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雑念まみれの写経体験

これは2017年の秋の事。
その年私は夏頃から、写経がしたい写経がしたいと言っていた。

写経がやりたすぎてTSUTAYAで写経セットなるものを買った。
でもどうせやるなら京都かどっかのお寺がいい。蝉の声、木々のざわめき、和室を通り抜ける風…そんなものを感じながら心穏やかに写経をする。
いいじゃないか。

極度の人見知りである私は、そんな新しい体験に一人で挑戦するのは難しい。
しかし幸いなことに、友人も興味があるらしい!予定を合わせて、9月に2人で写経体験に行くことになった。やった!

調べたところ、予約不要で写経体験ができるところが京都にある。
初めての写経体験は京都の雲龍院で。
そう決めた私はTSUTAYAで買った写経セットを棚の上に置いた。
今思えば事前にこれで練習しておけばよかったのかもしれない。

御寺泉涌寺 別院 雲龍院
創建1372年。
悟りの窓や蓮華の間が有名なお寺。

蓮華の間

まだ暑さの残る中、駅から歩いてお寺へ向かう。
道中、人生ではじめてハリガネムシに寄生されたカマキリを見た。
ハリガネムシに操られ、入水自殺の為の水場を探すカマキリ。哀れだ。

道に迷った私たちは、「これ明らかに正しい入口じゃないな」という道を通ってお寺に到着。

受付で体験料1500円を納め、本堂へ。
最初に清めの儀式を行うらしく
「丁子」という木のかけらみたいなものを口に含んで下さいと言われる。
クローブとも言い、カレーなどにも使われる香辛料の一種だそうだ。
舌の上でやり場に困る丁子を転がしつつ
仏教もカレーもインドからきてるもんな…とぼんやりと考えながら堂内へ。

広い堂内には、椅子席と座布団席があり、
満席ではないが、寂しくない程度には人がいる。みんな真剣に筆を走らせている。
良い。

友人と椅子席に並んで座る。
置いてある紙にはうっすらとお経が印字してあり、朱墨でそれをなぞっていくスタイルだ。

背筋を伸ばして筆をとる。
手や肘を机につかないように、筆を寝かさないように意識してゆっくりと文字をなぞりはじめる。
心が凛とするような、洗われるような気持ち。
良い。

1行描き終わったところで、チラッと横に座る友人に目をやった。
友人は…3行目に入るところだった。

えっ…はやくない??

マラソンで「一緒に走ろうね」と言っていた友達が、スタートと同時にダッシュした時の様な気持ち。
いや、別に一緒に書き終わろうと約束していた訳では無いのだが…。

落ち着いて、少しスピードを上げよう。
筆がぶれないように息を止めて集中する。
2行目まで書き終わる。
友人は…4行目の後半に入っている。

馬鹿な、速すぎる!

もう肘をつかないとか筆を寝かさないとか言っていられない。
筆の根元の方を持ち直す。

というか一緒に書き終わる必要はないのだが、それにしたってこのスピード差は無い。
もしかして友人は焦っているのか?
トイレにでも行きたいのか??
ひょっとしたら体調が悪いのかもしれない。
体調が悪いが、私に話しかけられる空気では無いので、早くここから出ようとしているのでは?
だったら私も早く書き終わって一緒に出てあげなければ。私の希望でここまで連れてきた責任があるではないか。

チラチラと横を見ながら書き進めていく。くそっ追いつけない…!!
友人が筆に墨をつける時がチャンスだ。
レースのピットインの様な気持ちで、掠れた字で食らいつく。

一向に差が詰まらない。こいつ…この短時間で上達してやがる…!
もう諦めて自分のペースを取り戻すべきか?
口に含んだ丁子のせいで唾がたまる。
誤って飲み込んでしまいそうだ。

動悸を抑えつつ半紙に向き直る。
一体私は何を恐れているのだろう。もはやそれすらわからない。
さっき見たカマキリが頭をよぎる。
私を操るのは、置いてけぼりにされる恐怖か、一緒に終わらなければという責任感か。

キョロキョロと他の人の様子も伺ってみる。
友人が特段速いという訳ではなさそうだ。
つまり私が遅い。なんてこった。
そうこうしている間にも友人はどんどん進む。
待って…まっておくれよぅ!

半泣きで文字をなぞる。
お経の意味を考えている余裕は無い。
背中を丸め、手首をついて、チラチラと横を見ながら必死で書いていく。

おかしい。こんなはずではなかったのに。
私が思い描いた写経は何処へ行ったのか。

結局、最後まで追いつくことなくフィニッシュ。
大きく息をついて筆を置くと、友人が今はじめてこちらの進捗に気づいた感じで『あ?おわった?』という反応をする。
そして、口パクで『出よっか』と微笑んだ。
こんにゃろう。

外に出て、木箱に写経を納める。
ようやく声を発せられる場所に移動したので、なんであんなに早いんだよぅ!!と5歳児のように地団駄を踏んで悔しがったが、
「ご、ごめん。咳が出そうだったから…」
と言われてぐうの音も出なくなった。

友人は全く悪くない。
というか一緒に書き終わる約束もしてないし。

こうして私の写経体験は終わった。
あの堂内が暑かったのか涼しかったのか、虫の声が聞こえたか、風を感じたか…一切思い出せない。

ただ自分の雑念と鼓動だけがうるさかった。
写経って何のためにやるんだったかな…?

TSUTAYAで買った写経セットは、5年経った今も棚の上で埃をかぶっている。

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