【終活110番041】死んでからも感謝される親になる

今回は、私がよく使っている「4つの老親モデル」についてお話しします。

望む望まないにかかわらず、長生きしなければならない時代です。人はひとりで死んでいくことができない以上、必然的に人生のさいごに介護をはじめさまざまな問題が噴出します。それらの多くの部分を支えるのは、実質的に子どもたちということになります。となれば、親たるもの、愛する子どもたちに過度の負担をかけずに済むよう、然るべきそなえをしておく必要があるはずです。

親がそなえておかなかったことで不便や不利益を被っている子ども世代をたくさん見てきました。そのたびに、つくづく思うのです。立つ鳥跡を濁さずで、親のさいごの役目として、目の黒いうちにきちんとそなえておくべきだと。子どもたちをして、「うちの親は、何から何まできちんと段取りをしてた。ホント、サイコーの親だったよなぁ」と言わしめるような、そんなクールな老後を全うしてほしいと思うのです。

実際、親の老後問題と言うのは、「超」がつくほどメンドクセ~ものです。ただでさえ、人は歳を重ねるにつれ、わがままで気むずかしくなります。煩悩に執着し、人の話に耳を貸さなくなり、自分の落ち度を認めなくなります。親にとって子どもは何歳になっても子どもであり、正論を吐かれようものなら、瞬間湯沸かし器のごとく感情むき出しな言動をするものです。そして、子ども側に十分な忍耐と精神力がない場合、親子間で凄惨な事件が起こったりするわけです。法務省のデータによれば、殺人事件の加害者の9割は面識のある人であり、6割が家族です。子どもの人生にとって親がリスクであるように、親にとってもわが子はリスクでもあるのです。

ですから、いつまでも親子関係をそこそこのレベルで維持しようと思ったら、成長するにつれて心理的・物理的に距離が離れていった子どもたちとの接し方について、親の側にはルールが求められます。その最たるものが、子どもたちに過度な負担を賭けなくて済むように、老後のそなえをしておくということなのです。

国民医療費と国民介護費を合わせて50数兆円ということからもわかるように、医療と介護は至れり尽くせりです。現代は、そうは簡単には死なせてもらえない時代なのです。PPK(ピンピンコロリ)やNNK(ネンネンコロリ)を切望する人がほとんどですが、現実にはDDK(ダラダラ介護、もしくは、出口なき泥沼介護)に陥ってしまう人がたくさんいます。はっきり申し上げて、後に残る子どもたちのことを何も考えていないとしか思えない…。そんな親が多過ぎます。

親の老後をサポートする子どもたちの負担を考えると、人生100年時代の老後は、「ソナエの有無」と「要介護期間の長短」のマトリックスで4つのモデルに分類できます。

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右上は、「しっかりとそなえてあって、しかもあっという間に逝ってしまう」。もちろん亡くなった直後は家族も悲しみに暮れるでしょうが、これは結果的に「サイコーな親」として良い思い出ばかりが残る理想の老後です。
左上は、「そなえてあったものの、結構な期間、家族がケアに縛られる」ケース。仕事を抱えながら、あれやこれやと奔走させられるのは厄介なものですが、何をどうしてほしいか、財源をどうするか等々をあらかじめ親からきちんと伝え聞いていれば、「まぁ、シャ~ネェな」となるはずです。
右下は、「突然逝ってしまったものの、財産まわりのことを時間とコストをかけて調べる等、厄介で面倒な後始末を強いられて家族はため息の連続」・・・という意味で「トホホな親」となります。
そして、最悪なのが左下。「なんのそなえもなしに、いたずらにダラダラと生き続け」家族に多大な不便不利益をもたらす」タイプ。そなえぬままにボケて成年後見人なんかを付けられてしまったとしたら、家族はもう泣くに泣けません。死んでからも恨まれる悲惨なモデルです。

一般に「死」というのは誰しも積極的には考えたくないテーマです。だから、頭ではわかっていても、ついつい先送りしてしまう。で、ある日突然、まさかが起こるのです。この「まさか」は、ほとんどの人の身の上に必ず起こります。残念ながら、起きてからではそなえることはできません。判断能力やコミュニケーション能力が損なわれてからでは、時すでに遅し、なのです。

「なぁ~に。自分はPPKだから大丈夫」
「ウチは子どもたちがみんな仲いいから大丈夫」
「ウチは財産なんてほとんどないから大丈夫」
「もう遺言を書いてあるから大丈夫」
「お墓?葬式?互助会に入ってるから大丈夫」…。

能天気にこんなことを言っている人たちは要注意です。あるべきそなえのことを、何もわかっていません。いや、ご本人たちはそれでいいでしょうが、困るのは全部、家族です。子どもたちです。親の果たすべき責任を怠っているとしか言いようがありません。そんなことでは、死んでしまって尚、子どもたちの胸の内に、ネガテイブな記憶や感情しか残りません。それではあまりに哀しく、残念だとは思いませんか?

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