【ドクトルJの告白010】日米の医療システムのちがい

さて、米国で東洋医学が普及したもうひとつの要因が、日本とはまったく異なる医療システムです。いったい日本の病院と米国の病院はどこが違うのでしょうか。まず、米国では患者がどのような治療を受けるか、その選択権は基本的に患者側にあります。医師は治療法について幾つかの選択肢を患者に提示し、各々の選択肢のメリットとデメリットを説明します。その中からどの治療法を選択するのか、両者間で時間をかけて話し合うのです。もちろん複数の治療法を組み合わせることもあります。特に東洋医学の場合は、今まで通りの生活を自宅で続けられることや、他の治療法と並行して行える治療が多いため、選択肢の中で何かしらの形で取り上げられる場合が多いのです。

また、米国の医療保険システムは日本と違って、中産階級以上の人々は、健康保険を各個人または企業単位・組合単位で民間保険会社から購入しています(障害者や老人を対象とした「メディケア」、低所得者を対象にした「メディケイド」は政府系公的保険として別に存在する)。そこでは、日本のように政府が決めた治療手段にしか健康保険が適用されないなどという制約がありません。多くの民間保険会社は東洋医学をも保険の給付対象に盛り込んでいますから、患者側にしてみると、病院で東洋医学を受けやすい環境があるわけです。

とは言え、NCCAMが立ち上がった当初においては、やはり西洋医学の側も難色を示したそうです。しかし、ここらあたりが市場原理の国らしいところです。権利意識の高い患者さんたちはサプリメントや他の治療法についてかかりつけの医師に盛んに質問したり、アドバイスを求めたりするようになってくる。そうなると、当初は無視していた医師も、求めが増えるにつれて次第に東洋医学について勉強せざるを得なくなったのです。やがて東洋医学についての科学的な研究報告や有効例を見たり聞いたりする機会も増えるようになりました。

こうして現在では、一般開業医ばかりでなく大病院や大学病院までが「統合医療」を標榜し、カイロプラクティクス・鍼灸・ヨガ・マッサージ・瞑想など、東洋医学の専門家を抱えるようになってきました。ネガティブに捉えるのではなく、むしろ東洋医学を積極的に自分の診療の一部に取り入れてしまう姿勢からは、「当院では患者さんが望むどんな医療でも提供します」という、米国の医師たちの貪欲で逞しいビジネス気質が伝わってきますね。

米国で東洋医学が浸透していった流れを考えると、最終的に西洋医学と東洋医学を使い分けたり、両者を効果的に統合したりするためには、やはり医療を利用する人たちひとりひとりが真実を学んでいかねばならないということです。そのためには、まずは真実の情報が伝えられなければなりません。

科学技術が飛躍的に発達し、いまや私たちは、自室の机でコンピューターを使ってタダ同然で全世界の人と通信できるようになりました。携帯電話で写真を撮ったり、音楽を聞いたり、買物までできる世の中なのです。しかしその一方で、アルツハイマー病やがんや膠原病に有効な薬はまだ存在しません。世の中には、原因もわからなければ特効薬もない病気が数え切れないほど存在している。これが現実なのです。

東洋医学には科学的な証明(エビデンス)がないと一刀両断にする医師たちには、自分の価値観に固執するばかりでなく、患者にとって本当に望ましい治療法を真剣に考える姿勢が求められてしかるべきでしょう。これからの医療は、提供者側の論理ではなく利用者主体の参加型医療へと変えていかねばなりません。そして患者さんには、医師に盲従あるいは全面的に頼るのではなく、自分で守るべきものは守っていくという自立した姿勢が必要とされているのです。

とは言え、患者さん側の意識改革だけに頼るのは筋違いかもしれません。米国のように国民が適切な医療を確保できるような環境を国として整備していくことも忘れてはなりません。民主党政権も自民党時代の名残である医療改革(ムダの排除と品質向上)を踏襲するとのことですが、診療報酬の調整という経済的な誘導のみならず、明確な青写真を示してもらいたいものです。既存医療の何がムダなのか。なぜムダなのか。そのムダを排除して資源をどこにシフトしていくのか。まずはこの点を国民にわかりやすく説明していくことが、結局は医療費適正化の近道だと思うですがいかがでしょうか。

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