子を持つすべての親たちに
年の初めということで、社会福祉士の私が、四捨五入百世代(50歳以上)の親御さんたちにいちばん伝えたいことを綴ります…。
人間50歳も過ぎれば、当然のように心身にガタが来ています。明日の朝、今日と同じように目覚める保証など、どこにもありません。この『まさか』が現実のものとなった時、ふつうは以下のような流れになります。
一命を取りとめたとしても…、
・医療・介護の一定の制約を受けながら生活していかざるを得ない
・日常的に介護が必要になり、最低でも身の回りのサポートが必要となる
・他者によるサポートの必要性は、時の流れとともに、大きくならざるを得ない
・こうした状態からエンディングを迎えるまでの平均期間は10年
・子どもがいる場合、サポート役はほぼわが子のうちの誰かになる
・後期高齢者(75歳)になれば、男性なら25%、女性なら30%が認知症
・80代になれば、男性の30%、女性の40%が認知症
・認知症になってしまえば、諸々の支払いをすることもできなくなる
・かと言って、実の子であっても、親名義の口座をいじることはできない
・最悪、10年もの間、子が親の介護等に係る費用を立て替えなければならない
だから、いま元気なうちから想定コスト相当くらいのおカネは、老い先のサポートを託す相手に渡しておく必要があることになります。
具体的には、最低500万円。その上で、判断能力が完全に損なわれてしまう前に財産の引き継ぎを済ませるようにすべきです。そのほうが支援する子どもの側だって助かるし、親の老い先を支えようという覚悟も定まります。
この問題が厄介なのは、いざ事が起きてしまったとしたら、おカネを子どもが立て替えるしかなくなってしまうという点です。これが『老親リスク』の本質です。親子と言えどもギブメアンド・テイク…。親たるもの、このことを理性的に受け入れて、わが子の仕事や家庭、時間と労力とおカネにダメージをもたらすことがないように配慮したいものです。
昭和の時代には、ほとんどの親が60代でエンディングを迎えていたものです。それが今や、当たり前のように80代半ばまで生き続けます。ただし、エンディング直前の療養期間が倍になりました。
つまり、「とりあえずは子どもに立て替えさせておいて、死んだら相続でドカンと返せばいいや」という身勝手が通らない時代になったのです。昭和時代のように懐に余裕のないケースがほとんどです。数年のことならいざ知らず、10年もの長きにわたって親の療養コストを負担できるほど、経済的余裕はないのです。
にもかかわらず、老いて尚おカネに執着し、後生大事に抱えておこうとする親が、現実には多いのです。しつこいようですが、事が起きてからでは遅いのです。後の祭りです。
賢い親であれば、老い先リスクを減らすために、あらかじめおカネを渡してしまうべきです。どのみち、わが子が財産を引き継ぐのです。早いか遅いかのちがいです。ならば、頭がしっかりしているうちに老い先のサポートを頼んで、それとセットでおカネも渡してしまうほうがいいのです。銀行に言われるままに遺言を書いて、高い管理手数料と報酬を支払いながら死ぬまで隠しておいて、死人に口なし状態になってから、全相続人の前で「誰にいくら渡すのか」を開陳する…。だから争族になるのです。
結果として、(子どもが複数いる場合)いちばん親の面倒をみた子が損をします。遺言で多めに渡すようしたためておいたとしても、反旗を翻す兄弟姉妹がいないとも限りません。生前の介護サポート代相当を多く渡そうとしても、それを立証するよう請求されたら面倒なことになるのです。少なくとも、兄弟姉妹関係は崩壊します。
それでいいのであれば、親は何も手を講じなくても構いませんが…。頼まれもしないのに勝手に子どもを複数つくっておいて、それはあまりに身勝手と言うべきではないでしょうか。
親はひとりじゃ死んでけません。死んでも切れない親子の縁です。いちばん献身的に親を支えた子どもが損をしないよう、きちんと筋道をつけた上で要介護とか認知症とかにならないと、末代まで恨みを買うことになりますよ。
立つ鳥跡を濁さず。老いては子に従え、です。
人生100年。50歳を境に親子の主従関係は逆転するとわきまえたほうがいいと、私は思っています。20年間にわたって、さまざまな相談ケースを見てきて、心の底からそう思っています。
賢い親は前払い。
これを理解して実践してくれる親御さんを、2024年はひとりでも増やしていきたいと考えています。