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Episode7「フィリピンに学ぶ〝寄り添いケア〟」

最近、日本の介護業界で、「寄り添いケア」に取り組んでいる施設が増えてきているようです。〝流れ作業的な業務から一人一人に寄り添うケアへ〟と、こんなスローガンをかかげる施設も少なくないようです。

「寄り添いケア」とは、患者さんの身近な存在となり、何でも話し合え、信頼関係を築きながら行うケア、という意味のようですが、定義がやや漠然としています。

おそらく、これから創りあげていく新しい介護のカタチなのだと思います。しかし、果たしてそれは本当に「新しい」介護なのでしょうか?その疑問を解くためのヒントがフィリピンにありました。

フィリピンでの入院体験

2年ほど前に、私は足を怪我してマニラの病院に入院したことがあります。自宅で寝ていたら、突然、天井から照明が落っこちてきて足首に直撃したのです。

何でもありのフィリピンとはいえ、これにはさすがに驚きました。ベッドが血の海になり、3針縫う怪我を負いました。幸い骨に異常はなく、足を縫うだけでだったので入院する必要はなかったのですが、フィリピンの医療事情を学ぶ良い機会だと思い、ドクターにお願いして特別に1日だけ入院させてもらいました。

一般的に外国人は立派な海外旅行保険に入っているため、まず個室をあてがわれます。しかし、私はケチって安い健康保険だったので、6人部屋で一晩過ごすことになりました。

病室に入ると、皆が珍しそうに私を見てきます。最初は、大部屋にいる外国人が珍しいのかと思いましたが、どうやら理由はそれだけではなかったようです。

なぜか哀れみの目を向けられて

まずは、入院の手続きをしなくてはなりません。私は足を怪我しているので車いすで院内を移動しながら手続きを行っていました。すると、すれ違う看護師みんなから、「どうして、家族や友人が付き添わないの?」と不思議そうに尋ねられます。

「マニラで一人暮らしをしているので、付添人がいません」

と説明すると、本当に気の毒そうな表情をして、同情してくれました。5人にも10人にも、同じように哀れみの目を向けられていくと、自分でも、「軽い足の怪我とはいえ、誰も付き添ってくれないなんて、私は本当に寂しい人間なのではないか」と孤独感すら沸き起こってきました。

手続きを終えて、ようやく病室に案内されました。6人部屋の他のベッドは既に埋まっており、各患者さんのベッド脇には1~2人の付添人がいました。彼らはたまたま居合わせた見舞い人なのかと思っていたら、雰囲気が妙に病室に馴染んでいます。よくよく見てみると、患者さんの家族なのだと分かりました。

雰囲気が病室に馴染んでいるのもそのはず、付添人の家族は、患者さんが寝ている時は、彼れも昼寝をし、食事の時は、患者さんの食事介助をしながら、彼らもベッド脇で食事をします。トイレ介助や体の清拭などもすべて家族の付添人が行っていました。日本であれば、介護士や看護師が行う仕事を、当然のように、付添人が行っているのです。

私はその様子を、介護の専門家としてベッドの上から観察していました。すると、同じように彼らも私を観察しているようです。違うのは、それが哀れみの目だったと言うこと。。

手前のベッドで付き添いをしていた女性が、私にコーヒーをいれてくれました。付添人がいない孤独で、精神的なダメージをボディブローのように受けていた私には、そのコーヒーがとても美味しく感じられました。

フィリピンの病室でみる〝寄り添いケア〟

さて、夜が更けて消灯時間になったのですが、各ベッドの付添人は一向に帰る気配がありません。様子をうかがってみると、パイプ椅子を3つくらい並べてそこで横になっていたり、ベッドで患者さんと一緒に寝ていたりと、日本の病室では見慣れない光景が広がっていました。

この様子を後日、知り合いのフィリピン人に話してみると、「大切な家族を病室で一人ぼっちにさせることなんてできない」と、当然のように言われてしまいました。

翌朝、付添人の朝は早いです。まずは彼ら自身がみじたくを整えて、それから患者さんの起床介助をし始めました。着替えを手伝い、朝食を与え、そして患者さんと一緒にその日一日をスタートさせていました。

まるで各ベッド脇で別々の家庭が存在しているような錯覚に陥ってしまいました。これがフィリピンの介護であり、これこそが、日本が目指している「寄り添いケア」の姿なのではないでしょうか。

「温〝比〟知新」

フィリピンでは大家族制が残っていて、家の中には祖父母だけではなく従弟や親戚など多くの人たちが一緒に生活をしています。その中で、稼ぎ頭が国内外から家族のために仕送りをし、家計を支えています。

一方で、仕事を持たない家族構成員が多く存在するのが日本との違いなのですが、彼らは彼らで病人やお年寄り、小さな子供たちの面倒をみる役割を担っています。

一昔前の日本も、大家族制が存在していて、フィリピンと同じように病人やお年寄りの面倒は家族が当たり前のように担っていました。そこには、意識をしなくても、「寄り添いケア」が存在していたはずです。

実は、私たちが目指している未来の介護とは、そんなにむずかしいことではなく、ついうっかり忘れてしまった過去から学べるものなのではないでしょうか。

「温故知新」ならぬ「温〝比〟知新」。アジア経済の落ちこぼれと言われていたフィリピンではありますが、だからこそ日本人の私たちが学べるものもたくさんあるような気がします。

Written in February 2014


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