も、98%は二重だった。ほとんどが手入れをしていると公言していた。全体で見ても、手入れの有無に関わらず、二重が多数派。一重がかなり少数派なのだ。

人は「みんながしていることは正しい」と思ってしまうものだと思う。「みんながしているから」というのは、人の心に強く作用する。

私は韓国で生活した時間が、2回合わせて6年ほど。永住するつもりはなかったから、「みんなと一緒」じゃなくても、私は外国人だし〜、いずれ日本に帰るし〜と開き直っていられた。

だから「みんながしているから」の影響を受けたり、「なんで整形しないんですか?」の問いに屈して、整形することはなかった。(私は整形自体を否定するわけではない。それは個人の自由で、他人がとやかく言うことではないと思う。やりたければ、やればいいし、やりたくなければ、やらなくていい。私は単に、病院が極度に苦手なだけである。)

でも、もう少し長くいたら、長くいるつもりで生活していたら、長くいなければならなかったとしたら、どうしていたかわからない。

「みんなと一緒」じゃないことは、「私っておかしい?」という自分への疑いを生む。一方「みんなと一緒」は、安心感を生む。

だから、同じ場所や環境に長くいると、そこに永住しようと思うと、どうしても「みんなと一緒」を選んでしまうのではないだろうか。その方が、楽だから。

しかし「みんな」は場所によって違う。環境によって違う。韓国での「みんな」と日本の「みんな」は違う。この職場での「みんな」と、あの職場での「みんな」は違う。

だから、「みんなと一緒」じゃないことにツラさを感じたら、そこから出てもいいと思う。いつか私はここから出る、ここに永住するつもりはない、と思いながらいれば、「みんなと一緒」じゃないことによる葛藤も軽減するんじゃないだろうか。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?