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お願いへのハードルの高さと、NOへの免疫力は人によって違う

韓国にいた頃、はっ?はあ?と思うようなお願いに、何度もお目にかかった。

例えば、びっしり韓国語で書かれた20ページのプレゼン資料。日本語に翻訳してくれという。もちろん、私のご好意、無償奉仕で。私は彼の会社の人間でもなんでもない。彼の友達の友達だった。

ある時は、日本に一時帰国する時、買ってきてほしいと、画像が送られてきた。知育玩具。デカい。600x450x300mmの箱に入っている。スーツケースにだって入りやしない。彼女は、すでに全く関係のない、以前、取引のあった会社の社員だった。もちろん、個人的なお付き合いなど皆無。

またある時は、韓国語で書かれた演劇の台本が送られてきた。日本で上演したいから、翻訳してほしいという。もちろん、私のご好意、無償奉仕で。彼は友人の旦那の友人だった。会ったことさえない。

そして、またある時は、うちの会社の日本人社長にインタビューをしたいと、元社員がやってきた。私が赴任した時には、すでにいなかった人物。そいつが、突然やってきて、私に通訳をしてくれという。月100時間残業をしている私にだ。

私はこれらのご依頼に、丁寧に対応した。心の中では、なんで私が?と頭の中に数億個の?を抱えながら。

日本で私は、NOと言わなければならない状況をあまり経験していなかった。心の中でNOだなあと思っていると、なんとなく相手もそれを察知して、引き下がってくれた。だから、ハッキリ、キッパリ、NOと言う機会はほとんどなかった。

NOと言えない日本人。というより、NOを言わなくていい日本。にいた。

そんな私は、これらのご依頼にNOと言うのは、人として冷たいんじゃないか?冷たいと思われるんじゃないか?と怖れた。

NOと言うことによる、後ろめたさ、罪悪感、嫌われることに対する恐怖が強かった。いい人でありたかった。いい日本人でいたかったのだ。

だから、彼らのご依頼に応えた。やってあげたいという積極的な気持ちなど、1ミクロンもない。

しかし彼らは、YESと言ってもらえればラッキーくらいで頼んでいる。NOと言われたって、別になんとも思わない。

そんなことは、知らなかった。だから、いまだに思い出すと、「私の時間を返せ!」と思ってしまう。

人にお願いをすることに対するハードルの高さ、心の障壁の高さは、人によって違う。そして、NOと言われることに対する免疫力も、人によって全く違うのだ。

私が、はあ?と思った彼らは、お願いをすることへのハードルが低く、NOに対する免疫は強かった。しかし、私は、お願いすることへのハードルは高く、NOへの免疫は弱い。

ただの違いである。

違う以上、あらゆる高さのハードルを乗り越えた、あらゆるレベルのお願いが、目の前にやってくる。それらを選別する、自分のふるいを持っておくと、NOが言いやすいということに、帰国してから気づいた。

今の私は、ふるいを持っている。相手に全く感謝されなくても、自分の心が乱れないと思えれば、YES。それ以外は、NO。

こう決めておくと、NOを言うのも楽になる。


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