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差別と生きる

今、反差別の世界的なうねりが起きています。世界に、差別のない国は存在しないでしょう。人間は差別をする本能を持って生まれたのではないかと思われるほど、様々な理由で、少数派は差別されています。2009年にイスラエルを観光で訪れたとき、こんなエッセーを書き残していました。それは、差別されている人が「幸せだ」と心から言う、辛い現実を目にした衝撃でした。「global middle east」シリーズ(No. 004)
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ブログ「global middle east」(2009.06.26)
イスラエルは人種差別の国

イスラエルは人種差別の国である。
人種差別という言葉は、白人がアフリカ系の市民を差別したことに端を発する用語だから、適切でないかもしれない。ユダヤ人とアラブ人は見かけは同じ(服装で区別しているが)で、おそらく人種的には同じであろう。ユダヤ・イスラムの双方の宗教で教えられる「神話」によれば両者の祖先は兄弟で、その子の代以降に分かれたのだから、「従兄弟どうし」というのも何か納得できる説明に聞こえる。またイスラエルに住むユダヤ人とアラブ人を比較すれば、ユダヤ人の方が世界各地から「帰還」したため、青い目の人あり、黒人あり、で見た目にはバラエティに富んでいる。

だから、生物学的な「人種」差別ではない。「人種」が信仰というアイデンティティによって決まり、それに基づいた差別が行われている国なのだ。差別といっても、南アや、かつての米国に見られたような、あからさまな差別的取り扱いではない。アラブ人といえども、イスラエル市民として、ユダヤ人と平等に選挙・被選挙権が与えられ、社会保障制度の恩恵も受けることができる。

人種差別は、近代の西洋的価値観の中でひどく忌み嫌われ、多くの国で人類が克服すべきものの代表例のように考えられているが、世界はさまざまである。

イスラエル北部ナザレに住むアラブ系キリスト教徒ヤヒヤさん(仮名)に旅先で出会った。彼は5人の子供を育てあげ、全員に大学卒業の学歴を与えることができた。イスラエルに住むアラブ人として、何の不満もないどころか、イスラエル国民として幸せだ、と真顔で筆者に告げた。考えてもみてほしい。彼のように平穏で、幸せな家庭生活を送ることができたパレスチナ人がいるだろうか。シリアのアラブ人に選挙権はあっても、アサド大統領以外の投票をする権利は保障されていない。占領地に逃げていれば、難民キャンプの中で、パレスチナ人同士の抗争に巻き込まれて家族を失っていただろう。だから、自分は本当に恵まれていたとヤヒヤさん。

イスラエルのアラブ人は、目に見えない多くの差別に耐えて暮らしている。2000年ほども前に離散の憂き目に遭い、以来渡り歩く先のすべてで差別されてきたユダヤ人にとって安住の地を確保しようとすれば、その地で共存する異民族に差別的扱いをしなければならなくなるのは当然の論理的帰結でもあろう。またその差別の中には、修正すべきか、修正することが可能なものもあるだろう。しかし、アラブ人の人口増加率の方が大きいという事実を前に、むしろ差別的な取り扱いは激化していく可能性もある。

私は、以前レバノンのシドン(サイダ)を訪れたとき、アッカ(アッコ)から逃げてきたというアラブ人の家族に会ったことがある。
「ここから少し先(南)に行けばすぐ国境。その先に私たちの故郷があるのです。おそらく生きて再び訪れることはできないでしょう。この波止場に来ては、いつも故郷を偲んでいるのです。」と父は語った。

今回、そのイスラエル領アッコを訪問して、多くのアラブ人が(楽しいか、苦しいのかは知らないが)しっかりと生活している姿を見た。おそらくヤヒヤさんのような感慨の人もいれば、そうでない人もいるだろう。シドンの家族を呼んであげたい気持ちになった。しかし、そのためには、ユダヤ人、アラブ人ともに心の垣根を取り払わねばならない。あと何十年、いや何世紀かかることなのだろうか。

差別と人間

私がこの記事で言わんとしていることは大いに誤解を招く可能性が高い。それを敢えて話題にするのは、昨今、あまりにうわべだけの、本質的な議論や説明を欠いた報道が横行していることを憂うからである。

よく読んでもらえば分って頂けると思うが、私は、イスラエルのパレスチナ人を差別する政策が良いとも悪いとも言うつもりがない。私が読者に指摘したいことは、ユダヤ人とシオニズムに関する事実である。事実の上に議論を重ねていかなければ、お話にならないのである。

私が言いたいことは、ユダヤ人がディアスポラ(離散)で2000年という長い間、差別や偏見、虐待、そしてホロコーストと呼ばれる集団虐殺という憂き目に遭ってきたという事実である。そのうえで、差別されない人生を送るには、自分の国を持つしかない、と決意し、イスラエルを建国したからには、その国は差別とは無縁の国であるはずだったが、「先住民」たるアラブ人を差別せずして国は経営できないという、悲しい人間の性(さが)がある、という事実である。

その差別についての評価は、ひとそれぞれであって、南アのアパルトヘイトと同じか、それ以上だと非難したのはアラファト議長だが、「そんなことはない。近隣のアラブ諸国に住むよりよほどマシ」と考えるアラブ人も多い、という現実をご紹介した。人類は常に差別、いじめ、格差、貧富の差、といった問題を抱えて生きている。誰かを非難する前に自分が何をしているか、よく反省してみる必要があるのではないか。

アラブの国でも差別されるパレスチナ人

次の事実も指摘しておかなければならない。
パレスチナ人は、アラブ諸国においても差別され、不当な扱いを受けている。湾岸諸国のパレスチナ人のほとんどは、もはや、その国で生まれた第二世代に代替わりしている。しかし国籍は貰えない。同じ言葉を話し、同じ民族であっても、パレスチナ人を親にもつ者は、アラブの他の国籍に帰化することが難しい。

私は、だからイスラエルの方がまし、と比較論でイスラエルを持ち上げるつもりがあるのではない。ユダヤ人は現在も、これからも、ずっと反ユダヤ主義と闘っていかねばならない。その戦いの拠点となる母国イスラエルを守るために、ユダヤ人は手段を選ばないところがある。そのことが、反ユダヤ主義を増幅させている。イスラエルが今後どのような政策をとっていくかは、自分たちで考えなければならない問題であるが、そのためには、まず世界はユダヤ人を差別しない、そのうえで国際社会の仲間として手を携えて歩む、という観点から、積極的にアドバイスしていくべきである。

(写真は、ナザレの受胎告知教会)

「global middle east」シリーズ 
小職はメールマガジン、後にブログとして業務上考えたことを、このタイトルで発信していました。還暦を迎えましたので、自己紹介がてら、今日的になお価値があると思われる記事をここにコメント付きで再掲載しようと思います。旧記事は原則そのままに、最低限の誤字脱字、言い回しの改善を行いました。

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