言論封殺と権利放棄

KADOKAWAが一月出版予定であった翻訳本の出版を取り止めた。
僅か数十名のLGBT活動家の抗議を受けての事だそうである。
件の本は米国で12万部売れ、タイムズ紙などが年間ベストブックにするほどの書籍だ。

この本が『差別的』であると活動家連中は出版取り止めをKADOKAWAに突きつけ、これを飲んだと言う事である。

全くアホな話しだ。言論、表現、出版は憲法21条に保証された国民の権利だ。
アホなLGBT思想活動家らはこれを踏み躙る行為でしかない。
KADOKAWAもまたアホ丸出しだ。
自ら憲法に保証された権利を放棄したのだ。
つまり生殺与奪の権利を他人に差し出したのだ。これ程バカな話しはない。

活動家らは『言論封殺、表現の自由の侵害と言う意見もあるが、差別があるならその範疇ではない』とこれまた権利に対する意識が全くない。
戦後GHQが行った焚書と同じ事をやっている。

戦前、終戦までの10年程は我が国は言論統制、権利侵害を行い自ら『民主主義』を後退させた。
戦後は占領政策により、言論が封殺されマスコミや出版は民主主義を後退させた。
また、後世に必要な書物を焚書までした。

我々はその状況から数十年かけ後退した自由、民主主義を押し戻して今がある。

我々日本国民には『教育を受ける権利』がある。それは何も学校に行く事だけではない。
自らを教育することも同じだ。その為には必要な資料や書物から『知る』と言う事から始まる。
教育を受ける権利、知る権利も侵害している。

そもそも、言論は差別だろうが誹謗中傷だろうが自由だ。『危害を加えるぞ』等と言わない限りにおいて基本的に自由である。
その言論が差別的なのか誹謗中傷なのかは、司法判断でも仰げばよい。

自由に言論活動をすれば良い、その言論の責任は本人が取れば良いだけだ。
KADOKAWAはそれを自ら放棄したのだ。裁判のリスクを避けたのだろうが事実は『権利の放棄』でしかなく、更に踏み込むなら『思考放棄』でもある。

言論で飯を食う出版社が、自ら自由な言論を放棄し、思考することを放棄し、人間にとって最も尊い権利を放棄したのだ。

明らかに、先に施行されたLGBT法や最高裁判決が影響した事は間違いない。

自らが自らの権利を放棄するなら、もう民主主義とは言えないのだ。
人類が長い年月をかけて獲得してきた権利を放棄し
何ら論理性のない主張を繰り返すLGBT思想活動家に濡れてであわとばかりに成功体験を差し出しているのだから始末が悪い。

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