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松本に移住して2年経つので反省会


はじめに

2022年春に長野県松本市に単身で移住してから、早いものでそろそろ2年です。いい機会なので、これまでの移住生活について振り返ってみることにしました。

「反省会」と題してはいますが、現時点で移住生活に点数をつけると70点くらいで、およそいい感じです。

自然に囲まれている。一緒に山を楽しむ仲間がいる。ローカルの飲み仲間がいる。仕事もそれなりに楽しい。精神的にはおおむね健康。
これまでの2年間、自分と関わって、遊んでくれた皆さまには本当に感謝しています。ありがたや。

一方で、2年も住んでいれば「ああしておけばよかったな」「こういうところがしんどいな」というところも沢山出てくるもので…。いい面もたくさんあるけど、「この環境はいつまで続くのだろうか」という不安がない訳でもないという、そういう微妙なバランスの中にいた2年間でした。

そんな2年間を、ネガティブなことも含めて書き残しておきたい、という意味を込めて「反省会」としています。

ちなみに、私自身は松本で何らかの地位を築いている訳でも、趣味の分野で何かを成したこともない普通の雇われの会社員で、「これからどうしていこう」に悩んでいる普通の独身移住者です。移住生活の光明面たる「豊かさに満ちた素敵なスローライフ 」みたいなものにもあまり縁がありません。

なので、この文章は移住者情報としてはだいぶ普通というか、生々しいというか、そういう感じになってると思います。

でも、普通の人の話なんてなんぼあってもいいと思うのです。移住推進の文脈は、どうしても自営業で頑張っている方とか、二拠点生活してるSNSの有名な方とか、そういう切り口が目立つので。

そういうわけで、「なぜ移住したのか?」「移住してからやってよかったこと」「反省点や後悔」の3本立てでお届けしたいと思います。移住を考えている人の参考にもなればな、と。

移住にいたるまで

はじまりは伯耆大山

お話は2019年に遡ります。
当時関西に住んでいた私は、友人に誘われて登った無雪期の伯耆大山をきっかけに、趣味の登山を始めました。

当時これといって趣味が無かった自分にとっては「1人でもできて、変数が多くて飽きない」というポイントが刺さり、あれよあれよと登山の世界へ。

ありがたいことにステップアップの機会や友人に恵まれ、関西のローカルロングトレイル(六甲全山やダイトレ)を歩いたり、夏の北アルプスをテント泊縦走したり、冬季の赤岳や唐松岳にも登れたり、結構充実してました。
この時期に登った鳥海山が、今でも一番好きな山です。

2020年夏の鳥海山

燃え尽き症候群とコロナ禍

ところが、2021年の夏、以前から温めていた中房温泉~高瀬ダムの表・裏銀座縦走をやり切った後くらいから、自分の登山に対するモチベーションが目に見えて下がっていきます。

この縦走、行動時間は本当にずっと天気が良く、大変充実した4日間だったのですが、ここから「もっといろんなところを歩くぞー!」とモチベーションが上がるかと思いきや、「こんなにいいコンディションもう来ない気がするな?」という気持ちになってしまい、「時間とお金をかけて関西から遠征してまで当てたいコンディション」のハードルが相当上がってしまいました。1人で歩く登山にも、ちょっと飽き始めていたのかもしれません。

最終日4日目、鷲羽岳にて

そういうわけで、これ以降ソロ遠征を計画する時は、ちょっとでも天気が微妙そうだと「あの時より悪いならいいや」とすぐにキャンセルするようになってしまいます。

また、コロナ禍を機に、自分が所属していた仕事やプライベートのコミュニティの「"直接会うこと"で維持されていたいろいろなもの」もほぼ消滅してしまったこともあり、関西での仕事もプライベートも含めた生活全体における閉塞感のようなものを感じ始めていたのでした。

ちなみに登山をやめていた訳ではなく、休みの日は六甲にふらっと歩きに行ったり、友達に誘われて北岳や槍ヶ岳に遠征したりもしました(この頃から「誰かと行く山の楽しさ」に意識が向くようになったという点では、悪いことばかりではなかったかも)。

あと一応書いておくと、今でも関西は好きで、東京と関西どちらか選べと言われたら多分関西を選びます。

立山に導かれて

そんな状態のある日のこと「バックカントリー(以下BC)、一緒に始めない?」と、登山仲間から突然誘われました。

今でこそBCは大好きですが、登山を始めた頃の自分は「スキーはまぁ地元でやってたからいいけど、雪崩とか地形とか不確定要素多くて怖いし…ワシはBCだけは絶対にやらん!」と心に決めていたくらいで、最初はしぶしぶ。

ただ、前述のように燻っていた時期だったこともあり「新しいことにチャレンジしてもいいかな・・・」という気持ちが勝って、友人らと2021年の秋立でBCデビューすることになります。

2021年の秋立の最終週末は、営業終了直前にかなり降雪があって、なおかつ天気も雪も最高という、ここ10年の中でもかなりの仕上がり具合だった(と、有識者が言っていた)年です。

デビューする身としては何も分からないので正直期待も何もせず極めてニュートラルな気持ちで室堂に降り立った訳ですが、終わってみるとこの時の2日間は本当に素晴らしい時間でした。

2021年11月29日の室堂

初めてのBC、初めてのパウダーラン。浄土山から見える北アルプスや奥大日岳を前に「この素晴らしい趣味は、今のまま関西にいたらできない」と直感的に思いました。やってる方もいます(本当にすごいと思います)が、私は性格的に多分無理でした。

当時の自分は、住む場所を変えることにはそこそこ慣れていて、仕事もリモートワーク可能、都市部に住み続けることを選択する理由も特にない状態でした。とはいえ、住んでいる知り合いも、一緒に移住するパートナーもいない状態で、縁のない土地に30歳で移住するというのは、今思えばかなり思い切った、言ってしまえば考えなしムーブです。

それでも、この時の立山は本当に楽しかった。当時の自分にとっては、それだけで十分だったのでした。

そこから遠征ついでに物件を探したり準備を進めること約半年、遠征で何度か来たことがあって一番(というか唯一)馴染みがあった松本市に2022年春に移住しました。仕事はリモートワークが可能だったので、この時点で転職はしませんでした(今思えば、仕事探しが必要無かった時点でチャレンジでも何でも無かったなとも思う訳ですが…)。

「うまくいかなかったらまた大阪や東京での生活を考えればいい」くらいに考えていたので、移住に至るまでの過程も、移住してから生活に慣れるまでの数か月間も、振り返ってみると全体的にかなり場当たり的で、計画性は正直殆どありませんでした。年齢的にそういうことができるのは最後かなと思ったことも、移住を決めた理由のひとつです。

やってよかったこと

山仲間探しは複数のチャネルから

そんな状態で移住してきたので、知り合いはもちろんゼロ。暮らしを整える最初の1ヵ月くらいはいいですが、それを過ぎてくるとやはり一人は辛くなってきます。

特に山に関しては、移住後の方針として「移住後、夏はクライミング、冬はバックカントリーメインでいきたい」というイメージはありましたが、いずれも歩き登山と違って1人でやるのは難しいジャンルで、その方面の知り合いが移住先にいなかった自分にとっての最初の鬼門はパートナー探しでした。

特に危険性が高く競技人口が少ない分野であればあるほど、レベルやスタイル、フィーリングなどパートナーに求める条件が厳しくなっていくものですが、自分の場合は最初はそういうことは考えず(というか当時は選べる立場にもない)「まずはいろんなチャネルをあたってみる(言ってしまえば"数を打つ")」ことにしました。

募集系サービスには一通り目を通して、条件が合いそうな人がいればとりあえずアタック。SNSでも「この日小川山行ける人いませんか?」といった投稿があればとりあえずアタック。松本に住んでいる人をSNSで発見したらアプローチ。そんな感じで少しずついろんなところに混ぜて頂きながら、コツコツと。

そうして知り合いゼロから始まった移住生活、今では縁が縁を繋ぎ、季節・地域問わずいろんな方とご一緒させてもらっていて、本当に感謝しています。本当に…。

思い返すと、BCでよく一緒に遊んでくれるローカルコミュニティは、元を辿ると移住する時にジ〇ティーでアタックした1人がきっかけで広がった縁です。何がどうなるか本当に分からないですね。

そんな彼との初BCは、これまた秋立

こうして文章にしてみると打算的でなんだか嫌な感じですが、振り返ってみると、自分自身も周囲もライフステージやスキル・趣向が変化し続けていく山の人間関係の中で、どの繋がりが自分にとって居心地のいいコミュニティに発展していくかなんて最初は分かるはずもなく、だからこそいろんなチャネルにおいてある程度オープンでいるというのがよかったのかなと思います。

ちなみに、SNSをきっかけに集まる山のパートナーの是非については、これはこれでいろいろあるかと思いますが、私は「最終的にどういう関係性が構築できるかが重要であって、手段は限定されるようなものではない」と思っているので、もし同じことで悩んでいる人がいたら同じことをするように助言すると思います。

「0⇒1」投資は早めに

パートナーを探すことと並行して、「初心者(初めて習う人)でなくなる」というのも、自分にとってとても重要なことでした。

移住してきた当時の自分は「バックカントリー滑走日数は3日、クライミングのロープワークもジムでのビレイ程度、外岩経験はほぼ無し」という状態で、初心者中の初心者でした(こんな状態の自分と遊んでくれた皆さんには、本当に感謝しかない訳ですが…)。

そんな状態で「自分と遊んでください」というのは、つまり「教えてください」ということとほぼ同義な訳ですが、当時30歳男、一緒に遊んでくれる人を探すのにも苦労している中で、「1を2とか3に」ならまだしも「0を1」にしてくれる師を見つけることがどれほど大変なことかに気づくのに、そう時間はかかりませんでした(言語化するのが難しいのですが、年齢や性別、性格などの要素によって大きく状況が変わる部分というのは、なんとなく分かって頂けるのではと…少なくとも自分は苦手でした)。

しかし、幸いにも0を1にする学びの機会というのは自分でコストを払って探せばあるのでした。マルチピッチのロープワークを学ぶために松本から京都まで自走したり、瑞牆で東京のジムのクラック講習を受けたり、白馬の某クラブのBC初級者ツアーに参加したり、後輩を誘って乗鞍でイグルー作りを学んだり、一人で御嶽まで行ってJANの雪崩講習を受けたり…。
まさに「金はあるんや」(ないけど)状態で、とにかく「何も知らない」状態を脱したい一心で、足とお金を使う時期でした。

京都でのロープワーク講習。某有名クライマーの方とマンツーマンでした

その甲斐あって、初心者から初級者くらいにはなり、0が1になり、「1できるならまぁええか」と遊んでくれる人がありがたいことに増えていきました。この時の行動があったからこそ、繋がった縁や得られた経験があったのかなと思ったりします。

趣味以外の繋がりも

移住して4か月ほど経ち、フリークライミングを通じて何人かの知り合いができ「充実した夏だったな~」と満足していたところで、ふと思いました。

「自分、ほとんど県外の人としか遊んでないじゃん…」と。

それもそのはず、平日はリモートワークで家から出ることもなく、週末は松本にいることは殆どない…こんな状態で松本に知り合いが出来る訳がないのですが、「今後長く松本に住みたい」とぼんやり考える中でローカルの知り合いがほとんどいないのはちょっとヤバイんじゃないかということで、山以外のつながりについても気にするようになりました。

そんなある日、とある移住者コミュニティの集まりに参加することがあったんですが、これをきっかけに市内のとあるお店の常連になり、そのお店をハブにしてローカルや他の移住者の知り合いができる、といういい感じの居場所を見つけることができました。そのおかげで、ありがたいことに今では他の移住者や地元民の知り合いの輪も結構広がりました。

山や岩で、仲間と登りたい課題や滑りたいルートについて話すのもいいものですが、行きつけにふらっと飲みに行って、他の常連さんと「今度新しいお店ができるらしいよ」とか「最近どうよ?」とか、山の話を一切しない時間を過ごすのも私は結構好きです(個人的には、お酒の席での山話はほどほどでいい派です)。

そういう場所に顔を出していると、「思っていた以上に北アルプスに興味ない人多いんだな…」とか、「駅~お城~イオン周辺エリアの飲食店界隈の雰囲気とか勢力図ってこういう感じなんだなぁ」とか、「やっぱり移住者はリモートワークの人が多そうだな」とか、山に登っているだけだと中々得られない人との繋がりや、「松本の解像度を上げる機会」が巡ってきます。

自分は、そこから得られる世界の広がりとか、しなやかさとか、そういうものも大事にしていきたいと思う今日この頃です(というより、そういうものなしに松本で暮らしていくことは、果たして可能なのか、持続的であるのか、ということを思うのです)。

松本はカレー激戦区(?)

余談になりますが、リモートワークという勤務形態は、コロナ禍を機に注目されたのち、今はオフィス回帰が進む中で一部の業界が出社と組み合わせてハイブリッドで続けているという状態ですが、自分のキャリアにおいて「リモートワークをいつまで続けられるのか」ということを最近は考えています。

例えば(東京に戻るのはまぁナシとして)、

  • 都内に通いやすい佐久市や長野市に転居してハイブリッドでやる

  • 松本の企業に転職する

  • 腹を括って定年までリモートワークで頑張る(これは相当茨の道という感覚です)

といったように複数の選択肢がある訳ですが、いずれにしても半年くらいのスパンでスキルの棚卸などもしつつ今後の身の振る舞いは考えていかないとなぁとぼんやり思っています(リモートワークでマネジメントやる?できる?問題とか…)。

その点、地元の企業に転職する形での移住は、大都市圏と比べると給与レベルが下がる傾向にあるといったデメリットもある一方で、「長く地域に根付くためのリアルな基盤ができる」というとても大きなメリットがあるため、一般的に認識されているほど劣後する選択肢ではなく、長い目で見ればむしろ大きな資産価値を持つ選択だと思います(リモートワーカーに対していい印象を持たない人もいたりいなかったりしますし…)。

反省点

松本駅徒歩圏内に住めばよかった

今住んでいる物件は「最寄り駅まで徒歩10分、そこから電車に乗って数駅で松本」という条件。週末に関西から松本に来て内見から申し込みまで一気に済ませる必要があったこともあってあまり吟味できずに決めてしまった物件です。

最初のうちはそもそも松本市内に行くこと自体殆どなかったのであまり気にならなかったのですが、山に行かない日にちょっと市内まで遊びに行きたいなと思う時や、仕事終わりにローカルの知り合いと飲みに行きたいなという時に、車を使うと渋滞するし飲めないし(車を使うと代行を頼まなければいけない)、かといって電車で行くのは時間がかかる(そもそもそんなに本数ない)、といった不便を感じる機会がだんだん増えてきました。

今の物件は関西で1Kに住んでいた時とほぼ同じ家賃で、倍の広さ+駐車場代という条件なので、自分としては不満は無いのですが、調べてみると駅にもう少し近いエリアでも同じような価格帯の物件は沢山あるようで、もうすぐ2年になるのでそろそろ引っ越したいところです。

住む場所というのは家族構成やライフスタイルに大きく左右される部分ですが、個人的には特に単身移住者は松本駅徒歩圏内に住むのをオススメします。知り合いを作りやすい、会う機会を増やしやすいというメリットがあったり、お酒や食事が好きな人にとって松本駅周辺はお店の開拓も楽しいので、多少家賃が高かったとしても投資する価値のある部分かなと。

やりたいことには入門してから移住すればよかった

山のスキルにおける0を1にするための投資をしたことが良かったポイントであったと述べましたが、これは反省点でもあって、そもそも移住する前にやっておくべきことでした。

地方都市というのは、提供されている学びの場の数も、縁あって教える側になってくれる可能性のある人の母数も、もちろんパートナーになってくれる可能性のある人の数も、大都市圏と比較すれば間違いなく少ないので、「移住してから始める」は結構ハードモードです(スキー場のレッスンや雪崩講習など、長野からの方がアクセスしやすいものも勿論あります)。

特に、アルパインや沢などの難易度が高く人口が少ないジャンルであればあるほどハードモードなので、移住検討中かつこういった分野に興味がある場合は、受益機会が比較的多い若いうち(20代前半)に移住するか、あらかじめ下地を作った状態で移住するのが良いと思いました。

唯一、リードクライミングとリードビレイは関西にいた頃に習得しておいて本当に良かったと思ってます。長野にもビレイ講習をやっているジムはありますが、必要になると分かってから入門に半月から1ヵ月を費やすのは勿体ないのと、その期間でせっかくお誘いがあっても「ちょっとまだ修了前で…」とお断りせざるを得ないのは大きな機会損失なので。

関西にいた頃、兵庫県・駒形岩の「斜陽」

やっぱり単身移住はキツい

前述の通りノリと勢いで移住した訳ですが、2年住んでいると「単身移住つらみ」がじわじわときます。

単身移住の難しいところは、自分としては「この先ずっとこの場所に住み続けたい」と思っている一方で、定住するために重要な要素が抜けている状態で人生計画がいまいち立てにくいというのが、結構なストレスになる点です。

「いやいや、単身でも住み続けること自体はできるでしょう」とか「実際にそういう人たちもいるでしょう」というとそれは確かにそう。だけどそれなら多方面で単身者に優しい都市圏に住んで遠征ベースで山を続けた方が長い目で見てイージーモード、というのが今の自分の感覚です。

これが、仮に自分が飲食店などの地域に根付くような属性の職業を営んでいて、地域における信頼や人脈の資産を形成していけるベースがあるなら話は変わってくる気がするのですが、単身雇われリモートワーカーという地域帰属要素の薄い身として「定年のその先の定住までイメージできるのか?」と問われると、これはかなり難しい印象です。

また、移住先でパートナーを探せばいいじゃないかというとこれもそういう簡単な話でもなく、純粋な母数の問題、移住者とローカルでの価値観ギャップの問題、など諸々の要素を考慮すると、やっぱり単純比較すれば都市圏の方がいいのではという気がします(かといって、「じゃあパートナーを見つけてから移住すればよかったのか?」というとそれはなんか違う、というかやろうと思ってできることではない。人生難しい)。

移住したこと自体に後悔してるわけではないので、これはそもそも反省点ではないのですが、実際、周りを見ていると単身移住よりはパートナーと移住・家族と移住の方が母数は多く、比較的難しい選択をしたことをじわじわと実感する日々でございます。

おわりに

私は、学生の時から7年ほど東京に住んでいたことがあって、今でも仕事の関係で月に1,2回行くことがあるんですが、最近は行く度に「東京(関東)って結構悪くないなぁ」と思います。
家賃は高いし車を持つのは苦しそうだけど、「そこに住んでいること」で何かが保証されているるような、謎の安心感がある、一種の高級サブスクのような都市。ちなみに僕のイチオシは中央線沿線です。電車はアレですが、街はとても好きです。

それでも、松本に帰ってくる度に、買い物に行く時に感じる松本の気温から山の気温を計算したり、北アルプスにかかる雪雲から週末の雪の状態を想像する、そういう「自分の日常風景と趣味の時間が繋がっている生活」が、やっぱり自分に合っているなと実感します。地元がそういう場所だったので、自分の原体験に近いのかもしれません。

松本にもパウダーあります

一方で、趣味を存分に楽しめる環境にあっても尚不安や悩みは尽きないもので、2年も住んでいれば、田舎と呼ぶにはちょっと大きい人口24万人の都市であっても、そこには土地特有の環境と価値観があって、そこに定着するために自分に足りてないもの・ギャップみたいなものが嫌でも見えてきます(「コイツは何を贅沢なことを言ってるんだ?」と思われるかも?)。

結局、自分は「新しい環境に身を置く⇒一通りやりたいこと・やれることをやる⇒飽きるか限界を感じて環境を変える」という、これまでの人生で何回も経験してきたループに、ここ長野でも同じように入っているような気がします。完璧な理想郷など無くて、どこかで腹を括って「ここをマイホームとする!」と、周りに・自分に対して宣言したほうがいいのかも。「じゃあそれはいつ?どこで?」というのが最近の悩みです。

最後に、この反省記を書きながら、移住に関する記事のいくつかに目を通す中で、印象的だった記事を1つ紹介したいと思います。

この記事の最後で語られている「移住の悩みは必ずハックできる」という部分に、自分はとても勇気づけられました。

必ずどこかに抜け道はあると思いますよ。そもそも移住って、こっちを犠牲にしてこっちを優先するみたいな世界ではないんですよね。それぞれの人や家族に合ったかたちやあり方が、必ずどこかに存在しているはずで。

私たち家族も、東京のほうが教育面で子どもにより多くの選択肢を提供できるんじゃないかと思っていた時期もありました。けれど、実際には私たち次第でどうにでもなるんです。

長野にしかない教育面での選択肢もたくさんあります。例えば農作業で使う重機や自然に触れる体験だって、都会ではなかなか味わうことができませんよね。コミュニティが狭くて出会う人が固定化してしまうなら旅行に連れて行けばいい。悩みは、必ずハックできるんです。

"「移住ブーム」に踊らされない。リアルを見つめる移住論"より

確かに、いくつかの悩みは適切にアプローチを考えればハックできました。ハックできてない悩みもありますが、アプローチを変えたり、折り合いを上手くつけていけば、多分どうにかなるのかな、と薄い根拠で思っています。

そんなこんなで、やっぱり今日も人生難しいんですが、お酒は美味しいし、北アルプスは美しい。

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。もう冬も終わりですが、明日も良い日を、良い雪を。

槍ヶ岳・飛騨沢

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