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公私のけじめ 公私混同

韓国で働いていたある日。歯がズキズキ痛み始めた。

私は病院も、歯医者さんも大の苦手である。会社が入ってくれている海外駐在員向けの保険では、歯科治療はカバーされていない。だから、歯医者へは行かないほうがいい。などと、言い訳、悪あがきをしてみたが、痛みはひどくなる一方。渋々、歯医者さんへ行った。

先生は日本の医科歯科大学を卒業された、日本語が流暢な方。丁寧に診察、説明をしてくれた。「手術をしなければなりません」

この言葉を聞いた私は、相当ビビった顔をしていたのだろう。日本語がまあまあ上手な受付のお姉さんに「怖いですか?怖くないですよ〜。大丈夫ですよ〜」と励まされた。まるで5歳児になった気分だ。

おかげさまで手術は無事終了。麻酔のせいか、腫れているのか、お礼を言うも言葉になっていない。自分の上唇が明太子状態になっている感覚。

会計を済ませ、次回の予約を入れ、処方箋をもらう。しばらく腫れるから、冷やしてくださいと保冷剤のような冷却ジェルをもらった。ここまで、私は多分、緊張していたんだと思う。いや、ぼーっとしていたのかもしれない。

薬局で薬をもらい、帰りのバスに乗って座った瞬間、オエッとなった。キムチのニオイが鼻を直撃したのだ。ニオイの源は、歯医者さんでもらった冷却ジェル。

毎日、キムチを食べている人には、このニオイはわからないかもしれない。でも私は、漬物というものが苦手で、韓国にいながらも、キムチを食べることはほとんどなかった。だから、ニオイをもろに察知してしまう。

家に着くまでずっと、息を止めて、冷却ジェルを当てる。冷却ジェルを離して、息を吸う。吐きながら、冷却ジェルを近づける。を繰り返した。

冷却ジェルが保管されていた場所の様子は、見なくてもわかる。冷凍室には、患者用の冷却ジェル。冷蔵室には、先生や勤務されている方々が食べるキムチや飲み物などなど。

「このニオイ付きの冷却ジェル、日本ではないだろうな」と思った。(決してイラついたわけではない。ただ、違いがあるなと思っただけ。)

それは、患者用の冷却ジェルという「公」と、従業員が食べるキムチという「私」が、同じ場所に入ることは、日本ではあり得ないと思ったからだ。

他の国はわからないが、日本と韓国を比べた場合、日本のほうが、公私の区別がはっきりしている。私はそれまで日本で、公私のけじめをつけるのは基本だと言われてきたし、それが当然だと思っていた。

しかし、韓国では、コンビニやお店で、店員さんがスマホで話しながら、レジ打ちする場面に、しょっちゅう出会う。勤務時間中に、病院に行ってくると言って、1〜2時間、席を外すのは、普通に認められている。勤務時間中のプライベートの電話やメッセージのやりとりも、当然。「私も〜❤️(愛してる)」という甘ったるい声を勤務時間中に何万回聞いたかわからない。

私はこのような、公と私がごちゃ混ぜな状態に、かなりイラついた。公私混同も甚だしい!と心の中で怒りまくっていた。

「公私混同」は大体において、悪い意味で語られる。それは、「私」が「公」から一方的に利益を得ようとする、もしくは「私」が「公」に不利益を与えることだからだろう。

でもたまに「公私混同」がいい意味で語られることもある。それは、「私」が「公」を利用して利益を得て、後に「公」にも利益をもたらすような場合だと思う。

インターネットのおかげで、「私」が「私」でできることが増えた。だから、私⇆公の利益の循環が可能になってきた気がする。「公私混同」をいい意味で語れる時代になってきたのかもしれない。

最近、「公私融合」という言葉を聞くようになった。仕事とプライベートを明確に線引きせず、どちらも充実させていくというものらしい。

正直、今の私は「公私融合」なんかではなく、公私のけじめを大切にする日本が心地いい。明確な線引きをしなければ、自分の利益を優先して行動してしまいそうな危うさを、自分自身に感じる。そして、他人の公私混同にイラ立つ自分自身の姿が見える。

でも、いい意味で「公私混同」ができる人、できる組織が理想だなと思う今日この頃。




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